幕間 雪見と真弓

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幕間 雪見と真弓

 成政の養子志願者と聞いた時点で、第一印象は最悪だった。  ざっくりと切った黒髪も、ふっくらとした頬も、丸い大きな目も、平時ならば好意的に思える要素全てが気に食わないものになる。小さな身体に不釣り合いな、大きなランドセルを背負っていた。聞けば、七歳になったばかりだという。 「紅葉の娘なんですってね」 「はい。伊藤雪見と言います」  ぺこりと頭を下げる動作に合わせて、ランドセルが前後する。可愛い子どもだ。素直にそう思えない状況が恨めしかった。  無邪気な笑顔の子ども。生まれて間もなく母を亡くした可哀想な子。その背後にいる大人の薄汚い思惑が、真弓には透けて見えた。 「お母さんを知っているのですか」 「ええ。少しはね。成政さんの子どもと聞いたけど、本当なの?」 「はい」幼い雪見は臆面もなく言ってのけた「お父さんは成政様だって、おじさんが」 「伯父さんが、ねえ……」  真弓は目を眇めた。  雪見の伯父ーー紅葉の兄である伊藤泰司が面倒だった。妻子持ちの会社員。世間体を気にして雪見の面倒を見ることを渋ったくせに、紅葉の交際相手が白羽成政だったと知るなり掌を返して雪見を養子にした。その上でいけしゃあしゃあと「成政の嫡子として後継者に」などとほざいて雪見を連れてきたのだ。ここまで開け透けだといっそ清々しい。 (私が認めるとでも思っているのかしらねえ……)  当の本人は、自分が今何をしなければならないのかを全く理解していないようだ。母の紅葉のこと、一緒に暮らしている伯父一家のこと、特に二つ上の従姉妹には物置に閉じ込められたり、色鉛筆を勝手に使われたりとずいぶん『可愛がって』もらっているようだ。真弓の質問に雪見は馬鹿正直に答える。  ランドセルの中身を聞けば、教科書と筆記用具。それに古ぼけた美術の資料集を取り出して見せてくれた。絵を描くのが好きなようだ。コピー損じの裏紙を束にして、色々な絵を描いていた。  真弓は内心首を捻った。ご機嫌取りに賄賂でも持っているのと思いきや、それらしきものはない。 「あんたは成政様の子になりたいの」 「なりたいです」 「どうして。伯父さんに言われたから?」  雪見は首を横に振った。 「絵かきになりたいんです。絵かきになるには、絵の学校に行ってべんきょうをたくさんしないといけないって、先生が言ってました。でもおじさんはお金がないからダメだって」  事前にもらった身辺調査書によれば、泰司の娘は私立の小学校に通っている。塾もピアノもバレーも水泳も習っているらしい。可愛い娘に出す金はあっても姪に出す金はないということか。 「しらは家の子になれば学校に行けるって」  雪見は目を輝かせた。 「わたし、このうちの子になりたいんです。べんきょうをがんばります。お手つだいもたくさんします。いい子になります」  だから、しらは家の子にしてください。  素直に頼む雪見を前にして、真弓は言葉を失った。  成政の養子志願者は大勢いる。誰もが成績優秀で将来有望とお墨付き。年齢も小学生から高校生まで幅広い。そんな『遠い親戚の子』がやってきては、成政の妻と愛人達によって突っぱねられてきた。  中には真弓の目から見ても有望株な者も何人かいた。残念ながら他の愛人の御眼鏡にかなわず断念したが、惜しいと思った養子志願者もいる。真弓自身、自分の親戚筋からこれはと思った子を推薦したこともあったーー百合が猛反対して結局養子の座を勝ち取ることはできなかったが。  しかし、自分から売り込みにきた者は一人だっていなかった。親をはじめとする親戚連中に担ぎ上げられて、言いくるめられて、本人もその気になっているようなオメデタイ輩ばかりだ。 「じゃあ、あなたの願いを叶えたら、私のお願いも聞いてくれる?」  きょとんとした雪見に真弓は意地悪く訊ねた。 「まさかタダであんたのお願いをきかなくちゃいけないの? 血の繋がりもない私が?」 「タダじゃありません。お礼は用いしてます」  雪見はランドセルを開くと中から一枚の紙を取り出した。裏紙ではなく、ちゃんとした画用紙だ。差し出された画用紙を受け取り、真弓は眉をひそめた。 「なにこの花」 「マユミさんです」  描かれていたのは桜のように盛大に咲き誇る花。桃色よりも濃い紅色の花と、中心に赤い果実があるのが特徴だった。 「女性を花に喩えて褒め称えるのは平安時代からのセオリーだけど、このちっこくて可愛い花が私なの?」 「それはお花じゃなくて、葉っぱです」 「は?」 「マユミさんは秋になるとお花のようにキレイに紅葉します」  そこでようやく真弓は理解した。  ニシギキ科の木のことを「真弓」と呼ぶ。由来は昔弓の材料に使っていたからだとか。  察するに他の愛人達にもそれぞれ絵を贈ったのだろう。センスは悪くない。絵に関しては詳しくないが、小学一年生であることを考えたらかなりの腕と言っていいだろう。 「これが『お礼』なの?」  しかし子どもらしいとはいえ、金銭的価値はまるでない。幼い雪見にはわからないのも無理はないが。  心さえ込めれば、努力さえすれば報われると信じているお年頃だ。 「はい。これはいつか百万円の絵になります」 「今じゃないの?」 「これからです。わたしは有名な絵かきになります。学校の先生が言ってました。ベラスケスさんやゴッホさんみたいにすごい絵かきになると、今までかいた絵が高くなるって。だから絵はぜんぶ取っておいた方がいいって」  雪見は胸を張った。 「これはわたしがすごい絵かきになったら、百万円の絵になります」  真弓は絵とそれを描いた未来の画家を交互に見た。無邪気な瞳の奥にある一途な意志を。  この子は幼いが愚かではない。少なくとも、他人に助けられて当然とは考えていない。どうすれば自分の願いを叶えられるか、幼いなりに必死で考えている。  ともすれば真弓の口から深い息が漏れた。  自分の名前だから、真弓のことはある程度なら知っている。真弓の花言葉は「真心」と「艶めき」そしてーー (『あなたの魅力を心に刻む』)  この子は、今までの養子志願者よりも不出来かもしれない。ちょっと楽観的というか、鈍臭そうな感じがする。他人の悪意にも敏感ではないようだ。白羽家に相応しい後継者ではないかもしれない。  でもこの子はきっと白羽家の後継者として勤めを果たすだろう。真弓には確信に近いものを幼い雪見に感じた。だって自分で望んで、自分で決めたのだ。最後までやり抜く意志は誰よりも強いはず。 「いいわ。百万円ね」  真弓は嵌めていた指輪を外した。成政から贈られたものだった。誕生石でもないのにルビーが付いているのは、真弓の好きな色だからだ。 「あなたの将来性を買ってあげるわ」  いつから決まったルールなのか。後継者と認めた者に装飾品を贈ることがならわしになっていた。  真弓は小さな手に、いずれ大作家となる手にルビーの指輪を握らせた。 「ようこそ、白羽家へ」
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