饅頭怖い

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饅頭怖い

 皿の上にあるのは大福だろうか。  ダイニングテーブルの上、いつも父親が座る席に白い皿が置いてある。その上に丸みを帯びた白い物体が二つ、身を寄せ合うようにして置かれている。その左上には日本酒の瓶。未成年の私に日本酒の銘柄はわかるはずもないが、おしゃれなパッケージを見ればちょっと高そうな気がする。その中身が三分の一ほど減っているのは気にはなるが、今はそれ以上に気にすべきことがある。  リビングの壁掛け時計を見れば、時刻は午後四時半。我が家で唯一の酒飲みである父はサラリーマン、まだ会社で仕事をしている時間だ。それなのに父の席に、お酒と甘味が置いてある理由が分からない。つい今まで飲んでいた様子は当然ながらない。  我が家の朝は父が仕事に出てから、私が学校に行く。私たちを送り出してから母がパートに向かう。その後、午後二時ごろに母親がパートから帰ってきて、夕方に私が帰宅する。それを考えれば白い物体と日本酒を用意したのは母である可能性が非常に高い。その母は夕飯の買い物に行っているのか姿は見えない。 「食べていいのかな」  夕方ともなれば小腹がすいてくる。  家族そろって甘いものがいける口だ。甘いものがあったら、とりあえず口にするのは私のモットーだ。  通学用バッグを床に置き、ダイニングテーブルに身を乗り出す。ふと皿の下に紙が置いてあることに気付き、そっと引き抜く。 「酒饅頭の作り方……」  紙はレシピサイトを印刷したものらしく、所々インクがかすれている。インクがないってよーと父が言ったいたのは、年賀状を印刷していた年末の話だ。それから十か月、出番のないプリンターはインクの交換をせずに年末を迎えそうだ。  紙から目を離し、白い物体――大福ではなく酒饅頭――に目をやる。饅頭というよりは肉まんの皮によく似ている。けれど皮がいくらか黄身がかっているのはホットケーキミックスを使っているからだろうか。ちょっといびつな形は手作りであることがよくわかる。母手作りの酒饅頭だ。普段、料理をしない私が評するのを聞いたら母がへそを曲げそうだけど、初めてにしてはよくできていると思う。  でも―― 「なんで急に酒饅頭なんて作ったんだろう」  お菓子やスイーツはうちで作るものではなくて買うものだ。クッキーやケーキを上手に手作りする友達もいるけれど、我が家ではお菓子とスイーツは買うものということで意見が一致している。家庭で作るホットケーキだって何年も食べていない。そんな家庭の台所を一手に引き受ける母が酒饅頭を作るなんて首を傾げてしまう。酒饅頭の材料である酒粕は料理に出てきたことはないし、あんこの買い置きだってないはずだ。それに日本酒も気になる。酒饅頭に使ったとしても、中身はレシピ以上に減っている。父は健康診断の結果がよくなかったようで、母に休肝日を言い渡されている。台所は母の聖域であり、母に隠れて飲酒するのは難しい。仮に書斎に隠しておいたところで、瓶を捨てる段階になってばれるのは明らかだ。  皿を置く位置も変だ。父の席はキッチンから一番遠い。わざわざ遠くに置かなければいけない理由が分からない。はたから見ると、お供え物をしているようだ。それか亡くなった人の席に花瓶を置いておくような―― 「……まさか、ね」  自分で考えておいて、背中が冷たくなる。父の身に何かあったかとバッグをあさり、スマホを取り出す。世間一般的には反抗期、父との会話もかなり減ったけれど心配しないわけはない。スマホのディスプレイを確認したところで着信も新着のメッセージすらない。万が一何かあったとしたら、供え物なんてしてる余裕はない。とにかく駆けつけるので精いっぱいなはずだ。何かあったら母は私に連絡を入れるだろうし、母が不在なのは買い物に行っているだけだからだ。  自分に言い聞かせて安心を得ると、お腹が控えめに空腹を訴える。目の前には食べてもらうのを待っている酒饅頭がある。空腹で物事を考えてもいい考えは浮かばないし、食べないのも失礼だ。味見もしなければいけない。体重は気になるけれど、女子高生はまだ育ち盛りだ。特に甘いものには目がない。テーブルの上に置いてあるイコール食べていい。食べていけないものは隠しておくなり、メモをしておかなければならない。酒饅頭を口にする言い訳を浮かべながら酒饅頭に手を伸ばす。蒸された生地がわずかに手につくも気にせずに、酒饅頭に一口かぶりつく。  ふわりと鼻腔をくすぐるのは酒の香りだろう。口の中にはあんこの甘みの他に独特の味が広がる。これが人生初体験の酒粕の味か。お酒に耐性がない未成年だからか、変わった味としか言えない。 「普通の饅頭の方が好きだなー」  でも残さずに一つ食べきる。残したら作ってくれた人に失礼だ。もう一個いけそうな気もするけれど、大人の味は私の口にはまだ合わない。口の中がなんだかおかしいような気がして、飲み物を求めて立ち上がる。 「ぐっ……!」  突然、食べたものを吐き出したい衝動に駆られる。口を押さえてキッチンに駆け込もうとするも足から力が抜けていき、その場に倒れこむ。横にそむけた口から吐瀉物が吐き出される。苦しい。助けて、お母さん……。 「主人です」  被害者の母親・幸子はハンカチを握りしめるのに合わせて声を絞り出す。青いを通り越して真っ白になった顔。髪から輝きが、肌からは水分が失われ、唇は日照りで乾燥した大地のようになっている。まだ四十三歳だというのに、娘の死を知ってから数時間で一気に老け込んだようだ。五十過ぎたうちのカミさんの方が肉付きがいいから若く見えるわとぼやいていたのは、取り調べを担当してるベテラン捜査員だ。 「あの酒饅頭、旦那さんが作ったの?」  酒饅頭には毒物が混入されていた。あんこと皮だけでなく、念のため調べた日本酒の瓶からも毒物が検出されている。幸子の娘・璃々は毒物が混入された酒饅頭を、それと知らずに食べて亡くなった。 「主人に食べてもらおうと思って」 「旦那さんに死んでほしかったの?」  幸子の夫・貞夫は大手医療機器メーカーで部長職に就いている。年頃の娘との会話のとっかかりにと、社内でスイーツ情報を仕入れるのに勤しんでいたと会社の人間から証言が取れている。貞夫はややメタボ体系だが、人に安心感を与える丸い顔をしていた。その顔を見て、璃々のふっくらした頬を思い出した。彼女は父親似だ。 妻が夫に死んでほしいという理由は何か。浮気か保険金目当てか。 「浮気なんかしなさそうな旦那さんだけどねぇ」 「……してるのは私です」 「は?」  予想外の答えにベテラン捜査員が間の抜けた声を発する。それは自分も同じで、ぽかんと開けた口を慌てて閉じる。 「こんなことになるなんて……」  泣き出す幸子の姿に、そっとため息を吐く。  不幸にもつまみ食いした璃々が亡くなり、父親は生き延びた。璃々がつまみ食いをしなければ父親が亡くなったはずだ。いや、酒饅頭は二つあった。父親が一つ取り、一つは璃々に渡したかもしれない。そうなっていれば亡くなったのは二人。幸子の浮気の告白が真実なら、浮気相手とともに遺体を隠すことも可能だったかもしれない。  過去に「もしも」はないが、もしもを考えてぞっとする。  落語好きなベテラン捜査員に教えられた「饅頭怖い」の噺とは違って、饅頭が怖くなりそうな事件だった。
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