第二章

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 寮の中は、閑散としていた。  生徒たちの慌ただしい様子を想像したが、非常事態の場合どういった行動を取るのか教え込まれているようだ。  部屋から出ずに、指示があるまで静かに過ごす。恐らく、そう言った類のことだろう。  美玖はコウと別れたあと、部屋に戻った。  室内の天井に設置されたスピーカーから、待機するようにという音声が、エンドレスで流れている。  窓から、そっと寮の周辺を伺った。  これから警備も厳重になるだろうが、今のところ変化はない。数多ある研究施設も、大人しいものだ。  各建物それぞれに、指示があったのだろう。  非常事態の場合、内宮より神王殿総司令部に命令が届き、それを軍部が各研究所や学習校舎へ告げる仕組みになっていた。  美玖は敷地内の見取り図を持つと、部屋を出た。物音をたてずに、それでも可能な限り早く、廊下を進んでいく。  一階、廊下の突き当たりまで行くと、窓から外の様子を確認した。  ここは学習校舎を囲むフェンスが高く死角になっているため、外からは見えにくい。  絡まった蔦がカーテンの変わりに視界を遮っているのも、実に都合がよかった。  窓から庭へ降りると、身体を屈めた。  実際に抜けだそうとする者などいないため、正面玄関の施錠など、形式だけのものだ。  抜け出そうと思えば、どの窓からでも抜け出せた。  ツツジの茂みに身を滑り込ませると、足を止めた。  離れた学舎を一度だけ振り返り、地図を開く。  あちこちに書きこまれた罰印は、美玖が毎朝のランニングで集めた情報の結果だった。  辺りはすでに暗くなり、そこここに設置された電灯の明かりが付き始める。  周囲はうるさすぎるほど静かで、先ほどの爆発などなかったかのようだ。  脱出ルートは、決めていた。  外部に繋がるだろうドアが、北塔の奥のフェンスにある。人目にもつかない場所で、警備さえいないという格好の脱出ルートだ。  ただ、完全なオートロックで、カードキーを差しこまなければドアは開かない仕組みだった。  足早に北塔奥までたどり着いた美玖は、そびえるフェンスを見て目を眇めた。  外部から、あるいは内部から人を通さないための防護柵であり、人が乗り越えるには時間と体力が必要だろう。てっぺんには、槍のようなものもついている。  元より、オートロックのドアを開くつもりはない。  このフェンスを、登るのだ。人目につかないここならば、多少時間をかけても問題ないだろう。  少なくとも、美玖一人で訓練された警備兵を倒しながら他の出入り口を進むよりは、ずっと効率がいい。  北塔のうしろへ回り込んだ美玖は、辺りを確認した。  つい先ほど爆発があったばかりなのに、不気味すぎるほど静かだ。  ごくりと生唾を飲み込むと、地図をズボンのポケットに押し込んでフェンスに手をかけた。ぐっと手に力を入れて、反対の足をフェンスの金網に突っ込む。  フェンスを隔てた向こう側にみえる林の奥から、不気味な風がふいていた。こちら側の美しく剪定された庭とは正反対の、自然に近い林は、真っ暗で灯りひとつない。  一歩、二歩と歩みを進めて行く。軋む金網を、できる限り揺れないようにしながら、それでも止まることはしなかった。  焦っては、いけない。  焦って落ちれば、余計な体力を使ってしまう。  三分の一ほど登ったころだろうか。  ふと、近くで音がした。  身体が強張り、その場で動きを止める。  息をひそめていると、草を踏みしめる足音が近づいてきた。  一人ではない。  少なくとも、二人はいる。  心臓が、爆発しそうなほど脈打つのを感じた。 「あっ、いた。美玖ぅー!」 「……コウ?」  驚いて下を見れば、コウが涙ぐみながら走ってくる。  その後ろに、さらに見知った顔を見つけ、美玖は目を見張って凝視した。驚きのあまり落ちそうになり、慌ててフェンスを掴んだほどだ。  白衣に、その間から見える適当にボタンを止めただけのシャツ。だらしなく下げられたズボン。ぼさぼさの頭に、やたら綺麗に剃られたヒゲ。 「なぜ、三ツ谷医師がこちらに?」  三ツ谷は、東区で開業医をしていた医者だ。  敷島と古くからの知り合いでもあり、美玖の腕を長年診てくれている、主治医でもある。  現在は神王殿へ召し上げられ、警備隊の専属医として医療を施しているという。おそらく、律と同僚だろう。  今でも、美玖の腕を診察する際は人目を忍ぶように敷島邸へやってきていた。 「おー。お前がここにいるって聞いて、会いにきたんだよ。腕診てやろうと思ってさ。まぁ、いったん降りようや。そのフェンス、上の方に横一本鉄が通ってるだろ? それから上は高圧電流流れてっから、触った瞬間真っ黒だぜー」  ぎょっとして、フェンスを見上げた。  僅かに迷った末、そろそろと降りはじめる。  地面に片足がついた瞬間、背中から抱きしめられた。 「美玖―、急にいなくなるからびっくりしたー!」 「なんでお前がここにいるんだ」 「室内待機から、寮待機になったんだよ。それで、美玖の部屋にいったら、いないし。びっくりして」 「んでコイツが、お前を探しにいこうと窓から身体半分突き出してたとこ、見つけたんだ」  三ツ谷がコウの言葉を引き継いだ。 「あぶねぇヤツだなぁ。無断外出だぞ。見つかったら、どうすんだよ。無謀にもほどがあるっつーの。つか、美玖がどこに行ったかも知らんで、当てもなく庭園内探すつもりだったんか」 「当てがなかったわけじゃないけど、つい気持ちがはやって」  しょぼん、と落ち込むコウは、叱られた猫のようだ。長身なのがまた、醸す印象と不釣り合いすぎて、少しだけ笑える。 「……二人は、知り合いか」  コウに聞くと、まぁと曖昧な返事がきた。  コウは三ツ谷へ視線を向けたあと、、ふいっと顔を反らす。 「なんだ、二人は言えない関係なのか」 「言えない間じゃねぇっつーの。俺、医者だぜ? 関係なんて一つしかないだろ」 「わわ、ちょっと。言わなくていいですからっ」 「なんだよー。健気だなぁ、お前も」  医者との関係など、限られている――患者だ、おそらく。  だが、美玖はあえてそれを追求しなかった。コウは、そういうことを望まない。  知られたくないと思っていることを、掘り返す必要もない。  なにより、今は時間がおしい。 「んで、こっから出るんか」 「っ」  唐突に、三ツ谷が言った。 「脱走するんなら、手助けしてやらんこともないけど。あ、俺のこと信用できねぇ?」 「信用できますよ! ねぇ、美玖」  できるはずがない。  三ツ谷は、美玖の主治医だ。  そして、敷島と古い友人でもある。敷島とつながりがある者が、辰巳と繋がりがないとは言い切れない。  同意を求めるコウに顔をしかめて、三ツ谷をみた。  三ツ谷はそんな美玖に気づかずに、あるいは無視をして、白衣の内ポケットをまさぐっている。 「あ、あったあった。これだ!」  じゃじゃじゃーん。  そう言いながら取りだしたのは、一枚のカード。 「これは、IDカード?」 「おうよ。これがあれば、ドア開けまくり。だって俺、偉いんだもん。苗字あるんだぜ? 貴族だぜ? カード一枚で全部パスだっちゅーの」  ぴらぴらとカードを見せて、にやりと笑った。 「神王領土を出たとこまでなら、案内しちゃる」 「目あてはなんですか」  間一髪入れず問い返すと、三ツ谷はふふんと口端を歪めた。 「お前がここを出る。それが、俺のためにもなるんだよ。だから、お前のためじゃねぇ」  自分の利益になるために人は動く。  敷島の教えの、ひとつだ。そしてそれを、美玖は信じている。美玖が信じていることを、三ツ谷は知っていた。  どんな行動にも理由がある。  動機は自らのためにある。  そう思わせて信憑性を持たせれば、自ら負担を追うことがない分、相手は安易に信じるのだ。 「自分のために、ですか」  随分と濁された言葉だ。  真実のカケラもみえず、適当すぎる。 「そうそう。じゃ、とっとと行こうぜ。急がんと、時間ねぇぞ」  三ツ谷は信用できない。  医師としてその腕を信じられても、自らの運命を任せられるほど信頼を寄せてはいなかった。  だが、時間は迫っている。もう、脱走がばれているかもしれない。一刻も早く、ここを出なければ。  例え騙されたとしても、警戒を怠らなければいい。  いや、考えが拙すぎるだろうか。  そうこう考えているうちに、三ツ谷はカードをドアに差し込んだ。  ピピッと小さな音がして、オートロックが外れる。 「じゃあ、行くか。しっかりついてこいよ、この森を突っ切るから」 「これって森なんですか! 初めてみました。普段こんなとこまで来ないから」  コウが、感心したように声をあげて、三ツ谷のあとについていく。問題はそこではないだろうと思いながら、美玖はコウの腕を掴んだ。 「待て」 「え? なに。早く行かないと」 「だから、待て。間違ってないか」 「わりぃ。森っちゅーか林だよな。だって山になってねぇもん」 「そこじゃありません。そこではなく……コウ、なんでお前が一緒に行くんだ」  さも、当然のように。  寮に姿がみえないから、探したというのはまだわかる。教員に知られる前に、美玖を連れ戻しにきた――そう思った。 「連れ戻さなくていいのか」 「僕は美玖と仲がいいから、君がいなくなると手引きしたと疑われる。……だから、保身のために美玖を探してた、って思ったの?」  嫌みなほど丁寧な説明は、間違っていない。その通りだ。 「だったら、事前に止めてるし。仲良くなんて、しないもん」 「……事前?」 「うん。だって美玖、脱走を計画してたでしょ? 最初から」 「なぜそう思う」 「対人関係に気を使ってるくせに、気にするのは将来より警備の時間や人数ばかり。庭園に興味もったかと思ったら剪定じゃなくて、外へ通じる場所ばっかり確認してる。あげくに、早朝ランニングにかこつけて、あっちこっち見てまわってさー。逃げます、って言ってるようなものじゃん」  コウは、観察力が鋭い。  美玖が、思っていた以上に――よくみている、ようだ。  隠せていなかったことが情けなく、承知のうえで黙っていたコウに対し、恥ずかしさを覚えた。 「なんにしても、お前には関係ないだろう」  僅かばかり声を荒げると、しーっと人差し指を口に押した格好をされる。 「駄目だよ、静かにしないと」 「ならば、とっとと」 「いいの。僕は最初からここを出たかったんだ」 「嘘だ。脱走など、お前はのぞまない」 「……言いきるね。よく僕のことを知ってるんだ?」 「バイオ研究に進みたいと、言っていただろう。あのときの言葉は、嘘じゃない」 「嘘かなんて、わかんないのに。美玖は、人がいいね」  コウは、離れた場所で立ち止まっている三ツ谷に駆け寄った。振りほどかれた腕は、向きを変えて「早く早く」と手招きへと変わる。  動こうとしない美玖に、コウは苦笑を浮かべた。 「美玖と一緒にいたいんだよ。少しでも、長く」 「……なんだ、それは。気持ち悪いぞ」 「あははっ。でも、ほんと」  話の区切りがついた、そう思ったのか、三ツ谷が歩き出した。  その後ろに、コウが続く。  さらに後ろへ、美玖が続いた。  林は、とても広い。  庭園から建物などの人工物をとってしまったように、木々だけが乱雑に存在する。
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