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夏休み中ということもあり、東京駅は雑多な人で混雑していた。駅構内に入場した雪見は合宿のしおりを片手に新幹線改札前を目指す。新幹線の到着時刻はとうに過ぎている。しかし大所帯だ。すぐさま解散とはいかないだろう。
果たして新幹線の券売機コーナーの端に見覚えのある制服の集団がいた。響と何事かを話している千歳を見つけて、雪見は声を張った。
「秋本さん!」
喧騒の中でもなんとか届いたようだ。雪見に気づいた千歳は目を見開いた。思わず雪見は駆け出した。
「は? おめーこんな所で何してんだ」
「絵が、あと、もう少しで、完成……しそうで」
息を切らしながら、雪見は必死に説明した。
「予定より早くね?」
「お、おかげ、さま……で。でも、仕上げがまだ、で」
「とりあえず落ち着け」
呼吸が整うにつれて思考がまとまってくる。絵があと一歩で完成する。最後の調整には千歳が必要だった。だからーー
雪見ははたと気づいた。だからなんだと言うのだろう。勢いで家から飛び出して東京駅まで来てしまったが、千歳は合宿帰りだ。足元にはボストンバッグが置かれている。
たとえ解散したとしても弦楽器のパートリーダーである千歳は他のリーダー達との打ち合わせがあるかもしれない。友人達と遊びに行くつもりなのかもしれない。別の予定が既に入っているかもしれない。
「じゃあ、これからおめーの家に行けばいいのか?」
あっさりと口にされた言葉に、雪見は固まった。頷くこともかといって否定することもできなかった。
「仕上げすんだろ?」
「あ、はい」
「俺がいた方がいいんだろ?」
むしろモデルの千歳がいなければ完成しない。
「あの、それは、そうなのですが」
雪見は千歳の背後に視線を流した。管弦楽部の部員達がわいわいとこれから行く店の相談をしている。楽しそうだった。千歳も人数に入っているのだろう。
(明日でも、いい……かもしれない)
絵は逃げない。興奮のあまり何も考えずに来てしまったが千歳にだって都合がある。何よりも雪見を優先させる義理はどこにもないのだ。
冷静になってみれば、いかに自分が非常識で勝手なことをしているのかに雪見はようやく気づいた。
「何なんだよさっきからてめーは」
千歳は苛立たしげに舌打ちした。
「わざわざ東京駅まで来ておいて『絵がもうすぐできます』って報告で終わりか? 俺に用があるから来たんじゃねェの?」
青褪める雪見の前で、千歳は眦を釣り上げた。
「やんのかやんねェのかどっちだ! はっきりしろ! ハッキリ!」
「ああすみません、ごめんなさい! やりますっ!」
怒鳴られ気圧される形で答えた。途端、千歳は「よし」と軽く頷き、部長の響に声を掛けた。
「悪ィけど、俺パスするわ」
「えー、センサイ来ないの?」
他の女子部員が不満げな声を上げる。千歳は顎で雪見の示した。
「絵がもう少しで完成するんだとよ」
「ご多忙の折に大変恐縮なのですが、最後の仕上げに秋本さんのご助力をたまわりたく」
響が目を見開いた。彼だけではない。副部長も、チェロを担いだ男子部員も、玲一も、皆がそれぞれ驚いたり、顔に喜色を滲ませた。
「え、マジ?」
「すごいじゃん。早く行きなよ」
「よかったね」
先ほど不満を露わにした女子部員でさえも「ごめんね。こっちは気にしないで頑張って」と応援する始末。物わかりが良すぎる上にやたらと協力的な管弦楽部のメンバーに、雪見は拍子抜けした。
「あ、いえ……ありがとうございます」
「オラ行くぞ」
千歳が雪見の手を掴んだ。半ば引きずられるような格好で雪見は改札機へと連れて行かれる。背中に「ファイトー!」だの「頑張れ」だの声援を受けながら。
「おめーの家だよな」
雪見の手を引いたまま、丸ノ内線に向かってどんどん歩いていく。身体のコンパスが違うので雪見はついていくのがやっとだ。
「あ、秋本さん」
もう少しゆっくり、と頼もうとして口を開いた雪見はしかし、言葉を失った。人混みをぬって前へ前へと進む千歳の背中が大きく、そしてとても頼もしく見えたからだ。
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