流血少女。

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流血少女。

「あなたのことが好き。」  そう言う、名も知らぬ女子生徒の額からは血が、たらたらと流れていた。しかし、この生々しい血は暁しか見えない。こうも、血が流れているのを見慣れていると、怖く感じなるから不思議だ、と暁は感じていた。流れた血が滴り落ち、校舎裏のアスファルトを汚した。  暁は人当たりのいい顔でにっこりと笑いかけて、言う。 「ごめんね。僕には好きな人が居るんだ。」  暁の頬に、生ぬるい血が流れる感覚がした。すごく、気持ち悪い。この感覚には、いつまでたっても慣れそうにない。暁は、心の中で毒づく。 ──みんなみんな、嘘つきだ。  暁は物心ついたときから、人の顔に傷があるのを見ていた。暁自身の顔にも、父親の顔にも、怪我してないのに傷口があった。母親なんか、顔全てが傷口で、本当の顔を暁は知らなかった。  傷からは、時々血が流れた。母なんか、「ちょっと友達と出掛けてくる。」と言って出てっただけで、傷口が、怪物の口のようにパカっと開いて、それはそれは恐怖しか感じない様な感じで、血が、どぼっと出てきた。それを幼き暁は、無垢な笑顔で「いってらっしゃい」と見送っていた。そんな時に暁自身の傷口からは、血が流れた。  暁はあるとき、気がついた。その傷から血が流れるときは、その人が嘘をついているんだって。  暁の母親は、不倫していた。父親が偶然、母親が会社の同僚とホテルに入るのを見たのがきっかけだった。傷口が大きかったのは、不倫が理由だろう。どうせ、嘘を吐きすぎていたから。暁が当時かなり冷静に考えたことは、正しかったのかは定かでないが、不倫が発覚してすぐ、母親は去っていった。  母親が出かける時、自分の傷口が開いたのは、「寂しい」という思いをごまかしていたからかもしれない。暁は一人ひっそりと涙を流した。  その後しばらく、暁は誰のことも信じられなかった。  ある時、突然、暁は気づいた。この力を使えば、世界は変えられるんだと。嘘ばかりのこの世界では、この力はゲームでいうチート能力なのだと。だから、自分が出来るだけ救うべきだと。暁が、気づいた──というよりかは自分の不安を和らげるために思い込んだ──その考え方は、暁に想像をかなり下回る効果をあたえた。  暁は学校で「探偵」を名乗り始めた。暁は、交友関係も広く、頭もそれなりによく、カースト上位で、何より先生からの信頼も厚かったため、馬鹿にされることもなかった。  学校では興味本位か、依頼が多く舞い込んだ。そのことに純粋に暁は喜んだ。迷子犬探し、浮気調査など。時には、教師からカンニング疑惑についての調査を依頼された事もあった。しかし、その全てが暁の頭脳でもって解決出来るものだった。 ──折角、嘘を見抜ける能力があるのに。  暁は自分の思った通りにいかず、落胆した。  探偵になって、3ヶ月ほどたち、暁の学年に転校生がやってきた。噂では、東京生まれだが、5歳からアメリカに住んでいたようで、英語がペラペラなのだそうだ。とても、肌が白く、髪は真っ赤なのだそう。そんな彼女は、暁の隣のクラスに転入したそうだ。  英語が得意な暁は、是非話をしたいと思った。また、暁はクラスメイトからその転校生に関わる依頼を受けていた。その依頼は、初めての能力を使える依頼だった。その依頼の達成の為に、暁は会いに行くことにしたのだ。  暁は、昼休みにその転校生に会おうとしていた所で、体育着姿の女子に捕まり、校舎裏に連れて行かれ、告白されたのだ。 ──そして、冒頭に至る。  名も知らぬ女子生徒は、何故嘘の告白をしたのだろう。  暁は少し思考したが、どうせ、何かの罰ゲームだろうと思い、にこやかに女子生徒に伝える。 「ごめんね。僕用事があるんだ」 女子生徒の後ろに見える時計の時刻は、一時二十分。あと、十分で昼休みが終わる。急げば間に合う。 「ま、待ってください。  あの……私、その……」  さっきの強気の態度は何だったのか。吃りつつ、暁を引き止める。額の傷はかさぶたになり始めていた。それを一瞥した暁は、嫌だなぁと思いながらも、相手からの株を下げないようにやんわりと言う。 「休み時間もうすぐ終わるよ? 君も授業あるだろう?」 時計の針が動く。あと、九分。 「あ、次体育なので大丈夫です。  貴方もそうでしょう?」  そうか。次は体育か。今日は見学しよう。と暁は考える。そこで暁は、ふと気づく。体育は一・二組、三・四組で合同なのだ。暁は、二組。つまりこの女子生徒は隣のクラスである一組の生徒ということになる。一組って確か転校生が来たクラスなのでは────?  思考する暁と、オロオロとする女子生徒の横にある渡り廊下を通る者がいた。 「あら、仮初さん。次は体育よ。一緒に行きましょう?」 「あ、え、エリカちゃん。」  女子生徒は驚いたように声をかけた生徒をみる。しかし、丁度暁からは柱で声をかけた者が見えない。かろうじて、声から女だということしかわからなかった。  暁は、初めて名前を知った、仮初という女子生徒に言う。 「彼女と一緒に行きなよ。僕はちょっと着替えてくるし。」 「う、うん。」  案外すぐに許可した仮初は『エリカ』とやらについていく。過ぎ去りざまに、暁は『エリカ』の髪がいつも見る、見慣れた鮮血の様な赤色だったのを目の端で見た。    放課後、一組の教室の前に本を読みながら、壁に背を預ける少年がいた。少年を指差し、何かを話す噂好きの女子生徒がいる。少年──暁──の居るところは人が集まるのだ。顔が良いためだろう。確かに、暁のその仕草は絵になる。と、仮初は遠目から見て考える。  ふと、暁は本をパタンと閉じた。  その流れで暁は、教室から出てくる、掃除係だった赤毛の少女を見て、声をかける。 「あの……。」 「あ、貴方が暁君? 噂聞いたわよ。探偵なんだって?」  エリカは、暁に笑いかける。その笑みは、探偵に対しての「幼稚なもの」という印象など、一ミリも抱いていないものだった。 「知ってて光栄です。」  暁も、エリカに笑いかえす。  その時、暁はいつも初対面の人と話す癖でエリカの顔をみた。傷が何処にあるかは、その人の名前の次に、暁にとって重要なことだからだ。  しかし、暁は次の瞬間目を見開いた。 ────顔に傷がない。  歯を見せない程度に、笑みを深めてエリカはいう。 「私のことは、エリカって呼んで。」  暁は、面食らった。顔に傷のない人は見たことはないのだ。それでも、それを顔に出さずに話す。動揺は、人との関わりで一番見せてはいけない弱みだからだ。 「では、エリカさんと呼ばせてもらうね。」 ──否、一人だけ見たことがある。  暁は一人だけの心当たりの人を思い出した。それは、暁の祖母だ。祖母は、認知症で、嘘を吐くどころか、きちんと話せなくなり、そのうち傷口が閉じたのだ。祖母は、亡くなる時には傷口は跡形も無くなっていた。  暁は、棺で横たわった祖母を思い出した。傷口がなく、シワはあるが綺麗な肌だと思ったのは記憶に新しい。 「で、どうしたの? 何か私に用事?」  エリカの何の訛りもない流暢な日本語には、素朴な「何の用か?」という疑問が見受けられた。暁は目の端に映る、多くのギャラリーをちらりと見た後、エリカに向き直った。 「いや、僕は英語好きだから、アメリカ英語を生で聞きたくって。」  暁はまた、目を細め、感情を隠すポーカーフェイスを見せる。暁の頰から一筋、血が流れる。皮膚に纏わりつく、血の感覚は気にならなかった。暁は内心確信していた。  この人は嘘をつかない人だ。  嘘を一定以上つかないと、傷口が跡形もない、こんなに綺麗な肌の状態にはならない。だから、暁は確信した。 ──この人は嘘をかなりの間付いていない。  暁は、依頼のことを回想する。    その日の、一時間目の後の五分休み。暁に声をかける者がいた。 「暁!」 声高らかの声をかける少年は、坊主の野球少年だった。 「何?」  暁にいつも、依頼をくれる、所謂お得意様だ。暁の幼馴染でもある少年は、雨宮という。口の下に小ぶりな傷口が縦にある。暁は、雨宮という名は読書をしている真面目な少年っぽい、と思っているのは、内緒にしている。  「俺、すっげー気になるんだ!!」  しかし、キラキラとする目はやはり、野球少年や、やんちゃ系の少年そのものである。  内心そう思っているのを隠して暁は聞く。 「何が?」 「それがな。隣のクラスのやつが、言ってたんだけどな。  あの、噂の転校生。嘘つくらしい」 ……は? 「どういうことだ?」  暁は、食い気味で雨宮に聞く。  暁の心の中では、何かが弾けていた。──やっと能力を探偵として使える! と思ったからだ。  雨宮はいつも、冷静な暁が、取り乱していることに対して驚きつついう。 「それが、転校生がその転校生に告った奴にさ、  『私には彼氏がいるの』  って言ったんだって。」 「どうして、それが嘘だとわかるんだ?」 「そのあと、女の子との会話の中で  『彼氏欲しいのよね』  って言ってたんだってさー」  雨宮の女子の声マネを無視して、暁は思う。──くだらない。  だからなんだというのだ。それくらいの嘘どうでもいいだろ。暁は気持ちがしゅわしゅわと消えていく感覚がした。  暁は、内心嫌だなと思った為断ろうと思い、口を開きかけた。すると、 「あ〜それ私も思ったぁ。」  二組のカースト上位の、目の下に小さな傷口がある女子がいう。 「私が話した時は、  『男子って難しいわよね』  って言ってたけど、私の友達の前では  『男子って扱いやすいわ』  っていってたのよ。」  女子の言葉にクラスメイトの何人かが頷き、またその類の転校生についての嘘話がでる。女子の目の下の傷口が開いていないのを見て、成る程、と暁は考える。  この依頼をやることで、僕の株はまた上がるかもしれない。まあ、この能力の無駄遣いだろうけど、それならいいか。  そう思った暁は、昼休み出かけたのだ……    暁は自分の鼓動がはやるのを感じた。 きっと、雨宮とあの女子たちに話した奴が嘘ついたんだ。こうして、エリカの顔には傷がない。  もしかしたら、この人、エリカは自分にとって唯一の人になるかもしれない。今日は、なんていい日なんだ!  暁は、「人生で一番の出会い」に対して、はやる鼓動を抑えてエリカに言う。 「エリカさん、僕と英語でお話ししません?」  エリカは、口を弧の形に歪ませると、 「いいですね。では、この後少しお話ししましょうか」 と言う。  暁は、今度は本心からの笑顔で 「いいですね。」 という。  エリカは暁に手を差し出していう。 「私のお家でよろしいですか?」  暁は声を上ずらせていう。 「ええ。」  暁はエリカの手を取り、群がっていた人の合間を通り階段を降りる。ギャラリー勢は、「何だったんだ?」と頭に「?」を浮かべていたが、二人は全く気づきもしなかった。    階段の踊り場にいる二人をみる人混みから少し遠くから、仮初は見慣れたエリカの鮮血の様な赤毛がふわりと、ひらめくのを見た。 ──鮮血の様な赤毛は、何とも醜いものだ。 そう思いながら、仮初は近くの手洗い場にいって鏡を覗く。そして、額を撫でながら、口を尖らせていう。 「あーあ。かさぶた気持ち悪い。」    仮初は物心ついたときから、人の顔に傷があるのを見ていた。仮初自身の顔にも、父親の顔にも、怪我してないのに傷口があった。  仮初は、転校生エリカの右横の座席だった。其処に座っていると、エリカたちの会話が聞こえる。早くも出来た友達、というよりかは取り巻きと言える人たちに話している内容は醜いほど、めちゃくちゃだった。嘘が下手だな。仮初が思うと、発言したエリカの口の中が、いい感じの角度で見えた。一瞬だったが、確かにそれはあった。仮初は視線をずらし、さっき見た赤い歯を思い出す。 ────この人は、口の中に傷口があるんだ。  そのタイミングで、チャイムが鳴り、皆が自分の席に着く。エリカがこちらを見て、歯を見せて笑った。──気持ち悪い。左側の歯が血で真っ赤っかだよ。仮初は内心悪態をついた。  先生がやってきて、挨拶を済まして席に着くと、二時間後の、午後一番のコマが体育なことを思い出した。  ふと、隣のクラスの暁君のことを思い出した。エリカのことがあったからかもしれない。  彼は、自意識過剰で、探偵なんて名乗りはじめていたが、みてバレバレだ。彼は私と同じ能力を持っている。そして、その能力を使って人助けをしようとする体で、自分を助けている。醜い自分と、自分の能力のデメリットから逃れるために。この能力では、自分に流れる血は感じることができる。その、ぬめりとした感覚が体にまとい付く。自分の嘘が、体感されると、罪悪感も増すのだ。また、自分の周りのひとの知らなくていい嘘まで知れてしまう。そして、それを隠さなければならない。そんなとても、醜い能力なのだ────  仮初は脳内で、暁をこてんぱに論破してやった。授業中だが、「ふはっ!」っと笑ってしまい、理科の先生に注意された。 「すいませーん」 と気の無い返事を返しつつ、仮初は誰にも聞こえないくらいで呟く。 「暁君に教えてあげるか」  窓から、風が吹き抜け、隣の席のエリカの赤毛が目に痛いほど、仮初の視界の隅に入り込んだ。    辺りは夕焼け。談笑する、男と女の影が道路に伸びる。勿論全て英語。中学生とは思えないほど、流暢な会話である。  暁は左側に居るエリカに、前を向いて身振り手振りをつけながら、英語でアメリカでの暮らしについて聞く。エリカは笑顔で、あっさりと返答する。  暁と共に帰路を歩くエリカの口の左端から、誰にも見られることのない、一筋の鮮血が流れた。
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