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【番外編】雪見と菫と桜と(後編)
「いつまでそこにいるつもりよ」
「菫さーん」
二人で呼びかけるもクローゼットから応答はない。完全に籠城を決め込んでいる。桜と真弓は顔を見合わせた。
雪見が絵の習い事で外出していたのがせめてもの救いだった。仮にも娘に母親同士の醜い争いは極力見せたくはない。いつも失敗しているが。
「柚子を呼んで強行突破しましょうか」
「そんな……凶悪犯の立て籠もりじゃないんですから」
「犯行動機がわからない分、凶悪犯よりタチが悪いわよ」
真弓はクローゼットに向かって呼びかけた。
「要求を聞こうじゃないの。何が目的よ」
「寄ルナ。散レ」
とりつく島もない。
額に青筋を浮かべた真弓を桜は押し留めた。説得役が怒ってしまってはまとまるものもまとまらない。そして桜は菫の動機も察しがついていた。
「菫さん、先ほどはすみませんでした」
興味がないのだと思っていた。菫の態度はいつだって素っ気ない。義務だから仕方なく雪見の側を離れないのだと。
しかしそれは大きな間違いだった。
雪見が成長するにつれ菫も多少距離を置くようにしていたが、相変わらず雪見の部屋のクローゼットは菫の寝所だし、一番雪見と接する時間は長い。雪見の隣は自分の場所だと菫は思っているのだろう。ただ顔や態度に現れないだけで、菫は真弓に負けず劣らず雪見のことを可愛がっていたのだ。
「でもせっかくのお天気ですし、ブーツは洗いましょうよ」
「必要ナイ」
「ご遠慮なさらずに。雪見の運動靴を洗うついでですから」
扉の向こうの尖った気配がわずかに動揺した。ダメ押しとばかりに桜は付け足した。
「一緒に洗って、並べて干しましょう。きっとすぐ乾きますよ」
これで十分。桜が気づいていることに菫は気づいたはずだ。
あまりにも自然に続いていたので違和感を覚えなかったが、無精な菫が靴だけは毎回丁寧に置いているのはおかしい。
意味があったのだ。他人が見たら奇怪な行動でも、菫にとっては大切な意味が。
クローゼットがゆっくりと開かれた。
「雪見ニ、言ウナ」
銃口を向けて凄まれても、まるで脅威に感じなかった。大の男ですら片手で投げ飛ばす菫は、自分のささやかなルーティンを雪見に知られることを恐れている。ともすれば頬が緩むのを桜は堪えた。
「言いませんけど、雪見はたぶん知ってますよ?」
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