ラミーとバッカス

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 海は悪魔だ、と叔父は言う。  穏やかな凪ぎの海でさえ平気な顔をして人の命を飲みこむと。  叔父はいわきではなく、岩手県大船渡市の生まれだ。生まれて間もなく父親を亡くしている。チリ沖地震。地球の裏側で起こった地震による津波がまる一日経って日本海に到達し、百人近い命を奪った。バタフライ効果と言うやつである。  叔父の母、小梅が会ったことのない祖母は小柄だが元気な女性だったという。そんな祖母は子供が寝静まったのを見計らって亡き夫の遺影を胸に泣いていたそうな。 「樺島薫さんは知ってっか」  うなずく小梅。その巨体といつもニコニコとしている優しそうな中年男性を福島のサッカー界で知らぬ者はないほどの名指導者だ。特に浜通りでは在人神として崇められるほどの人物である。  三人はね、その教え子だった。 「カバの汗ってね、赤いんだよ」  カバの皮膚は人のように紫外線を吸収する仕組みがない。そのため紫外線を和らげる有色の汗を流して皮膚を守る。 「樺島さん、三人と対面してる間、ずっと歯を食い縛っててね。唇をぎゅっとかみしめてるもんだから口の端からダラダラと赤い血を流してた。憤りが頂点に達して、でもご遺体のかたわらで泣くご両親の前で泣くわけにもいかねえし、そのご両親に向かって頭を下げる二人の教え子はこれ以上ないほど自分らを責めているから怒るわけにもいがね。必死に飲みこむしかなかったんだよ」
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