第3話 精霊は身を助く

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第3話 精霊は身を助く

 青空教室。見目麗しき教師による個別指導。そんな心踊りそうなシチュエーションだが、幸福感までも味わうゆとりは無い。新手が来る前に学ばなければならないからだ。 「それでは僭越ながら、お話をさせていただきますね」  まず語られたのは精霊の役割だ。ある一定条件を満たすことで、奇跡や超常現象を具現化できるのだが、それは精霊の助力無しには叶わない。火水風土という4大元素を、時には複数種を交えながら、強大な力を発動させるのだと言う。 「具現化させる方法はいくつかあります。特定の呪文を詠唱する魔法術、幾何学模様を描く方陣術、マジックアイテムを触媒とする錬金術。それらの手法で力場を生じさせ、精霊と交信し、奇跡を起こす事が出来るのです」 「そうか。色々とあるんだな……」  タケルはまたもや意気消沈してしまった。どれもこれも心当たりが無く、自分に扱えるとは到底思えなかったからだ。選択肢を誤った、また死ななくてはならないと、心は沈みに沈むのである。 「それ以外にも特別なケースが存在します。例えば、私のような封者の巫女。そして、精霊との同化を可能とする精霊師という……」  話はそこまでだった。時間切れを報せる地響きが鳴り、そちらに目を向ければ、これまでに何度も命を奪われたオーガの姿があった。腹にまで響く振動が吐き気を誘う。それでも、タケルは歯を食い縛り、拳を硬く握りしめた。 「むざむざ殺されるくらいなら、やってやろうじゃねぇか!」  破れかぶれに飛び出した。恐怖に縛られないのは、いいかげん慣れ始めたおかげである。少なくとも身体を動かせる程度には、彼も順応しているのだった。 「いけません。素手で敵う相手では……!」  エマの悲痛な叫びが背中に突き刺さる。しかし、既に攻撃体勢に入っていた。両足で強く踏みしめ、オーガの腹をめがけて渾身の力で拳を叩きつけた。 「クソッ。固すぎる!」  強靭な筋肉の鎧は攻撃をものともしない。むしろ殴りかかった側の方が拳を痛めてしまうのだから、両者に横たわる戦力比は埋めがたい程であった。  失望に腐る暇もなくオーガの反撃が繰り出された。頭上に掲げられた棍棒が野太い音と共に迫り来る。軌道は読めた。横飛びでかわし、吹き上がる砂だけを見舞う。 「よし、どうにか避けられ……!」  気を抜くのが早すぎた。攻撃は振り下ろしから間髪入れず、真横に大きく払われたのだ。タケルの体は宙を泳いだまま。仕方なく両手で打撃を受け、腕で威力を殺そうと試みた。しかし力の差は余りにもかけ離れており、タケルはバネで吊り上げられるかのように跳ね飛ばされ、そして背中から地面に叩きつけられてしまった。 「い、息が……!」  衝撃が上半身を蝕み、その自由を奪い去ってしまう。今や呼吸さえも隔絶され、視界が荒波にでも晒されたように揺れた。悲痛な顔を浮かべて近寄ろうとするエマ。それを追い越して間近に迫るオーガ。逃げようにも腕の先から力が抜け、半身を起こすのがやっとであった。 (殺される、また殺される……)  見上げたオーガの顔は嗤っていた。その表情に、何か重なるものを感じる。それがどんな記憶と紐付けられたのか、タケルには判らなかった。しかし、許してはならないものだと、心がはち切れん程の叫びをあげる。  (許すな、許すな、悪逆を許すな!)  警鐘を鳴らすような声が胸から飛び出し、脳裏に木霊する。これは鼓舞激励の類いではない。怒りだ。純然たる感情が肉体を凌駕し、自由を取り戻すまでに至ったのだ。立ち上がった刹那に前傾姿勢となり、鋭い眼が距離を測る。それは捕食者だけに許される眼光であった。 「テメェなんかに殺されてたまるかーーッ!」  爆発した怒りがタケルに限りなき力を与えた。両脚が地面を強く踏み、人間を超越した速さで跳躍した。目にも止まらぬ速さ。それはまさしく大空を舞う飛燕そのものであった。  飛翔した勢いをそのままに、オーガの胸元に拳を叩きつける。しかし手応えは浅い。相手をよろめかせる事は出来ても、致命傷を与えるには至らなかった。 「ダメだ、力が上手く伝わらねぇ!」  背後に着地するなり、ガラ空きの背中を蹴り飛ばした。砦のように大きな巨体が激しくたじろぐ。それでもやはり命を奪うには全く足りなかった。  オーガもされるがままでは無い。全身の筋肉を逞しく膨らませると、殺意に満ちた袈裟斬りを放った。直撃したなら、無惨にも肉片を飛び散らす事となるだろう。だが、タケルは避けようとしなかった。遠ざかるどころか、むしろ体勢を低くして懐に潜り込み、拳を硬く握りしめた。狙うは棍棒を握りしめる利き手。振り下ろされる動きに合わせ、その指に向かって拳を強く叩きつけた。 「グォォオーーッ!」  激痛に悶え苦しむオーガが天を向き、空に向かって激しく吠えた。ひしゃげた右手の指から武器が溢れ落ち、辺りに土ぼこりを撒き散らす。ようやく効いた。有効打を見てとって、タケルは更なる攻勢に打って出た。  両者が白熱する一方で、この戦いを信じられない様な想いで眺めるのはエマだ。強大なるオーガを人間が、しかもたった一人で圧倒するなど前代未聞だからだ。従来の撃退法とは数を揃えて挑むものである。油壺と火矢による炎で気を逸らし、隊列を組んだ槍隊が一斉攻撃を仕掛ける。反撃の棍棒で少なくない損害を出しつつも、多勢にて1体を討ち取るというのが、この世界でのセオリーであった。  まさか細身の男が互角以上の戦いをしようなどと、誰が信じるだろうか。しかし眼前では、有無を言わさぬ光景が繰り広げられているのだ。 「火の精霊と渾然一体に……もしや、あのお方は!」  タケルの体にうっすらと漂う陽炎から、エマは納得せざるを得なかった。時おり随所が橙(だいだい)に染まる。その現象について、彼女は誰よりも理解していた。そして理解するがゆえに、タケルの身を案じる事を止めた。彼の勝利を確信したからである。 「これでどうだ、クソがッ!」  脛に向かって繰り出された拳が、かつてない感触を伝えてくる。放ったのは一撃であるのに、手応えは幾重にも返ってきたのだ。いわゆる『多段ヒット』なのだが、その効果は計り知れない。瞬きもせぬうちに、寸分違わぬ場所を何度も攻撃できるのだから、並の防御では防ぎきる事は叶わないのだ。  オーガの鋼鉄にも等しい体も例外ではなかった。脛の骨は真っ二つに折れ、重厚な肉体を支えきれず、とうとう膝を着いてしまう。そして顎がタケルの背丈と並んだ。 「観念しろ、この野郎!」  体の使い方に慣れ始めたタケルがトドメの一撃を放った。拳が顎を正確に貫き、オーガの首が不自然に曲がる。そして大きな四肢が地面に投げ出されると、その姿は煙となり、消えた。己の屍を越え続けた果てに掴んだ勝利であった。 「勝った……勝ったぞぉぉーーッ!」  タケルは吠えた。心の赴くまま、誰に憚りもせず、天の端まで響かせるほどに吠えた。突破不可能と思われた運命を、とうとう自らの手で打ち破ったのである。感激が脳を貫き、一筋の涙が頬を伝う。  そうして喜びに浸っていると、目眩のようなものを覚え、足元を怪しく揺らした。立ちくらみか貧血か。体の重心を探りながら体勢を整えようとする。しかし、そこへエマが身体を預けるようにして飛び込んできたのだから、2人仲良く草むらに倒れ込んでしまった。 「何? どうしたんだ!?」  驚きながらその顔を見ると、当事者以上に熱狂する様子が見てとれた。 「貴方は、かの高名な精霊師様なのですね!?」 「せ、せいれいし?」   「流れに流れてようやく巡り会えました! 貴方とならきっと……!」  そこまで言うと、エマはようやく状況に気がついた。仰向けに転がるタケルの腹に跨がっているのである。途端に顔を染めながら飛び退き、頭を何度も下げた。 「申し訳ありません! 何てはしたない真似を!」 「いや、構わないよ……」 「そして申し遅れました。私の名はエマ。封者の巫女エマと申します。以後お見知りおきを」 「よろしく、エマ。オレはタケルって言うんだ」 「タケル様。不躾ではありますが、お願いがございます。この世界を救うために力をお貸しいただけませんか?」 「力を貸す……?」 「はい。私とともに魔物によって蹂躙されてしまった世を、このリヴィルディア大陸を再建(リビルド)していただきたいのです!」  タケルは、ああやっぱりと思わずには居られなかった。寝入る寸前まで興じていたゲームの名もリヴィルディア戦記という。かのゲームと、異質な世界で耳にした単語は偶然の一致か。仮に、そうだと言われても信じる方が難しかった。 「うん。分かったよ」  答えはイエス。目的も身寄りも無い彼にしてみれば、断る理由すらも無いのである。即決の返答にはにエマも小躍りで受け止めた。 「ご快諾ありがとうございます! 手始めに何から着手しましょうか。住居、田畑、薪割り小屋というのも良さそうですよ!」 「いやその前に」 「はい、何でございましょうか!」 「ちょっと、起こして。お願い」  力なく持ち上がる腕が虚空で揺れた。それは助けを求める病人か、あるいは母を待つ赤子の手のようだ。タケルが今も仰向けのままでいるのは、魔力を使い果たした為である。精霊の力が抜け落ちると共に、自力で立てなくなる程に消耗しきっていたのだ。    慌てて駆け寄るエマ。強く繋ぎあって引き起こされるタケル。世界の復興という壮大なる目標は、こうして極々身近な手助けから着手されるのだった。
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