4人が本棚に入れています
本棚に追加
付き合うことになった私と伊藤 隼斗は、様々な所に出掛けました。私は楽しいのかどうか、自分のことなのによく判りません。
「なぁ、彩葉。お前ペンギンの小物好きだったよな」
「そうね」
好きでしたが、持っていたペンギンのキーホルダーを伊藤に壊されてからは持ち歩くのを止めました。
「昔こういうの持ってなかった?」
出店で伊藤が手にしたのは壊されたのとほぼ同型のキーホルダー。返事もせずに見ていると、伊藤は支払いを済ませていました。
「はい。ごめんな、確か俺が壊したよな」
手の中に押し付けられたキーホルダー。けれど、好きだったあのペンギンではありません。戻ってきたわけではありません。
「俺の分も買った。彩葉とお揃いだな」
屈託のない、爽やかな笑顔。
「……どうして私が好きなの? どうして私なの?」
不思議で堪りません。あんなに虐めてきたのに。実はドッキリを仕掛けられていた、と言われた方が余程説得力があります。
「何だよ、まさか信じてない? まぁ、昔イジメてたけどさ。良くあるじゃん、素直になれなくて好きな子をイジメちゃうってヤツ。俺は典型的なそれだったんだよ」
好きだからイジメる。何かが軽く感じます。
「そう……そんなに昔から好きだったんだ」
「ちゃんとさっさと口に出してればこんなに遠回りしなくてもよかったんだよな。本当、ガキだったな、俺」
私を虐め抜いた男の子は、成長して大人の男になって私の前に姿を現しました。自分の心は清らかだと信じて。
私の心に何かが広がっていきます。
肩を抱こうとしてきた腕を避けます。まだ、そんな深い触れ合いは早いでしょう。
「あ、ごめん。嫌だった?」
表情を僅かに曇らせて、行き場のなくなった手を持て余しています。
「……まだ、こっち」
私はそう言い、手指を絡めました。途端に伊藤の表情も緩みます。
「そうだな。少しずつな」
もう子どもではありません。もう立派な大人。勿体ぶるような女でもありません。けれど──まだ、全部は晒せません。
私は家に戻ったあと、日記を書きます。日付も正確に、どこに行ったか、どんな会話をしたか。どんなことを言われたか。きっちり、正確に。こんな風に日記を書くのは、虐められていたころ以来です。どんなことをされたか、どんなことを言われたか……記録は証拠になります。
腹の中がモヤモヤする。これがどんな感情なのか判りません。どんな感情か判らないこれは、どこに行き着くのでしょう。
* * *
付き合いは意外にも長くなり、どうやらこれが仕掛けられたドッキリではないようだと判りました。過去のことはどうすればいいのか、胸に広がるモヤモヤした感情は何なんでしょう。
「あ、隼斗じゃない」
一緒に街を歩いていると、誰かしら知り合いに合います。伊藤は随分顔が広いようです。それについて特に何も思いません。
「あら、その子なの?」
伊藤の後ろに立っている私を覗き込むように見てきました。そして私の顔を見るなり、見下すような視線を投げてきます。
「ドラマみたいね。昔から片想いされてたなんて。全然気付かなかったの?」
「おい、止めろよ」
気付かなかった? 何を?
「それとも気付いた上で隼斗を振り回していたのかしら?」
「おい、変なこと言うなよ!」
馬鹿馬鹿しい。馴れ馴れしいこの人は、私がどれだけ伊藤に虐められてきたのか知らないからこんなことを言えるのでしょう。
「何よ、隼斗がいつもこの子のこと話してたから、どんな子なのか興味あるじゃない」
「もういいから、帰れよ」
伊藤は私の肩を抱いて足早にその場を去ります。
「悪い。あれ、大学の時の同期生なんだ。色々お前のこと相談してたから……」
色々。相談。私のことを、誰か他のひとに? 昔、好きな子を虐めたって? 好きなのに虐めたって?
肩に置かれた伊藤の手を払います。払われてやっと、伊藤は肩を抱きっぱなしだったことに気付いたようです。僅かに傷付いたような表情をしましたが、それが何だというのでしょう。
帰ってから、この日のことも日記に書き留めました。何を言われたか。言われて私がどう思ったか──……
まだ早いと思っていたけれど、付き合いを進めてあげることにしました。男の性なんでしょうね。唇を許してあげた日は感極まった様子で苦しいくらいに抱き締めてきました。
その時、初めて──私の胸のモヤモヤしたものの正体を理解しました。
理解したならば、行動あるのみです。やっぱり日記を付けていたことは正解でした。
取り敢えず、相談だけでも実績を作っておかなければなりません。前々から相談していた、という事実が必要です。
楽しみになってきました。
最初のコメントを投稿しよう!