プロローグ

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プロローグ  もし、思っていることを口にしてしまえば。 わたしは今だに「信じられない」と、口にするだろう。 取調室という、無機質で冷たい空間、小窓から差し込む光、薄暗くもある。 容疑者である彼女のたたずまいは、まるで異質、井波沙那子という女。 艶やかな光沢のある黒髪は、細い肩より少し長く、伏し目がちの大きな切れ長 の瞳は、長い睫毛がふるえ。 八分丈ほどの白いブラウスと、キャラメル色したスカートから、陶器のような 白肌の足が伸びている。 組むわけでもなく、しなやかに揃えてある。  実際、マジックミラー越しでも彼女を一目拝もうと、用もないのに他の課の 男性職員が訪れているらしいし。 わたしも、出入り口側で、息をのみながら、井波沙那子と先輩刑事である、谷 口のやり方を間近で勉強させてもらっている。 「関、今日のおまえは、同じ女性刑事としての同席兼見張り役ともなるが。 今後のためにも、しっかり、先輩のやり方を学んでおけ?いいな?」 「はい、谷さん」  谷口先輩は、年齢も二まわり以上上の、歳の差があるが、わたしの教育係 であり、公私共に、頼れる兄…いや、父親のような存在だ。 そんな谷口が、今、井波沙那子と向かい合わせに座りながら、調書を目の前 に先ほどから、顎の下をさわったり、手を組み直してみたり、何やら落ち着 かない。 明らかに、普段の谷口の取調の感じがしない。 「それで、あなたは…、婚約者である安藤健次さんを殺害したと?」 「………はい」 「その理由が、結婚の約束を破談された上に、彼の浮気が発覚したから。で、 間違いありませんね?」 「………はい」 「ふむ、しかしですよ?確かに、あなたの話が本当だとして。その安藤さん が、約束を破談され、浮気があっていたとして…、まぁ、相手もあなたの近 しい関係の人間だった…として」 「………」 「何も殺害までしなくても、良かってのでは?あなたの話が本当だとしたら。 それこそ、慰謝料的な請求もできたかもしれないし…他の男性も、この世に たくさんいるでしょうし、ねぇ?」  わたしから見て、先輩の谷口が、ただ単に動機解明をあらゆる角度から模 索しているだけには、見えなかった。 きっと、殺害から先の一点のことについて。 目の前の井波沙那子という女性の姿と本能的に結びつかず、踏み込むタイミ ングを自分なりに、合わせているような? そんな感じがしてならない。  取調室に独特の間がうまれる、いわゆる口を割らない被疑者から自白を促 すときにも、生まれる間もあるが、今回のソレは、同じものと結びつかない。 谷口が頭をかきながら、深く息を吸いゆっくりと吐いた。 「…それで、あなたは…殺害してバラバラにした…上半身と首だけの彼と。 約一年半、共に、なぜ…いや、どのように過ごしていたんですか?あの家で」 「………それは」  井波沙那子の肩が一度大きく上がり、ゆっくりと吐く息と共に下がってゆ く、ゆっくりと、とてもとても、ゆっくり、と。 わたしの喉が、静かな部屋の片隅でゴクリ、と鳴った。 「…私は健次を愛していました。本当の愛というものを注ぎ、彼にも愛して 欲しかった…遠くへ行きたかった…大好きだった人と。愛した人と、どんな形 でもいい、どこか遠くへ、行ってしまいたかった…」
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