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詮索もまた親心
栄光女子学院は都内有数のお嬢様学校だった。学力は無論、家柄も素行も良い女子生徒ばかり。普通科の他に書道科、美術科、音楽科といった芸術系の専門学科も開設していて、設備も充実している。多感な年頃の雪見が心置き無く勉学に励みつつ感性を磨くためにと、椿が選びに選んだ学校だった。
入学から早三ヶ月。その目論見は成功しているように思えた。図書委員会に創作文芸部と雪見はのびのびと高校生活を満喫している。期末試験も終えた今、十月に行われる文化祭に向けて準備を進めているところだ。
だから雪見が放課後に銀座の文房具店に学友達と足を運ぶのはなんら不自然なことではないーーはずだ。
「何で便箋ばかり見ているの?」
葉書を並べた回転棚の影から胡乱な眼差しを注ぐ真弓。視線の先には同級生と思しき女の子と便箋を選んでいる雪見。学校から直接店に行ったので二人とも制服姿だ。
「万年筆はどうしたのよ、万年筆は……っ!」
お言葉だが、万年筆があっても書く紙がなければ意味がない。そもそも万年筆は手紙を書いたりメモを書き留めるために発明されたものだ。雪見の行動はなんら不審ではない。
「万年筆は一つ上の階だ。これから行くんじゃないのか?」
柚子の推測に真弓は答えなかった。それどころか身を隠していた棚から出てずかずかと雪見達の方へ。
「おい」
引き留める間もなかった。真弓は雪見の背後を器用にすり抜け、反対側ーーエスカレーターの陰に潜んでいた人物の襟首を掴んで引き上げた。
「あ」
「どういうつもり?」
帽子とサングラスで変装しているつもりなのだろうが、知り合いが見ればバレる程度のお粗末なもの。おまけに愛人同士となれば一目瞭然だ。
「あら、あなたも買い物? き、奇遇ね……?」
椎奈は引きつった笑みを浮かべた。が、全く取り繕えていない。ああ椎奈よ、お前もか。真弓、椿に続いて娘のストーカー継母がここにもう一人。柚子はなんだか裏切られたような気持ちになった。
周囲の目があるので、ひとまず人気のない非常口前に移動した。継母三人が揃ったところで、真弓が尋問を始めた。
「昨日の余裕はどこにいったの。あんた、全然関心なかったじゃない」
俯いて明後日の方向に視線をやる椎奈。やがて黙秘の無意味さを悟ったのか、椎奈はハンドバッグから折り畳んだ紙を取り出した。
「何よ」
「……読んでみて」
真弓は受け取った紙を広げた。後ろから柚子が覗き込むと、それは書き損じの便箋だった。
『青春という名の情熱が燃え上がる季節がやってまいりました今日この頃、いかがお過ごしでしょうか』という若干意味をはかりかねる時節の挨拶から始まる手紙は、内容も同様にーーいや、さらに意味不明だった。
『あなたの名前を耳にする度、あなたの顔が思い浮かびます。でも、あなたとの距離が離れるほど、遠くに感じてしまうのです。ああ、鼓動が止まらない……あなたのことを考えただけで。あなたは私のソレイユ。永遠とはあなたに会えない一日』
書き出しだけでこのていたらく。早くも読破を断念した真弓は不快げに眉を寄せた。
「なにこの馬鹿丸出しの手紙。よくもこんな壊滅的なセンスで生きてこれるわね。恥ずかしくないのかしら」
「恋文、だよな?」柚子は椎奈に目を向けた「椎奈、これは一体どこ、で……」
疑問を口にしている途中で柚子は大方を察した。真弓が語る『雪見の初恋疑惑』には乗ってこなかった椎奈が、急遽雪見を尾行しているこの状況。おまけに、よくよく見ればこの丁寧な優等生文字には覚えがあった。
「まさか」
椎奈は沈痛な面持ちで頷いた。
「……今朝、雪見の部屋を掃除していたら」
「嘘よ」
真弓は手紙を握り潰した。その手は小刻みに震えていた。
「冗談はやめて。何かの間違いよ。私の雪見が、こんな……っ! こんな、痛々しい、読み上げるのもおぞましい手紙を、だなん、て……」
「私だって信じられなかったわ!」
人目もはばからず椎奈は声を荒げた。
「あんたに私に気持ちがわかる? 白羽家にしてはまともに育っていた雪見が、よりにもよってこんな痛々しいポエムに手を出すなんて、」
何やら込み上げてくるものがあるらしく、椎奈は身を折って、ハンカチを目に当てた。
「ああ……成政様になんて言えばいいの」
「敢えて報告することじゃないだろ。たかがポエム一つで」
「そうよ。嘆いている場合じゃないわ」
真弓は手紙を折りたたむと手帳に挟んでバッグの奥底に押し込んだ。
「揉み消せない不祥事はないの。まだ手遅れじゃないわ。あきらめないで、解決策を講じましょう」
すごく前向きなんだか後ろ向きなんだかよくわからない発言に柚子は首をひねった。が、椎奈は励まされたようだ。涙を拭いて立ち上がった。
「そうよね。あんたの言う通りだわ」
「まずは雪見の頭をお花畑にした男を特定。迅速かつ隠密に排除して、雪見の目を覚まさせないと」
「そうね。文書などの証拠隠滅も並行して行えば……うん。たぶん大丈夫ね」
「どこが⁉︎」
娘の片想い相手ごと初恋を揉み消す親なんて聞いたことがない。
「二人とも落ちつけ。まずはちょっとここを出て、喫茶店でお茶でもしばいてだな」
「雪見が動いたわ!」
「四階ね。追いましょう」
真弓と椎奈は頷き合い、非常階段を駆け上りはじめた。
精神的にも物理的にも置いていかれた柚子は、鈍痛のする頭に手を当てた。
なんということだ。暴走継母が二人に増えてますますややこしい事態になった。
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