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第31話 シングル? ダブル?
馬車に戻ると、メリッサが嬉しそうに出迎えてくれた。
大分日も暮れてきているが、彼女の笑顔があれば暗い夜道も照らしてくれるような、そんな気さえしてくるな。
「ご主人様。宿の方は如何でしたか?」
「あぁとりあえず待っててくれっていわれてな。なんでもこの正面を開けてくれるそうなのだが――」
そう伝えた後、俺とメリッサは建物の正面に身体を向ける。
しかし、どう見ても只の石の壁だ。一体ここのどこに馬車を止めるというのか?
そんな事を考えていると、ゴゴゴッ、と重苦しい音が響き始め、かと思えば視界に映る壁の一部が、左右に割れたように広がっていく。
まるでダンジョンの仕掛けのようだな、とヒットは顎に指を添えながら心のなかで呟く。
メリッサも目を丸くさせていた。まさかこんな仕組みになっているとは思いもしなかったのだろう。
「どうだい? これだったら入れるだろう~?」
開いた壁の中からは、あの黒いネグリジェ姿の女だ。
それを認めたメリッサが、二度びっくりしている。そりゃそうか。
こんな姿で、普通堂々とは表に出てこないだろう。
俺も目のやり場を、どこに置いたらいいか悩む。何せ彼女の、ブラからショーツまでしっかり透けて見えている。
とりあえず適当に、肩の辺りに視線を定めて、それから話すことにする。
「あぁ問題ない。このまま入れて構わないんだな?」
「そうだな~適当に空いてるところへ突っ込んでくれて構わないよ~」
あれ? おかしいな? 普通の会話のはずなのに卑猥に聞こえるぞ?
「ご主人様……」
め、メリッサの細めた目に軽蔑の色が滲んでいる……いや違うぞ。俺は何も思ってない!
とにかく咳払いで誤魔化しつつ、建物の中に馬車を入れる。
壁が元通りに閉まる。これも魔導器の効果だろうか?
そんな事を思いつつも中の様子に目を向ける。
天井にランプが掛けられていて中はオレンジ色の暖かい光で照らされている。
そこまで明るくはないが確認するには十分だ。
正面を見ると柵で仕切られたスペースがある。
そこに馬車を入れておくのだろ。
四台分の仕切りがあり、その内の一つだけが埋まっていた。
右奥には上に上がれる階段もみえる。彼女はそこからここに下りてきたようだ。
「うちは馬車で来るようなのはそんなにいないからね。ここはわりといつも空いてるのさ~」
「そうなのか。まぁそれなら助かる。ところで馬車は明日置いておくのは問題ないか?」
「それは宿泊分払ってくれるなら構わないよ~」
そうかならよかった。明日はスキルでの移動を考えていたしな。
まぁとりあえず、そんな事を思いながらも階段で二階へ上がる。
「で、部屋はどうする~?」
カウンターに戻るなり、ネグリジュの首部を指で広げて手で仰ぎながらいうな! くそっメリッサ程じゃないがそれなりのモン持ってるのなこいつ!
てか、メリッサも唖然としてるし。羞恥心なさすぎだ!
「と、とりあえずツイン空いてるか? 値段も知りたい」
「う~ん、あぁ~んざんね~ん。ツインは埋まってるね。今だとシングル二部屋かダブルだね」
「だったらシングルふた……」
「だ、ダブルでお願いします!」
て、おい!
「メリッサ何をいってるんだ? ダブルって……」
「む、寧ろご主人様のほうがおかしいです。わざわざ部屋を二つを、と、取るなんて。失礼かとは思いましたが費用のことも、ご、ございますし!」
いや必死に気を使ってくれるのはいいが、途中噛み噛みだし、そこまで差はないだろ。
「まぁシングル二部屋だと三〇〇〇ゴルド。ダブルだと二〇〇〇だ。確かにダブルの方がお得だよ。折角だからダブルにしときなって」
女がにやにやしながら言ってくる。何が面白いんだ!
そしてメリッサは強情だ。少し残金の事も考えたほうがいい、とまで意見してきた。
それを言われると確かにつらい。何せ残りは八万二三三六ゴルドだ。
確かに冷静に考えたら、少しでも安く済ませるべきか。
特に明日馬車を置いておく以上、必然的に二日分部屋を取っておく必要がある。
そうなるとシングルだと六〇〇〇、ダブルなら四〇〇〇だ。
くっ! 昼前までは一〇〇万ゴルドあったはずなのに、てか預金に五〇万あるのに理不尽すぎる!
しかしそれを今更いっても仕方ない。
最悪俺が床で寝ればいい話だしな。
「わかった。ダブルで二日頼む……」
「毎度あり四〇〇〇ゴルドね」
俺は言われた金額を支払う。
「それで食事とお風呂はどういう形だ?」
「食堂は、そこの廊下を抜けた先にあるよ~浴場はこの下さ~食堂に向かう途中に、一階へ降りる階段があるから、そっから向かってね~。一応向かって右の階段が女風呂で左の階段が男風呂だ~よ」
女はカウンターを正面に、右側に見える廊下を顎で示して言う。
「風呂は誰でも入れるんだよな?」
「あぁ、別にかまやしないさ。ここは皆それを理解してる客しかこないし泊めないしね」
ニヤリと口端を緩めていう。意味深な台詞は、シャドウの言っていたことが間違いでなかったことを示していた。
実際彼女は、ここにきて一度もメリッサの事を奴隷扱いしていない。
「ちなみに食堂は別料金で五〇〇ゴルド取るよ。そこだけは理解してね~風呂は無料。部屋に石鹸があるから適当に使って。でも食堂も風呂も夜の8時には閉まるからそこだけ注意な」
食事は別か。まぁそれでも昨日の宿よりは安いか。ツインでも二五〇〇ゴルドらしいしな。
「じゃあこれが部屋の鍵な。三階の三〇二号室だ、ちなみにあたいはアニー。一応ここの主ね。まぁなんかあったら基本ここにいるから。それじゃあごゆっくり~」
そういって手をひらひらさせた後、彼女はまた眠ってしまった。
大丈夫かこの人? ちなみに上への階段は、食堂へ続く廊下とは逆側にあった。
メリッサと一緒に上って部屋に向かう。
ちなみにこの宿の構造は五階建ての石造りで、一階正面側が馬車置き場。壁で仕切られた奥が浴場。
二階に受付のカウンターがあって、その奥に食堂がある。
客が泊まる部屋は三階から五階にあたるようで、其々の階にシングル二部屋にダブルとツインが一部屋ずつ。そして大部屋が一つある。
大部屋というのは集団で泊まる客用なので、一人か二人の客には基本提供してないらしい。
まぁそんなわけで、三〇二号室は階段を上がって廊下に出た後、一番手前の右側にあたる。
鍵は金属製の鍵でまぁ一般的なものなのだろう。
ただ、わけありの宿屋なので、貴重品は常に持ち歩いたほうが良さそうな気はする。
部屋の中は、外から見たのに比べると意外とまともだった。
古びた感はあるが意外と掃除が行き届いている。
トイレもしっかり個室に備わっていた。クローゼットではなく、服などを入れておくのが木製の箱であるところに違いはあるが、許容範囲だろ。
魔導器による明かりもしっかり確保されている。
で、まぁやっぱりあれだ。うん部屋の壁際にダブルサイズのベッドがど~んと置いてある。
そしてメリッサが、どこかもじもじしている。なんでだ! いやそりゃ緊張するか。
なんだかんだいってもお互いまだ若い。いやメリッサのほうが年齢で言ったら下だと思うし、こういう時はやはり男がリードを……て! いかんいかん! 何を考えてるんだ俺! 平常心平常心。
「と、とりあえず座るかメリッサ」
「は、はい――」
言ってお互いベッドに腰を掛ける。流石にメリッサも俺が嫌がるのが判ってるのか、もう床には座らない――が、ち、近い。腕と腕が密着してるぐらい近い。
やばいな、なんかドキドキする! くそ!
「あ! 俺床に座っちゃおうかな~」
「それでは立場が逆ですご主人様!」
床に移動しようとしたら大慌てで制止された。
くっ、改めて考えるとこれはかなり緊張するぞ。マジどうしよう――
◇◆◇
このままでは緊張してどうにかなってしまいそうだったので、とりあえず風呂を頂くことにした。
部屋の時計を見ると夕方の6時半だったしな。まだ風呂も食堂も間に合うだろ。
部屋には石鹸だけでなく、しっかりタオルも備え付けられていた。意外と不便はない。
俺とメリッサはそれを持って一階に行き、アニーにマジックバッグを預けてから風呂に向かう。
アニーは、心配症だな~、と笑っていたが、やはり気になるものは気になる。
起きざまにナイフを突きつけるような宿主の元なら安全だろう。
何せ俺もまたやられて、メリッサが小さな悲鳴を上げたほどだ。
改めてこの宿屋はとんでもないと思うが。
まぁでもようやく風呂だ。俺は廊下の途中でメリッサに、さっぱりしてきなよ、と笑顔で口にする。
「はい。ありがとうございます。ですが……少し緊張いたします。一人でお風呂に入るなど本当に久しぶりの事ですので……」
他の主人に奴隷として従事している間は、基本主と一緒に浴室に趣き、身体を洗うなどの奉仕がメインだったようだ。
勿論湯船に浸かるのも許されず、主とは別の、使い古されたボロボロのタオルで身体を拭くことだけが許されていたらしい。
この世界にはこの世界のルールがあるとはいえ、その気持ちを思うと不憫でならないな。
今夜は久しぶりの風呂を、存分に堪能して貰いたいと思う。
「それでは失礼致します」
「あぁ、先に上がったなら食堂で待っててくれていいから」
一応風呂後は夕食を摂る予定だしな。
「そんな! ご主人様の事をしっかりお待ちしておりますので!」
眼力強めで言われたな……まぁ待っててくれるならそれはそれで――ただ恐らく俺の方が早く出るとは思うんだよな。
まぁいいや。とりあえずメリッサと別れ俺は男用の風呂場へと向かった。
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