たべた

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私はその時、確かに嫉妬していた。 盲目で何も出来ない女。蔑まれ、厄介者としてこの屋敷まで流れ着いてきた役立たず。 だから仲良くしてやった。 掃除を教え、繕い物を教え、花の名と香りを教えたのだ。 憐れだと思って。そう。憐れだったから。あの何も映さない濁った瞳に同情したのだ。 彼女を愛する者などいない、そう思って。 しかし、そうではなかった。 しかも彼女を愛したのは、私の……いや、やめておこう。そもそもが私の手などには届く方ではなかったのだから。 ―――それは嫉妬に狂った私が、息を潜めて彼らを見守る中での出来事だった。 抱き合う二人……いや何かがおかしい。 彼女の弛緩した身体をアダム様が抱き止めている。 華奢で長い首を差し出すように晒し、彼の視線が愛おしげに注がれている。 そして刹那。 我が主が彼女に、その首筋に勢いよく噛み付いたのだ。 月の光が暴いた秘密。 ……1人の女が、美しい吸血鬼に血を吸われていく。 腰を抱いた腕は白く艶めき、抱かれた女はみるみるうちにそのバラ色の頬は色褪せていく。 しかし女は呻き声一つあげなかった。ただ眠るように盲目の瞳を閉じて、微かに上下していた胸も肩も次第に緩慢に。そしてついに……。 嗚呼。なんと美しい光景であっただろう。荘厳さすら感じていた。 私のちっぽけな嫉妬の炎など消し飛んでしまうような。 数分の時間を要して、盲目の女『だった』モノはドサリと緑の芝の上に落ちた。 吸血鬼はそのまま彼女を置き去りに、フラフラと覚束ぬ足取りで庭を歩き去って行く。 私がアダム様を追うか、彼女に駆け寄るか迷った時。 そっと後ろから声がした。 『彼を、彼の傍に』 ……あの人狼だ。 3ヶ月前に屋敷の前で打ち捨てられた子犬。それが人狼と分かっても、彼はこの人狼を追い出すことはしなかった。 むしろ面白がっていた様子すらあったと記憶している。 しかしながら今になって思うのが、人外である己とこの人狼少年の境遇を重ねたのかもしれない。 森の奥にひっそりと暮らす吸血鬼として。仲間意識のようなモノが芽生えていたのかも、と。 『早く。貴女はすぐに彼の所へ。彼は……アダムにはこの行為の記憶がないのだから』 人狼は更に囁く。 ……記憶がない? 吸血鬼なのに? 思えば、我が主が普段吸血をする姿を私達使用人は見たことがない。 そもそもこの屋敷の主であるアダム様が、人で無く吸血鬼であると知っている者が幾人いるだろうか。 量は少ないが、料理を召し上がっていたので普通の人間だと誰も信じて疑わなかったのではないか。 それくらい、我が主は自身の素性を隠し仰せていたのだ。 なのに、このような軽率な行動を何故? 使用人を吸血し、あまつさえ私に見られるなどと……。 そんな思考に耽る私の耳に、変声期の来ない少年の声が響く。 『早く』 ―――私はその声に突き動かされるように、走った。急かす人狼の言葉に従ったのだ。 そしてその言葉が真実であると知る。 意識朦朧といった様子で屋敷内を彷徨うアダム様を発見したのだ。 その唇は、赤く。まるで紅を塗ったようで。白く陶磁器のような肌にそれはとても鮮やかに映る。 そしてふと揺らめいた微かな記憶の奥底で、開いた絵本の一頁。 『雪のような肌と赤い唇の白雪姫』のようだ、などと取り留めなく私は考えていた。
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