おでん屋台の雪女~雪山で遭難したらおでん屋を営む雪女に出会いました~

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 しくった。  なんてことだ。  山の天気は変わりやすいとはよく言うけれど。  まさか、スキーの最中にこんな猛吹雪に見舞われるとは。  おかげで道に迷ってしまった。  今、どこをどう進んでいるのか全然わからない。  手を伸ばした先まで真っ白に覆われている。  まさに「一寸先は闇」、いや「一寸先は白」だ。  今朝の天気予報では「今日は一日快晴です」と言っていたのに……。  これのどこが「快晴」なんだよ!  がっつり「猛吹雪」だよ!  スキー用の手袋をしているにも関わらず、指先がかじかむ。  冷たい空気がガンガン頬にあたって痛い。  ゴーグルと耳当てバンドをつけてなければ、完全に終わっていた。  いや、それでなくとも終わりそうだ。  今、オレはどこを進んでるんだ?  すでにいつもの斜面ではなく、平坦な道になっている。つまり、滑走コースから完全に外れている。  いかん、のんびり滑りたいからと一人で来たのが仇となった。  オレが戻って来ないことに気づく奴なんて誰もいない。  次の日に会社に来ないオレに同僚が気づく頃には、おそらくオレはこの世にいないだろう。  まずい、これは非常にまずい。  なんとか戻る道を見つけなければ。  けれども、この猛吹雪の中、今どこを進んでいるのかさえわかっていない。  闇雲に進むのも危険だし。  どうすれば……と思っていると、はるか先にぼんやりとオレンジ色の光が見えてきた。  全体が真っ白に覆われてる中、そこだけがまるで別次元のように奇妙に光っている。  オレはたまらずその光を目指して進んで行った。  吹雪はちっとも弱らない。  けれども、その光はまるでオレを導くかのようにはっきりと視界に映っていた。  そうして、その光の先にたどり着いたオレが目にしたものは……。 「おでん屋」  なんと、この吹き荒れる猛吹雪の中で、おでん屋の屋台が目の前にあった。  おいしそうな匂いを充満させながら「おでん」の提灯が淡く光っている。  オレは誘われるがまま、スキー板を外し、暖簾をくぐった。 「いらっしゃい」  大量に煮込まれたおでんの先にいたのは、白い着物を着た美女だった。  真っ白い肌に、切れ長の瞳。  泣きぼくろが妙に色っぽい、30歳くらいの女性だった。 「どうぞ、おかけください」  声もおしとやかで気品がある。  優しく微笑むその姿は、吹雪の中に現れた天使のようだった。  いや、待て。  待て待て待て待て。  そうだ、吹雪だ。  今、猛吹雪のこの状況で、なんでこんな場所におでん屋があるんだ?  しかも、目の前の女性は防寒着を着ていない。  着ていないどころか、めっちゃ薄着だ。  オレは思わず問いかけた。 「あの、ここ、おでん屋ですか?」 「はい、おでん屋です」 「こんな場所に、ですか?」 「はい、こんな場所にです」 「めっちゃ吹雪いてますけど……」 「はい、吹雪いてますね」 「寒くないんですか?」 「はい、寒くありません」  ニッコリ微笑む姿に、オレはそれ以上何も聞けなくなってしまった。  とりあえず暖かな空間とおいしそうな匂いに負けたオレは、訝しく思いつつも席につく。  メニューはなかった。  どうやら、具材を見て直接頼むシステムのようだ。  オレはぐつぐつ煮込まれるおでんを見て、まずは好物の大根を頼んだ。  女性は慣れた手つきで大根を皿に乗せると、オレの前に差し出した。  ゴーグルと手袋をはずし、震える箸で大根にかぶりつく。  その瞬間。  おいしい出汁とともに、大根の甘みが口いっぱいに広がった。 「ふおおおお、なにこれ、めっちゃウマイ!!」 「ふふ、ありがとうございます」 「こんなにウマイ大根、食べたことない!!」  その言葉に、女性はさらに嬉しそうに微笑む。  オレは一気に大根を平らげると、続けてこんにゃくとちくわを頼んだ。 「どうぞ」  差し出されるこんにゃくとちくわ。  見た目は普通だった。  しかし口に入れるとこの二つも格別のウマさだった。  こんにゃくのプルプルで濃厚な味わいに悶絶し、ちくわの芳醇な甘さに失神しそうになる。  なんだこれ。  なんだこの屋台。  あまりにもおいしいおでんに、オレは我を忘れて感動していた。  熱々のおでんに凍えた身体が温まっていく。  まさに砂漠のオアシス、いや、雪山のおでん屋だ。生き返ったことを実感する。  こうなってくると欲しくなるのは日本酒だろう。  オレは女性に尋ねた。 「あの、お酒はありますか?」 「ありますよ。冷酒にします? 熱燗にします?」  この猛吹雪の中、冷酒を頼むバカはいない。  もちろん「熱燗で」と言った。  着物の袖で指先を保護しながら、湯気が立ちのぼるとっくりをオレの前に差し出してきた。  ああ、なんかいいな、こういうの。  出されたとっくりからお猪口に酒をなみなみと注ぎ、一気に流し込む。 「ふおおおおおお、うんめえええェェェッ!!!!」  あまりのウマさに思わず叫ぶ。  なんだ、この酒。  甘くてコクがあって、後味もスッキリで。  こんな酒、飲んだことない。  一人感動していると、女性はニッコリと微笑んだままオレを見つめていた。 「あ、すいません。なんか一人ではしゃいじゃって」 「いいえ。そんなに喜んでもらえると、私も嬉しいです」  オレは気分を落ち着けて、がんもどきを頼んだ。 「それで、お客さんはなんでこんなところに?」  目の前にがんもどきを差し出されてオレは答える。 「実はスキーをしてたら、急な猛吹雪にあいまして……。ずっとさ迷っているうちにいつの間にかここにたどり着いてまして」 「まあ、それは災難でしたねえ」 「あの。ここ、どの辺りですか? 滑走コースから大きく外れてしまったみたいなんですけど」  尋ねながらがんもどきを口に運ぶ。  ぐおおおお、これ、がんもどきか? めっちゃおいしい。 「オレが駐車した場所は第五駐車場なんですけど、どっちの方向かわかります? 『やまびこ』っていうレストランの近くなんですけど」 「ごめんなさいね。最近、ふもとには降りてないから」 「そうですか……あ、はんぺんを」  グイッと酒を煽りながら今度は出されたはんぺんを口に運ぶ。  ふおおお、このはんぺんもハンパない。  あまりの美味しさに三口で平らげてしまった。  ここのおでんはなにもかも、めっちゃウマイ。  でもだからこそ、やっぱり不思議だった。  なんでこんなに美味しいおでんなのにこんな場所でやってるんだろう。  街のほうでやったら、絶対儲かるのに。このウマさなら店を構えてもいいレベルだ。  まあ、事情があるんだろうが、もったいない。 「ここのおでん、何から何までおいしいです」 「ふふ、ありがとう」 「今まで食べたおでんの中で……いえ、今まで食べたどの食べ物よりもおいしいです」 「まあ、ご冗談を」  言いながらも嬉しそうに微笑む妖艶な美女。  本当に不思議だ。  いったい、どのくらい前からここで屋台を営んでいるんだろう。  思わずオレは尋ねた。 「あの、いつからここでやってるんですか?」 「はい?」 「失礼ですが、こんなところで屋台をやっても儲からないと思うんですが。街でやったほうが……」 「ああ、ご心配なく。200年前からやってますから」 「は?」 「……大好きだったあの人と別れてから、ずっとここで」  200年?  200年と言ったのか?  大好きなあの人と別れて、ずっと?  グッと何かをこらえる女性の姿をポカンと見つめる。  そしてオレはひとつのある伝説を思い出した。  雪女伝説──。  あれはたしか、猛吹雪の中で死にそうだった男を雪女が助け、このことは誰にも言わないという約束をして別れたものの、その後、一人の女と夫婦(めおと)になった男は妻にそのことを告げてしまう。すると、妻は「その時の雪女が私です」と告げ、男の前から姿を消すというものだ。  伝説にはいろんな形があるが、そんな話だった気がする。  とすると今オレの目の前にいるのは……。  オレは酒を口に運ぶのをやめ、チラッと女性を見た。  女性はオレをじっと見つめていた。  憂いを帯びたその瞳は、まさにオレの心臓を凍らせるのではないかと思えるほど鋭く、そして美しかった。 「あんた……もしかして」  その瞬間。  いきなりお猪口を持つ手がプルプル震えはじめ、身体の言うことがきかなくなってきた。  意識が朦朧とし、全身が急な脱力感に襲われる。  な、なんだ?  何が起きてるんだ?  まさか。  まさか、目の前の女が?  そう思った直後、ガタンとカウンターに突っ伏す。  まるで何日も寝てないかのような疲労感がオレを襲った。  なんとか顔を横に向けて、女に目を向ける。  女は笑っていた。  うっすらと微笑んでオレを見ていた。  なんてことだ。  まさかこの女が雪女だなんて。  伝説によると雪女は男の精気を吸うという。  ということは、オレは……。  ガタガタと震えながらオレは逃げ出そうとした。  しかし、身体の自由がきかない。  寒さのためか、疲労感からか。  よくわからないが、身動きがとれなかった。  女はそんなオレにゆっくり近づくと、口元に笑みを浮かべながら白い何かを吸い出した。  ああ、吸われてる……。  オレの魂が吸われてる……。  突如、わき上がる走馬灯。  マジか。  マジなのか。  オレは雪女に殺されるのか。  くそ。  こんなことなら……こんなおでん屋に寄るんじゃなかった。  そうだ、寄るべきじゃなかったんだ。  そもそも雪山におでん屋なんて怪しすぎた。もっと勘ぐるべきだった。  後悔先に立たずだ。  だんだんと意識が薄れていく。  オレは死を覚悟した。  しかし、ここのおでんを最期に食べられてよかった。  こんなにおいしいおでんは、初めてだった。  それだけで良しとしよう。  オレはそう思いながら、ゆっくりと目を瞑った──。      ※  目が覚めると、オレはいつの間にか第5駐車場にいた。  駐車場のわきで、仰向けになって倒れていた。  むくっと起き上がる。  空は快晴。  あの猛吹雪がウソだったかのような快晴。  時計をみると……おかしなことに2時間前に戻っている。  手袋やゴーグルはつけておらず、わきにスキー板と一緒に置かれていた。  あれは夢?  それにしてはやけにリアルな夢だった。  そもそも、この第5駐車場に帰ってきた覚えはない。  普通に滑っていただけだ。  けれども、この状況を見ると……。  ふと、ポケットに何かが入っているのに気が付いた。 「……?」  すぐにそれを取り出して見てみると、そこにはこう書かれていた。 『領収書:あなたの魂2時間分いただきました  ちくわ、こんにゃく、大根、がんもどき、はんぺん、お酒代として』 「マジか」  オレはその領収書をくしゃっと丸めて空を見上げた。  あれは夢じゃなかったんだ。  現実だったんだ。  オレは雪女に会った。会ってしまった。  同僚に言っても信じてもらえないだろう。  いや、誰に言っても信じてもらえないはずだ。  雪女がおでん屋の屋台をやっていたなんて。  オレは領収書と一緒に、別の紙が入っていることに気が付いた。  スッと取り出して読んでみる。  そこに書かれた文章に、オレはゾッとした。 『なお、このことは誰にも話さないこと。誰かにしゃべったら……凍ってもらいます』      ※  あれから2年の月日が流れた。 「ねえ、あなた。何を書いてるの?」  ひょこっとオレの肩越しから妻がパソコン覗き込んでくる。  今、オレは趣味でWeb小説を書いている。  昔から小説を書くことが好きだったオレは、暇を見つけてはこうしてネット上の気の合う仲間と小説を書き合って、読み合って、楽しんでいる。  今回は雪山で出会った雪女の話を書いていたのだが、慌ててそれを隠した。 「あ、普通の恋愛ものをね」 「また恋愛もの? たまにはホラーとか書いてみたら?」  読まないくせに、とオレは思った。  そう、妻は小説を一切読まない。  いや、活字自体をあまり好まないようで、雑誌類を読んでいるのも見たことがない。 「ダメだよ、オレ怖いの苦手だもん」 「ふふふ、私も苦手」 「ウソつけ。ホラー映画とか笑いながら見てるくせに」  こつん、と妻のおでこを小突く。 「やったなー」  と言いながらオレに抱きついてくる彼女は、あのスキー場の一件のあとに出会った女性だった。  不思議なことに、街中で偶然出会ってビビッときた運命の相手だ。  ナンパとは違い、本気でお近づきになりたいとその場で名前と住所を聞いた。  そして何度も連絡を取り合って。  会う回数を重ねていって。  恋人同士になって。  そうして、気づいたら結婚していた。  彼女の両親や親族はいないとのことだったけど、オレの両親も彼女を気にいってくれて何の障害もなく順調に籍を入れることができた。  しかし、オレは彼女を見るたびに思う。  白い肌や、切れ長の瞳、色っぽい泣きぼくろは、あの時の雪女にそっくりだと。  けれども、一度も問いかけたことはない。  そもそも、そんなことを言ったら凍らされる。  渡された紙にはそう書いてあった。  だからというわけではないが、彼女にそんなこと聞けるはずもなかった。  だが、オレは思う。  今が幸せ、それで十分だ。  キッチンからおいしそうな匂いが漂ってくる。  オレはパソコンを閉じて最愛の妻に尋ねた。 「今日は何を作ったんだい?」 「ふふふ、今日はあなたの大好物のおでんよ」 おしまい
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