第11話 しがらみの果て

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第11話 しがらみの果て

 タケルは依然として眼を疑っていた。室内は文明の利器に溢れ返り、温度も快適な数値を保ったままである。改めて身体を眺めてみた。グレーのスウェット上下という、普段の寝巻きそのままだった。 「今までの、全部夢なのか……?」  そう考えるのが普通だ。しかし彼には、単なる夢とは到底思えなかった。手触りや痛みの数々が、現実のそれと全く遜色がないのである。むしろエマと過ごす日々の方が、よほど生きている実感を抱けたというものだ。  そんな胸のうちであっても、時は平等に過ぎていく。スマホが7時40分を報せると、画面も見ずに音を止めた。そして重たい足取りで部屋を出て、階下へと降りていった。 「おはようタケル。ご飯できてるからね!」  母親が姿すら見せずに言う。洗面所で支度をしている為だ。タケルは気の無い返事とともに食卓に着いた。  焼いただけのパンが2枚、それとコップ1杯の牛乳。父親は居ない。タケルが目覚めるよりも前に出勤したからだ。 「いただきます……」  味気ないパンを1人で噛み締める。この食事を寂しいと思うには、おまりにも慣れすぎていた。 「それじゃあお母さん仕事行ってくるから、鍵よろしくね!」  母が慌ただしく玄関を飛び出すと、耳に痛いほどの静寂が訪れた。アナログ時計の刻む音が妙に大きく感じられる。テレビでもつけようかと思っても、のんびり眺める余裕までは無かった。  食べ終えるなりジャージを脱ぎ捨て、制服に身を包んだ。傷ひとつ無い体だ。日焼けの痕さえも無く、とても死線を潜り抜けたものとは思えず、それがタケルの違和感を膨らませる。 (感覚だけは強烈なのにな……)  草木や土の香り、魔物を殴り付けた甲、小屋の中で幾夜も寝そべった背中。それらは生々しく五感に刻まれており、今でさえも鮮明に思い出せる。そして、エマと繋いだ右手。握りしめただけで、手のひらはおろか全身までをも温かさに包まれたものだ。夢の一言で片付けるには、あまりにも実感が濃すぎた。 (何だったんだろ。あの世界は)  玄関の鍵を閉め、自転車に股がった。長い坂を下り、ぶつかる大通りで左折、それから道なりに隣町までペダルを漕ぐ。  追い越す通行人や駆け抜ける車、バス待ちの行列など、何もかもが見慣れたものだ。ひとつひとつ日常に触れる度に、エマとの記憶が追いやられていく。その事がどうにも堪えがたく、進めば進むほど寂しさが募っていく。いつしか校門に辿り着き、辺りは若々しい活気に満ち溢れたのだが、彼の孤独感を拭うには至らなかった。 「おはよー!」 「おはよ、昨日の動画見た?」  あちこちで挨拶がてらに雑談が飛び交う。その全てがタケルに無関係であり、彼は無言のままで駐輪場へと向かった。  自転車を停める最中でスマホが揺れた。グループチャットの通知なのだが、タケルは見向きもしなかった。不快にさせられる事を承知しているからだ。持ち主の気を引くようにアピールするスマホは無視して、教室へと向かった。 ーーガラガラッ。  教室後方のドアを静かに開けた。そうであったのに、クラスメートの大半がそちらに目を向けた。挨拶はない。圧し殺したような笑い声が広がるだけである。 「……なんだよコレ?」  タケルは自分の机を見て絶句した。自分の教科書やノートが辺りに散乱し、更には水びたしにさせられていたのだ。昨日とはかけ離れた光景に思わず思考が止まる。そんな彼を見ては、方々でクスクスと嗤いが起き、さざ波のように広がっていった。  誰がこんな真似を。手を払うかのようにして視線を振るが、目を合わせるものは居ない。あらぬ方を向くか、スマホの画面を眺める者ばかりである。タケルもいよいよ怒り心頭になり、荒々しく怒鳴りかけたのだが、遮るようにして前方のドアが開いた。 「はい。ホームルームはじめますよぉ」  担任の入室だ。蚊の鳴く声そのものであり、従おうとする生徒は少ない。男はそれでも構わず黒板に向き合い出したので、タケルは机に向かって掌を力一杯に叩きつけた。これには居合わせた全員が、身を仰け反らせるほどに驚いた。 「ど、ど、どうしました!?」  担任が黒板に背中を預けながら叫ぶ。 「先生。オレは気分が悪いので、早退しても良いですか?」  タケルの目が射抜くほどに鋭く尖る。返された言葉は、視線に削られでもしたように弱々しいものだった。 「あぁ、そうかい。無理しないで。保健室には……」 「行きません。帰ります」  お前ら大人は役に立たないからな。そんな捨て台詞が込み上げてくるものの、喉の奥で留めておいた。それからバッグを背負い、床に散らばる紙片を踏みつけにしながら、教室から立ち去った。  後ろ手にドアを閉める。すると中からは旋風にも似た爆笑が巻き起こった。タケルは舌打ちと共に廊下を歩く、歩く。一刻も早く、この空間から離れたくて仕方がない。  しかし、そんな彼に追いすがるようにして、グループチャットから通知が吐き出され続けた。 ーータケル君帰んないでよ寂しいじゃんww ーーあんなんクソ笑うわ。偉そうにしやがってバカじゃねぇの ーーつうかさ、早く50万持ってこいよ。標的外してやんねぇぞ? ーー金を用意したら許してくれるんですかね(ゲス顔 ーー大丈夫だって信用しろよ ーーあっ、これダメなやつwwww  見るんじゃなかったとタケルは後悔した。画面のキャプチャを撮ると、通知をオフ。静かになったスマホをポケットにしまい、学校を後にした。  どこに向かうかは決めていない。気の向くままにペダルを漕ぎ、さまようだけである。秋半ばの風は、心境に反して清々しいものであった。 「この辺で良いや」  タケルは家には戻らず、緑地公園へとやって来た。何があるでもない。芝生で覆われた丘を森林で囲っただけの、だだっ広い隙間空間である。退屈しのぎにもならないが、制服姿とはとにかく目立つ。人目につかないだけで御の字というものだ。 「それにしても、くだらねぇな。高校なんか辞めちまうかな……」  学校から弾き出されるにしても、その理由には納得がいかない。学業で付いていけないというのなら諦めもつく。悪事を働いた結果であれば甘受もしよう。しかし、あの仕打ちの原因はどちらでもない。単純に何者かの機嫌を損ねたか、あるいは目に止まってしまっただけだった。  教師に相談もした。しかし、こちらが宥められるだけで、何ひとつとして解決はしなかった。もちろんドラマで見かけるような、アツい展開など期待するだけ無駄である。ああいったものは所詮フィクション。虚構なのだ。 「分かってるよ。ドラマなんて誰かの妄想なんだろ……」  芝生に腰を降ろして横になる。冷めた瞳が写す秋空は、見た目よりも寒々しく見えた。薄雲が青いキャンパスを滲ませ、そこをスズメが横切っていく。平穏な時間だ。しかし、理不尽でもあった。  思えば、リヴィルディアの世界は単純明快なものだった。何せ目の前の問題に立ち向かうだけで良いのだから。命を落とす程に危険で、最底レベルの文明度だったとしても、あそこには気の良い仲間たちが居た。背中を預けられるだけの信頼が確かにあった。そこで死力を尽くせる事は、もしかすると幸せな事なのかもしれない、と思う。 「なんだかんだ言って楽しんでたよなぁ、オレは」  手慰みにスマホを取り出すと、アプリの公式サイトにアクセスしてみた。表示されたのはゲームの説明とイベント情報ばかりだ。更新履歴を眺めても、通信障害や異変やらを記したものは無い。ユーザーが交流するフォーラムページも落ち着いたものだ。  つまり昨晩からの出来事は、タケルにのみ降りかかったと言える。他のユーザーはもちろん、運営会社ですら把握していないのだ。それでは、アプリが繋がるようになったかとも思うが、答えは違う。今もなお、起動させようとすると暗転のままでフリーズしてしまうのだ。この症状は昨晩と全く同じものである。 「どうすっかな。問い合わせでもするかな……」  画面を当てもなく変遷させていると、ふと目が止まった。そこはリヴィルディアの世界観を綴った概要ページである。普段なら1文字も読まないような長文だが、今ばかりは気になって仕方が無かった。  とにかく暇を持て余している。タケルは自発的に、誰に強制されるでもなく、読み進めていった。もしかすると、どこかで役立つかもしれないと信じて。
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