継母会議

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継母会議

 同日、椿によって成政の愛人全員が本邸に呼び出された。  通された客間で大きなテーブルを囲む。成政の妻と愛人が顔を合わせるのはお盆休み以来だった。今回の油彩画破壊事件の犯人と、白羽家としては警察や学校に被害を訴えることもいかなる報復措置も行わないことを、上座についている椿の口から告げられた。  被害者の雪見が公表を望まない以上、部外者が騒ぎを大きくするのは筋違い、というのが椿の弁だ。しかし実のところは継母の一人、百合の暴走が端を発した事件なので内々にことを収めたいだけ。白羽家の正妻としては冷静かつ的確な判断だった。 「いいえ、処罰すべきです」  断固として抗議したのは真弓だった。 「雪見はこの三ヶ月、あの絵を描くことに心血を注いでおりました。それを逆恨みで修復不能なまで破壊するなど……仮に雪見が白羽家の者でなくとも許しがたい凶行です」 「しかし事を荒立てるのを雪見は望みません」 「ではせめてその女の作品を切り裂いて人前に出せないようにすべきです。それが道理でしょう!」  同じ芸術家なだけあって、真弓の怒りはいつになく激しい。普段ならば絶対に逆らわない正妻の椿に対しても声を荒げる。 「恐れながら、私も真弓と同じ意見です」  椎奈が追従する。冷静そうに見えても彼女もまた雪見に同情的だ。  無理もない。雪見はあの油彩画を完成した翌日、丸一日寝込んだ。絵の追い込みを掛けていて三日間ほとんど寝ていなかったらしい。その反動でスイッチが切れたかのように倒れたのだ。雪見が寝ている間は無論、元通り元気になるまで甲斐甲斐しく世話をしたのは椎奈だった。  それだけではない。雪見はモデル代を捻出するためにお小遣いを切り詰め、短日とはいえアルバイトをし、絵にかまけて成績を落とさないよう勉強もしていた。夏休みに旅行どころか遊園地や夏祭り、映画にすら行かなかった。  雪見が払った代償も努力も知らずに、あの女子生徒は安易な気持ちで踏みにじったのだ。白羽家の人間ではなく、継母として、到底赦せるものではない。 「目には目をとまでは申しません。しかし白羽家の者と知りつつ手を出したのならば、相応の報いを受けさせなければ、周囲に示しがつきません。今後同じようなことがないよう、厳然とした態度で臨むべきかと」 「そうでしょうか。むしろわたくしは、今回の一件で雪見のしたたかさを垣間見ました。彼女に手を出そうという輩も減ると考えております」 「奥様、それはどういう意味でしょうか」  桜が愛人一同を代表するような形で椿に訊ねた。 「今までは雪見が幼いこともあり、白羽家の名折れにならないようわたくし達が彼女を守っておりました。しかし今回、雪見は一人で犯人を特定し彼女なりに責任を追及し罰を与え、脅しもかけました。あの程度の小物ならば、二度と雪見に害を成そうとは思わないでしょう」  柚子が腕を組んで天井を仰いだ。 「まあ、たしかに……雪見はしっかりしてきたな。ちゃんと自分の意見も持っているようだし」 「いつまでもわたくし達が彼女を守っているわけには参りません。降りかかる火の粉は自分で払い除けなければ」  椿は微笑んだ。穏やかで全てを受け入れたような優しい笑みーーそれを恐ろしいと思ってしまうのは、きっと笑顔の裏に隠された凄みを知っているからだ。火の粉どころか大火災だろうと猛然と立ち向かうだけの冷徹さと覚悟がなければ白羽家の正妻は務まらない。 「ですが、椎奈さんのおっしゃることにも一理あります。けじめはつけなければ、他の者に示しがつきません」  椿は目を眇めた。テーブルの隅に座る百合に視線を投げかける。 「百合さん、あなた随分とせせこましいことをしてくださったものね。教師を使って雪見を陥れようとしたり、次は生徒の憎しみを煽ったり」 「雪見さんのためですわ」  百合は悪びれもせずに答えた。すかさず真弓が咎める。 「嘘おっしゃい。あんたの浅はかさが招いたことでしょう!」 「ですが、今回の件で雪見さんも一つ成長なさったのではなくて? 感謝されることはあっても批難される覚えはございませんわ」 「よくもいけしゃあしゃあと……っ!」 「おやめなさい」  静かだが有無を言わせない声だった。椿にたしなめられ、真弓は渋々引き下がる。 「つまり百合さん、あなたは自分には全く非はないとお考えでいらっしゃるのね? 雪見が人前で侮辱された際に、わたくしがあれほど余計なことはしないようにと忠告したにもかかわらず」  たとえ自分に非がなくとも、正妻である椿に『忠告』されたのなら謝罪し、改める素振りだけでもしなければならない。椿の忠告は事実上の警告だからだ。しかし反省という概念のない百合には、そんな簡単な道理ですらわからなかった。 「ええ、わたくしに非はありませんわ」 「わかりました」  胸を張って答えた百合に、椿の目が据わった。 「百合さん、あなたには今後一切、栄光女子学院関係者との接触を禁じます。無論、雪見も在校生ですので卒業するまで接見禁止です」 「そんな……っ!」 「この件は旦那様にもご報告いたします。菫さんは百合さんの関係者が雪見に近づいたら遠慮なく排除してください」 「承知」  菫が背中に差した木刀に手をかけた。いつでも抜けるという意思表示だ。 「椿様、それはあまりにも横暴ですわ! わたくしは何も悪いことはしていないのに……」  まだ言うか。他の継母達が冷たい視線を浴びせる。食い下がる百合に、椿の堪忍袋の緒が緩む寸前、桜が手を挙げた。 「では民主的に多数決をいたしましょう。椿様のご決定に異議のある方は挙手を」  当然といえば至極当然で改めて言うことでもないのだが、百合以外誰一人として手を挙げる者はいなかった。
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