序章

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序章

 出口はすでに包囲されているだろう。  美玖(みく)は、全速力で地下へ向かう階段を目指して駆けていた。階段を降りれば、下水へ通じる地下通路がある。そこから、逃げることができるはずだ。少なくとも、この屋敷からは脱出することができる。 「ああああああああああああああ」  女の悲鳴、いや、叫び声がした。金切り声に近いそれは、誰かが襲われたことを示している。  近い。やつらは、美玖を追ってきているのだ。 「なんで俺がっ」  自分の耳にさえ届かない小声で悪態をつきながら、後ろをふり返った。全身をグレーの防護服で身を包んだ者たちが、こちらへ向かって駆けてくるのが見える。  ぎょっとして足に力を込めた瞬間、膝から床に崩れ落ちた。  顎を、床に敷かれた薄い絨毯で強打し、頭のなかが一瞬まっ白になる。それでも本能だけで立ち上がろうとしたが、思うように足が動かない。操り人形の糸が切れてしまったかのように、膝から下の感覚が消えていた。 「あれだ。美玖を殺せ、敷島(しきしま)の息子だ!」  シキシマのムスコ。  その言葉が、他人事のように聴こえた。感覚のないと思った足が、酷く熱い。  背中に、衝撃がきた。細長い筒状の棒で、何度も背中を突かれたような、奇妙でいて重圧な衝撃だった。  逃げなければ、殺される。  そう思い、咄嗟に腕を突っ張って立ち上がろうとしたが、ぬるりとした感触に滑って再び床で強打した。  足元に、血溜まりがある。そう理解すると同時に、再び背中に衝撃がきた。  死にたくない。  死にたくない。 「助け、て。兄、さ」  かろうじて動いた手だけを、伸ばした。  ぼやける視界の中、伸ばした指の先に、誰かが走ってくるのがみえる。青い背広を着込んだ大人たちだ。  あれは、神王殿の警備隊だろう。  義父である敷島勇人(ゆうと)が、神王に助けを求めたのだろうか。 「止めを刺しておけ」  すぐ近くで、チッという舌うちとともに、男の声がした。覚えのあるその声が誰ものか記憶が探り当てる前に、何度目だろう衝撃が、美玖を襲う。ドンドンと、背中を抉るような痛みに、全身が悲鳴をあげた。 「っ、あ」  言葉にならない声が口から洩れ、視界が真っ赤に染まった。  これで死ぬのだ。美玖の人生は、たかだか十六年で終えてしまう。 ――お前には、辛い道が待っているだろう。けれど、しっかり自分の道を歩くんだよ  繰り返し兄に言い聞かされてきた言葉が、不意に脳裏へ流れ込んできた。  道なんて、ないじゃないか。  途切れている道を、どうやって歩いていけばいいんだ。  ぼんやりと霞む視界の先で、警備兵が銃を連射しているのが見える。無音銃を所持しているのは、国家直属の兵士だけだという。やはり、彼らは神王によって派遣されたのだ。  後ろで、何人かの男が叫び声をあげた。ふり返ることは叶わないが、どしゃりと崩れるように倒れ込む音がした。  警備兵の男がひとり、こちらに駆けよってくる。 「子どもだ。まだ生きている」 「救護、いそげ!」 「おい、意識はあるか。無理にしゃべらなくていい」  差しのべられた手は、美玖の頭を撫でた。 「神王神下が、助けてくださる。安心しろ」  男の言葉は、とても力強かった。  かすれゆく意識のなかで、ふと、まっ白い幻をみたような気がした。  *
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