オバサンは禁句

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オバサンは禁句

 千歳は二、三回、目を瞬いた。少しぬるくなった紅茶を一気に飲み干す。天井を仰ぎ、豪奢なシャンデリアを眺めて、それから改めて百合に向き合った。 「なんだって?」 「モデルの件を断ってください」  どうやら聞き間違いではなかったようだ。引き受けることも断ることもできずにいる千歳に、百合は不思議そうな顔をした。 「そんなに難しいことでしょうか」 「できるかできねェかと言われれば、そりゃあできっけど」  得心がいかない。雪見の望みを叶えるために自分を呼び出したのではないのか。 「わかんねェ。俺が断るとあんたになんかいいことでもあんのか」 「わたくしのためではなく、白羽家のためです」  百合はわざとらしく額に手を当てた。 「雪見さんにも困ったものです。期末試験は及第点だったったそうですが、教師に暴力を振るったり、明かに良家ではない方とお付き合いしたりーー挙句、絵なんか描いてばっかりで……いつまでも子どもではないのですから」  指折り挙げるが、一番最初の暴力以外は別段問題ではなさそうに思われた。今現在は雪見は高校生、立派な子どもだ。常識の範囲内であれば好きなことをしていい年頃ではないか。 「彼女は白羽家の後継者に相応しくありませんわ。そう思いません?」  あいにく後継者の適性如何は千歳が判断することでも、百合一人が決めることでもない。雪見を白羽家の後継者と定めた人物が判断することだ。 「ですから、雪見さんは少し痛い目を見た方がいいと思いますの」  少女のように純真な笑顔で言う百合に、千歳はえもいえぬ不快感を覚えた。理由はわかっている。つい先日までの自分を思い起こされるからだ。  オジョウサマだから。ただ金持ちの家に生まれただけで今までずっと恵まれた生活を送っているから。苦労知らずで、世間知らずだから。  ーーだからこのくらいならば許される。  百合の中に、手前勝手な理由をつけて正当化しようとする卑怯な自分が見えた。 「それで、俺が断った後はどーするつもりだ」 「千歳さんはお優しいのですね。お気になさらないでくださいな。わたくしがちゃんと雪見さんを慰めますわ」  千歳は思わず失笑した。傷付けるよう仕組んだ張本人が素知らぬ顔で同情した振りをして励まそうというのか。 「ひっでえ三文芝居」 「あなたにとってもいいお話だと思いますが」  百合の細い指が千歳の前に置かれた封筒を指し示す。 「こちらは学費の足しに。今後もわたくしに協力してくださればできる限りの『援助』をして差し上げてよ?」  堪えきれなくなって千歳は喉を鳴らして笑った。  プライバシー保護だの今さら言うまい。バイト先と学校、果ては個人携帯の番号まで知っていたのだ。秋本家の経済状況の把握なんて簡単だろう。だから札束をちらつかせてきたのだ。 「それは了承と受け取ってよろしいのでしょうか」  千歳は席を立ってスマホを確認した。既に三分以上経っていた。 「悪ィけど用事あるから」  ヴァイオリンケースを背負う。札束の入った封筒を百合に差し戻した。 「紅茶ご馳走様、オバサン」
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