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第一印象が最悪
駅前の開けた場所。植え込みの側に二人並ぶ。話をするなら適当な店へと提案した雪見に対して、青年は外でいいと固辞した。曰く「腰を下ろして話すほど重要な案件とは思えねェ」
あくまでもお願いする側の雪見に異論はない。人通りは多いがそれゆえにどこにでもいるようば学生二人に気に留める者はいなかった。
「申し遅れましたが、伊藤雪見と申します。栄光女子学院の一年です」
「典型的なオジョウサマ学校だな」
「ご存知で?」
「麹町にある女子校だろ。音楽科もある」
青年はぶっきらぼうに「黎陵高校音楽科の三年。秋本千歳」と名乗った。
雪見は目を見張った。栄光女子学院に負けずとも劣らない共学の名門高校だ。普通科の他に音楽科があるのが特徴の一つ。普通科の学力は無論、音楽科では毎年何人もの藝大生を輩出している。雪見の進学先として一度候補に挙がった高校だったーー女子校の方が悪い虫がつかないという理由で栄光女子学院になったが。
「音楽科……専攻は弦楽器ですか?」
「ヴァイオリン」
真弓と同じ。親近感を増した雪見とは対照的に、千歳は怪訝な顔をした。
「母親からなんも聞いてねーの?」
「……母が何か?」
「スミレ、とか言ったか? あとマユミと、サクラ」千歳は指折り継母の名を挙げた「昨日、バイト帰りに」
「まさか母が会いに?」
「会いにっつーか、おめーの家に問答無用で連れて行かれて『娘には近づくな』だの色々言われて、その後よくわかんねーけど車に乗せられて俺の家ン前で降ろされた」
千歳はフェンスに背中を預けた。
「ところで、なんで母親が三人もいンだよ?」
雪見は果てしない疲労感に目眩がした。上手く誤魔化せたと思った自分の迂闊さ。真弓の洞察力の鋭さ。菫の行動力。一体何を悔いればいいのかがわからない。
「……三人ではなく七人です」
「は?」
「継母は七人います」
とりあえず誤った認識を訂正する。千歳は「マジかよ」と呆れたように呟いた。
「マジです」
「漫画みてーだな」
荒唐無稽な家庭であるのは否めない。全ては父である白羽成政のせいではあるが、そのおかげで裕福な生活をさせてもらっている身としては文句を言えるはずもなかった。
「これには海よりも深く、ジグソーパズルよりも複雑な理由がありまして」
「ザイバツのオジョウサマも大変だな」
多少の同情は含まれていたが、あくまでも他人事。関心がないのは見て取れた。
「つーことで、俺はおめーに関わるわけにはいかねぇんだわ。あきらめろ」
会話の終了を示すように千歳はフェンスから背中を離した。雪見は慌てて引き止めた。継母のためにあきらめろと言われても引き下がるわけにはいなかった。部の存続に関わる大切なことだった。
「母がご迷惑を掛けたことについてはお詫びします。でも、でもそれとこれとは話は別でして、あの、絵のモデルになっていただきたいんです!」
「モデル?」
胡乱な目で秋本千歳はこちらを見下ろした。
「十月に文化祭がありまして、私が所属している創作文芸部では『美しい人』をテーマにイラストを展示する企画を」
「ウソ吐くならもっとマシな言い訳用意しろ。俺のどこが『美しい人』なンだよ」
「たしかに思っていたよりも怖いと言いますか恐ろしいと言いますか迫力があり過ぎて威圧感を覚えたりもしますが」
「全部同じ意味じゃねーか」
千歳の右手を雪見は両手で包み込んだ。
「でも手が綺麗です」
「触んな握るな揉むな!」
凄まれて雪見は縮こまった。握っていた手も振り払われる。
「金持ちなんだろ。適当に金積んでモデルでもゴーストでも雇えばいいだろーが」
お金でモデルを雇うのはまだしも、代わりに描いてもらっては学校行事の意味がない。
「もちろんお代はお支払いします。少ないですが」
「いくら? つーかモデルって拘束時間どんくらい?」
「週に二度、一度につき二時間。遅くても三ヶ月で完成させます。それで、時給でこ、このくらいで、いかがで、しょう……」
雪見は五本指を広げて見せた。
「五千円。悪かねェな」
「いえ」
雪見はうなだれた。金銭感覚の溝は深かった。
「……五百円、と考えて」
「ナメてんのか。東京都の最低賃金より低いわ」
「月のお小遣いが五千円なので。貯金をはたいても交通費分ぐらいにしか」
「どんなに少なく見積もっても時給千円だろ。五時間分だな」
「五時間じゃ素描で終わってしまいます!」
「知るかよ」
千歳はすげなく言い捨てた。
「ザイバツのオジョウサマなら、親にねだればァ?」
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