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出会い
東京の港区にある老舗のホテル。
大広間に足を踏み入れた鈴木聡は、人の多さに圧倒された。たぶん、三百人はいる。
まだパーティーは始まったばかりだが、思わず腕時計に目をやる。
—— あと三時間か……
うんざりした顔で、大きなシャンデリアが煌々と照らす会場を見渡す。
広い会場にはぐるりと、高級寿司の屋台やチーズフォンデュ、フカヒレなど、節操もなく和洋中のバイキングが並んでいる。
なかでも目玉は、ニュージーランド産の仔羊肉をその場でステーキにしてくれる、オープンキッチンだ。
鈴木聡が勤める食肉の専門商社「トゥーマッチフーズ」は、今年の四月に、大手食品メーカーの子会社になった。
親会社の狙いは、トゥーマッチフーズがニュージーランドの自前の牧場で育てた高品質なラム肉だ。しかも今年は、ラグビーワールドカップの開催地として、日本とニュージーランドの距離は一気に近くなる。親会社の狙いどおり、鈴木の会社は休日返上の忙しさになっていた。
そして親会社が宣伝の一環で、ラグビー日本代表やマスコミを招待したのが、今日のパーティーだった。
トゥーマッチフーズは、親会社へのアピールのチャンスとばかり、全社員に参加を命じた。
ただ、勤務扱いにはならないため、あくまでも任意だ。
聡は理由をつけて、欠席しようと目論んでいたが、同期入社で営業部の外村勇樹に頼まれ、しぶしぶ参加していた。
グルメの連中にとっては、仕事として、会社の経費で飲み食い出来る最高の時間だが、聡には苦痛でしかなかった。
だいたい人ごみが苦手だし、初対面の相手とさも親しげに、薄い世間話を交わせるタイプではない。
—— 営業に任せときゃいいのに、なんで経理のオレまで……
口をつくのは愚痴ばかりだ。
ステージでは日本代表のキャプテンがスピーチを始め、ぐるりと囲むマスコミの周りに、さらに人だかりが殺到し、カメラのフラッシュとスマホのシャッター音がバシャバシャとキャプテンを照らしている。
—— この人たち、一斉にインスタとかツイッターにあげるんだろうな。何が楽しいんやら……
そんな冷めた心持ちで腕時計を見ると、まだ二十分しか経っていない。
あたりを見回した鈴木聡は、広い会場の壁際にぽっかりできた隙間に足を進め、水割りを片手に、壁に背を持たれた。
ひんやりした壁の冷気が、中央のステージの熱気を覚ましてくれるようで気持ちよく、そのまま壁に寄りかかり、ステージを眺めていた。
しかし、壁の冷たさも自分の体温ですぐにぬるくなる。聡は少しづつ冷気を求めて、カニのように壁づたいに、左に移動していった。
十分ほどカニ歩きを続けていると、聡から二メートルほど左の壁際に、女性が一人で立っているのが目に入った。
シックな色合いのスーツスカートで、左手にはウーロン茶のようなグラスを持っている。
聡はカニ歩きをやめ、ときどきチラチラと女性に目をやる。背筋のすっとした、立ち姿の美しさに惹かれたのだ。
おそらく三十代前半で、自分とタメぐらいだろう。近視でぼんやりした横顔しか見えないため、聡はメガネのツルを斜めに持ち上げ、ピントを絞った。
—— うわ!綺麗な人……マスコミ関係か?
見ればみるほど、聡のタイプの顔だ。
とたんに緊張してくるのがわかり、聡は目を逸らすと、ステージに見入っているフリをした。
すると、左にいた美人が聡の方に近づいてくる。聡は気づいていないふうを装った。
なにしろ、雑談が苦手で、ましてや初対面の女性となんか、何を話していいやら、さっぱりだ。
ドキドキしているうちに、気配を感じる距離まで接近している。
たまらずに、逃げようかと考えていると「あの、すみません……」と女性。
「は、はいいっ?」
聡がオクターブ高い声で返事を返すと、女性は聡の前を横切り、ドリンクを配る給仕に近づき、水割りを受け取った。
ドリンクを取りに来ただけだった。
—— うわ、最悪じゃんオレ……
気配を消そうとした聡に女性が振り向くと、クスリと微笑んだ。
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