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女性は聡に一歩近寄ると、聡の手元に目を向ける。
「あの……水割りでよろしければ……」
聡のドリンクが空になっているのに気づき、「これどうぞ」と、もう一歩近寄り、自分のグラスを手渡し、空のグラスを受けとる。
「あ、すいませ……」
女性は踵を返すと給仕に声をかけ、もう一つグラスを受け取り、聡の方に戻ってきた。
「さっきはごめんなさい。まぎらわしくて」
覗き込むような眼線にドキッとして、「あ、いえ……」といったきり、次の言葉が出ない。
グビグビと水割りを流し込む。
「えっと、お名前は?」
「あ、す鈴木です」
「鈴木さん。小西です、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。あ、飲み物ありがとうございます……」
「いえ」と微笑む。
—— まいった……このさりげない気づかい……絶対いい人だ……
奥手で女性と近しく接したことのない聡にとって、小西にとっては当たり前の気配りが、女神のように見えた。
「鈴木さんは、パーティーに参加されないんですか?」
「いやぁ……この感じ、完全にアウェーなんです……」
「苦手、なんですか?」
「はい、いい歳して……今日は仕事なんで、嫌いや……」
「それで、こんな壁際に」
「はい。気配を消して、壁の染みになろうかと」
「シミですか?花じゃなくて?」
すこし驚いたような小西は、すぐにアハハと笑った。
「壁の花は女性なので、染みぐらいかなって……」
「面白いですね」
「あ、いえ……」
小西は会場をぐるりと見渡し、「わたしも苦手です」と、舌をだす。
「え?そうなんですか?」
こくりとうなずく。
「わたしも、パーティー苦手なんです。人疲れするっていうのか……」
「それで、壁際に」
「はい。壁の花で過ごそうかと」
「あ、わたしお邪魔ですよね?ごめんなさい!」
「いえ、大丈夫です……」
大丈夫どころか、内心は救われた気持ちだ。三時間、ただぼーっと、ときどきトイレで時間を潰してやり過ごすつもりで来たのに、こんな美人と会話ができている。
—— ただ、この先どうするか……早くも話題が無い……
「ステージ、盛り上がってますね」
「あ、ええ……」
「あの鈴木さん。すこし、抜け出しませんか?」
「え?」
「ここのカフェ、庭園が綺麗で、行ってみたかったんです」
「あ、でも、いちおう仕事中だし……」
「……ですよね……何百人もいるから、二人くらい抜けてもいいかなって、思ったんですけど……」
「あ、たしかにそうですね」
「そーですよ。終わる三十分くらい前に戻っておけば大丈夫じゃないですか?」
二人で会場を抜けるタイミングを見計らっていると、「鈴木!」と大声で呼ばれた。
外村勇樹が、人の輪から離れて向かってくる。
「来てくれたんだ、恩にきる!いやぁ、営業部は何人連れてこれるかノルマあってさぁ。でも、助かったよ!」
「あれ?こちらは?」
言いながら素早くスーツの内ポケットから、名刺入れを取り出す。
「あ、小西です。名刺、クロークに預けてしまって」
「外村です。とむら、そとむらじゃないです!」
「アハッ、はい、よろしくお願いします」
外村は聡に顔を向け、にやりとする。
「おまえ、こんな美人と。やるなぁ!」
「ば、バカ……さっきたまたま世間話しただけで……」
小西がクスクスと声をもらす。
「それで、小西さんは、どちらのかたで?」
「広告代理店の業者さん。広告業だって」
「いや、おまえが答えるなよ。せっかくの会話のチャンスを。ねぇ、小西さん」
「はい……でも、鈴木さんがおっしゃった通りです」まだクスクスと笑っている。
せっかくのチャンスを外村に潰されたことにイライラし、聡は壁の時計にチラと目をやる。
「おい外村!部長が探してるぞ」
「はい、戻ります!」
営業部の社員に呼ばれ、外村は会釈すると、輪の中に戻った。
「なんか、面白いひとですねぇ。いかにも営業さんって感じで」
「いや、すみません、なんか……同期入社なんですよ」
「楽しそうな会社ですね!それより、お茶、行きませんか?」
「あ、はい」
二人はこっそりと会場を抜け出し、大きな窓ガラスから庭園が見渡せるカフェに入った。
「いやぁ、なんか、ドキドキした」
「鈴木さん、真面目なんですね」
「いえ、はい……」
「あーでも、ほんとに素敵な庭園ですねぇ」
「はい。借景庭園みたいな綺麗な庭です」
小西はすこし驚いたようすだ。
「お寺巡りとかなさるんですか?」
「あ、いえ!一度だけ京都に一人旅で廻っただけです……」両手を振る。
「いいですねぇ、お寺の縁側でお庭みながら、お茶とか。癒されますよね」
「はい……」
—— まずい!寺に詳しい人とか思われてたら、もう引き出しが無い……
小西と過ごせるのはこの上なく幸運だが、話題が無い自分を恨めしく思った。
「……あの、小西さん……」
「はい」
「えっと……僕、ネットワークビジネスとかは興味ないですから……」
「え?ネット……」
小西がポンと手を打つ。
「ネズミ講のことですか?」
「はい、違ったら、すいません……」
小西はアハハと笑い、違いますよと手をぱたぱたと振った。
聡は大学のころ、新宿南口で美人のOLにお茶に誘われ、ドキドキしながら着いていったら、ネズミ講の勧誘だった、苦い思い出がある。
しかも、信仰宗教も入れれば、一度じゃなかった。
それ以来、女性に抱いてきた幻想が崩れ去り、特に美人には、警戒するようになった。
初対面の女性に失礼な話だったが、小西が面白がってくれたので、聡は救われた。
その後は、小西が色々と仕事のことなど話題を振り、聡は答えるだけで会話になり、あっと言う間に一時間以上が過ぎた。
「そろそろ戻らないとですね」
「あ、もうこんな……」
「すみません。お付き合いいただいて」
「いえ!ぜんぜんです!」
—— どうしよう。もう会えないかも……こんなチャンスなかなか無い……
聡は思いきって切り出す。
「あの、LINE交換……」
「え?LINE、ですか……」
—— あーしまったぁ!やっぱりキモいよな、いきなりだし……
「わたしLINEも一応やるんですけど、通知がうるさいから、あんまり使わないんです」
「あ、ムリにってことじゃ——」
「ショートメールでも良いですか?」
「え?」
二人は携帯番号を交換し、パーティー会場に戻った。
「真由美、どこ行ってたの?」
「あ、ごめん。仕事の電話入っちゃって」
同僚について遠ざかりながら、真由美は後ろを向き、笑顔で頭を下げた。
聡は誰からも声をかけられることなく、残りの一時間を過ごしたが、気を抜くと顔がほころぶのを、必死に隠してすごした。
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