隣の梨花ちゃん

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隣の梨花ちゃん

 僕、新堂拓也は昔から食いしん坊だった。  というのも、僕の家の隣に住んでいる幼馴染みの梨花は料理を作るのが大好きで、何かを作っては僕のところへ持ってきてくれるのだ。  そんな料理を食べないわけにもいかず、時にはあまり美味しくないものもあったけど、今まですべて食べてきた。だから当然、お腹の方も多少突き出てしまっている。  そんな梨花ももう高校生。僕より学年が一つ下なので去年の一年は学校が違ったわけだが、それでも梨花は毎晩僕に料理を振る舞い続けてくれていた。 「お、今日のはおいしそうだな。これはなんだ?」  梨花は例に漏れず今日もきちんと料理を作って持ってきた。今日はスープだ。見た目はオレンジ色に近い黄色で、コーンスープのようにも見える。 「ふふ、今日はね、梨花特性のコーンスープよ。前にも作った時あったけど、たっくんてばその時はあんまり美味しくなかったっていうから、またチャレンジしてみたの」  梨花はいつも部屋着の上にエプロンをした格好で料理を持ってくる。そしてそのまま僕の家にあがりこみ、一緒に梨花の作った料理を食べるのだ。僕の親は両方とも夜遅くに帰ってくるので僕としては遠慮せずにすんで楽だ。  僕たちは年季の入った木造の机に向かい合うようにして座ると、親が作り置きしてくれている料理と梨花の作った料理を並べ、手を合わせる。 「さて、今日のはどんな味かな……?」  これからやってくるであろう、コーンスープの濃厚な味わいを頭の中で想像しつつ、スプーン一杯にスープをすくい、口に運ぶ。  途端、想像していたのとは少し違うが、とろりとしたクリーミーな味わいと、そして少し不思議な触感のしたものが口中に広がっていく。 「どう? おいしい?」 「んー、なんか変な触感のものが混ざってる気がする……。これ何入れてるの?」 「それは秘密。私オリジナルの隠し味よ」 「またそれか。もう普通に作った方がおいしいと思うんだけどな」  梨花の料理は、普通の料理とは少し違う。というのも少し前から、毎回のように梨花オリジナルの隠し味、を仕込んでくるようになったのだ。そのせいで味の品位を下げているような気がするのだが、本人は気に入っているらしく、僕の言うことをちっとも聞いてくれない。 「まあでも、それ以外は普通においしいコーンスープだね」 「そう、よかったわ!」  僕の一応の褒め言葉に、梨花は手を合わせて喜ぶ。そして自分は自分で作ったコーンスープを飲もうともせずに、他の料理を平らげていった。  それから二人はいつものようにたわいない話をしながら食事を済ませた。  気づけば夜の九時を回っていた。そろそろ梨花が帰る時間だ。今日は思いのほか話が盛り上がってしまったらしい。 「梨花、片づけは僕がやっておくから帰りなよ」 「悪いわね。それじゃあお言葉に甘えて帰らせてもらうわ。また明日ね」 「おう」  僕は玄関まで梨花を見送りに行くと、手を振って別れる。  こんなことを毎日続けているので、当然まわりからは恋仲なのではないかと言われることも多々ある。だけど実際にはそんなことはなくて、僕と梨花はただの幼馴染みだ。僕としては歳がひとつ下ということもあり、梨花は妹のような存在だと思っている。もっとも、梨花が妹だとすれば毎日のように料理を作ってくれるのだから、なかなかよくできた妹だと思うが。  僕は食事の後片付けを手早く済ませると、いつものように親が帰ってくる前に就寝した。  一部の例外を除き、朝は親の声で起きると言う人と、目覚ましの音で起きるという人のどちらかに分かれていることが多いらしい。  僕の場合は前者だ。夜遅く帰ってくる母親が、しかし次の朝にはきちんと目を覚ましており、朝食を作ってくれている。  今日も僕は部屋の扉の前から発せられた母の声で目を覚ますと、軽く顔を洗って朝食が並べられた机の椅子に座る。  そして驚いた。なんということだろう。目の前に置かれている朝食はコーンスープだった。もしかしてこれは昨日梨花がつくったものの残りなのだろうか。 「母さん、このコーンスープは……?」 「今日はそれにしてみようと思ってね。コーンスープ嫌いだっけ?」  肩の部分でそろえられた茶髪をくるくると指でいじりながら母親はそう言った。  そうか、これは梨花がつくったコーンスープではないのか。だとすればなんという偶然。僕のお腹には、おそらくだが昨日食べた梨花製のコーンスープが残ってしまっている。正直、コーンスープには飽きてしまった。 「いや、嫌いじゃないよ。いただきます」  だけどまさか他のにしてくれ、なんて言えるはずもなく、僕は黙って食べることを選んだ。  おそらくインスタントのものだと思われるコーンスープは、普通においしかった。濃厚でクリーミーな味だ。梨花製とよく似ている。だけど少し違うのは梨花オリジナルの隠し味が入っていないことだ。正直こちらの方がおいしい。  だけど何故だろう。普通においしいはずのコーンスープが、少し物足りなく感じてしまうのは。  それからも毎日梨花は僕の元に料理を届け続けてくれた。時にはカレー、時にはサラダ、というった風に、その内容は規則性が全くない。だがそれら全てにに共通しているのは、あの梨花オリジナル隠し味、が効いているということだ。  その隠し味はいつも、それが何であるのか全くわからない不思議な触感で、奇妙な味だ。いっそ隠し味というより、表立って料理をする自己主張の激しい逆調味料と言った方がお似合いだと思う。それがなければ、梨花の料理はどれだって常に完璧に近いとまでいえるほどのものなのだ。  そして今日は珍しく梨花の料理が食卓に並ばない日だった。梨花が風邪をひいて寝込んでしまったのだ。一応お見舞いには行ったのだが、うつるといけないと言われて帰ってきたのだ。  僕の目の前の机にはいつものように母が作り置きしてくれている料理が並んでいるのだが、心なしか、それが少なく感じてしまう。 「いただきます……」  僕はだれに言うでもなく一人で手を合わせると、それからは一言もしゃべらずに料理を平らげていく。  母の作った料理は普通においしい。さすが母親というべきか、僕の好きな味を良く知っていて、全ての料理が僕好みの味付けにされている。いや、ただ単に僕が母の味付けに慣れてしまっただけなのかもしれないが。  だけどほんの少しだけ、ふと違和感を感じることがあるのだ。その違和感の正体は、やはり物足りなさだ。普通においしくて、僕好みの味なのにどこかに物足りなさを感じてしまう。  それはおそらく、梨花オリジナルの隠し味が無いせいだ。いつもあるはずものもが今ないからこそ、この物足りなさを感じてしまっているのだ。  コーンスープの時だってそうだった。至って普通のコーンスープなのに、何故か少し不味い要素の入った梨花のコーンスープに比べると物足りなさを感じてしまう。  つまり僕は、梨花の料理でなければ満足できない体になってしまったのだ。毎日梨花が届けてくれる料理を梨花と食べるという、僕にとっては当たり前の日常こそが、いや当たり前の日常だからこそ、それが無くなってしまうと物足りなさを感じてしまうし、寂しさも感じてしまうのだ。 「でもそれって、僕は梨花のことが好きってことなんじゃ……」  途端に顔が熱くなる。梨花の料理が食べたい、梨花と一緒にいたい。それはつまり、梨花のことが好きだということになるのではないか。妹のような存在だと思っていたが、逆に言えばそれほどまでに一緒にいるのが当たり前で、近しい存在だということだと自分でも認識してしまっているということだ。そう考えるともはや料理の味など気にならなくなってしまい、僕は頭の中で色々なものが渦を巻いている状態で残りの料理を片付けたのだった。  僕が、自分は梨花のことが好きなのではないかという考えにいたってから四日後、その日は二月十四日、つまりバレンタインの日だった。朝から男子生徒たちはそわそわしており、女子からチョコレートを渡されるのを今か今かと待ちわびている。  いつもであれば僕はそんな男子たちの雰囲気には混ざらないのだが、今年は別だった。朝から梨花のことが気になって仕方がないのだ。  一応毎年梨花からはチョコレートをもらってはいる。のではあるが、今年は梨花ももう高校生であるし、付き合ってもいない男にチョコレートなど作らないかもしれない。なにより、梨花は昨日まで風で学校を休んでいるのだ。チョコレートを作る暇なんてなかっただろうから、今年も梨花がチョコレートをくれるという可能性は限りなく低いのだ。 「あら、たっくん。おはよう」  しかし僕がこれほど悩んでいるにもかかわらず、当の本人はいつもと変わらず落ち着いた物腰で挨拶を投げかけてくる。 「お、おはよう梨花。風邪はもう大丈夫なのか?」 「ええ、おかげですっかり治ったわ。これでまたたっくんに料理を振る舞えるわ」  嬉しそうに手を合わせる梨花。  僕としては今は料理ではなくてチョコレートを振る舞ってほしいのだが、そんなことを直接本人に言えるはずもなく、僕は表面上では笑顔を保ったままその場を乗り切った。  それからの授業はなかなか頭に入ってこなかった。去年までは明らかに小馬鹿にしていた男子たちの気持ちが、今になってようやくわかってしまった。確かにこれは、そわそわせずにはいられない。  そして昼休み。僕のところに一人の女子がやってきた。 「あの、新堂くん……」  僕は梨花が話しかけてくれたのかと思い胸を高鳴らせるが、それも一瞬だった。相手が梨花ではないとわかると、表面には出さなかったが、すごく落ち込んでしまった。 「これ、バレンタインのチョコ、あげる……。か、勘違いしないでね。義理チョコだからね」  僕はその女子から丁寧に包装されたピンク色の箱を受け取る。かわいらしいリボンまでもつけてあり、なかなか手の込んだもののようだった。 「ありがとう。大切に食べさせてもらうよ」 「う、うん。それじゃあ……」  チョコレートを渡し終わると、その女子はそそくさと去っていく。そしてその瞬間、僕は大勢の男子から注目を浴びていることに気づいた。教室中の多くの男子からの、怒りや恨みのこもった視線が体中に突き刺さっていく。  だがそれは理不尽な怒りだ。僕は決して今の女子からチョコレートを貰いたかったわけではないし、なにより義理チョコだと言っていたではないか。それならこの教室にいる誰もが次にそのチョコレートを受け取る可能性を秘めているはずだ。いや、今の女子だけではない。どうせ放課後になれば他の誰かからチョコレートを貰えるのだろう。それこそ本命のチョコというやつを。  そんなことを考えていると、むしろ僕を遠くから攻撃してくる他の皆の方が恵まれているんじゃないかと思ってしまい、その見当違いな攻撃に腹が立ってくる。 「はぁ……」  先ほどチョコレートをくれた女子には失礼だが、このチョコレートを食べる気にはなれなかった。今はただ、ひたすら梨花のチョコレートだけを口に入れたいだけなのだ。  僕は女子からもらったチョコレートの入ったかわいらしい箱をもてあましながら放課後まで時を進めた。  結局、梨花はチョコレートを渡しにくるどころか、そういった素振りさえ微塵も見せなかった。僕は肩を落としながら、一人孤独にゆっくりと家へと帰った。  家に帰り机の上に例のチョコレートを置くと、椅子に座ってそれを観察する。  さすがに、義理とはいえせっかく渡してくれたチョコレートを食べずに捨てるということは失礼すぎる気がして、僕はその箱のリボンをするりと解くと、中身を確認する。  そこにはおそらく手作りと思われる、箱と同じでかわいらしい形をしたチョコレートが入っていた。折ってしまうのも勿体ないので、そのまま噛り付こうと僕がチョコレートを口の前に持って行った瞬間。  バァンッ! と勢いよく扉があけられ、何者かが家の中に侵入してきた。 「たっくん……、それ食べちゃったの?」  その声の主は梨花だった。よほど急いで来たのか、制服のまま汗を大量に浮かべている。 「梨花……、どうしたんだよ」 「そのチョコ、食べたの?」 「いや、まだだけど……」  突然の出来事により、僕のチョコレートを持つ手は口の前で停止させられていた。  梨花はそれを見て安堵のため息をつき、そして大股で僕の方に歩いてくると僕の持っているチョコレートを奪い取った。 「私もチョコレート作ってきたんだから……、たっくんは私のを食べていればいいのよ」  そしてかわりにチョコレートの入った透明な袋を僕の手に置いた。 「え……、これ、梨花がつくってくれたの?」 「そうよ。まさか私の作ったチョコレートは食べないなんてことは言わないわよね?」 「そんなわけない……、すごくうれしいよ」  突如として訪れた念願がかなうチャンスに、僕は思わず顔を綻ばせる。そしてもらったチョコレートの袋をそっとひと撫ですると、袋を開けてチョコレートを取り出した。  それはハートの形をしたチョコレートだった。さすが毎日料理しているだけのことはあり、店で売られている商品と何ら遜色はない。 「いただきます」  僕はいつものように梨花に言ってから、そのチョコレートを一口だけ噛んだ。途端、チョコレートの甘く濃厚な味わいが口に広がる。続いて多少の苦みが後を追う。通常のチョコレートであればここまでだが、やはり梨花の作るチョコレートは違った。チョコレートの中に何か口に残る、今まで経験したことのないような味があった。  それはチョコレートを美味しくするためのもではない。むしろ他の完成度を下げてしまってさえいる味だ。だけど僕はそんな味を食べて、まるでこれが正解だというように納得してしまう。 「そうだ、僕はこれが食べたかったんだ……」  僕は無意識のうちにぽつりと呟いていた。 「他の誰のでもない、梨花の作ったチョコレートが食べたかったんだ。ほかの人のじゃあもう満足できない。僕の体はもう、梨花のつくったものしか受け付けなくなってしまったんだ……!」  僕の告白に梨花は驚いていたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。 「たっくん……、嬉しい。やっと私の想いが届いたのね」  長い間料理を作り続けていたのも、いつも変な味を混ぜていたのも、すべて梨花なりの想いの表現だったのだ。そしてそれは実際に功をなした。僕はもう梨花の料理でしか満足できないのだから。 「たっくんは他の女なんか見ないんでいいの……。これからも私だけを見てればいいのよ」 「当たり前だ。僕にはもう梨花しか見えない……」  そして僕と梨花は見つめ合い、軽く口づけを交わす。これが初めてのキスだった。梨花の唇は甘くて柔らかかった。  それから再度僕と梨花は見つめ合っていたが、すぐに僕は梨花からもらったチョコレートを食べていた途中なのだったと思い至る。 「そういえば、いつも梨花は変な味いれているけどこれはなんなんだ?たぶん僕はこの味のせいで他の料理が食べられなくなったんだけど……」 「あら、じゃあ作戦成功かしらね。たっくんが私の料理しか食べられなくなるように毎日頑張ってたのよ」  梨花は両手を合わせて喜ぶ。僕が梨花の料理しか受け付けなくなったのは、どうやら梨花の狙いによるものらしかった。 「そうなのか……。ちなみにこのチョコには何を入れているんだ?」  何の気なしにそう言ってもう一口チョコレートをかじった。そして僕は見た。チョコレートの中に入っている梨花オリジナルのものを。 「うふっ、それはね。私の……、髪の毛よ」
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