第二章

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 ぼんやりとみえる三ツ谷の白衣を見失わないように、美玖は必死に目を凝らしながら進んだ。 「なんで、お前も行くんだ」 「美玖も引かないねぇ」 「見送りなど、いらないからな」 「わかってるって、僕も行くんだよ。置いていったりしないでよー」 「意味がわからない。お前は卒業したいと言っていただろう」  学習校舎を――神王領を出るということは、神王の命令に背いたことになる。  つまり、今後出世は見込めない。  それどころか、捕まれば最悪死罪さえありえるのだ。一生を棒に振るだけの価値が、彼にとってこの逃亡にあるとは思えない。  一生を棒にふる。  その意味を、重要性を、理解していないはずはないのに。  何度か繰り返し戻れと告げたが、どれもあしらうように誤魔化される。  戻る気はないのだと、そこだけは同じように繰り返し言い返された。  しばらく歩いた先に、またフェンスが見えた。  フェンスの向こう側には、コンクリートの駐車場がある。枠に沿うように並んだ車は、軍部が使用するジープだ。  駐車場のさらに向こうには、庭園内を仕切っていたものと同じ、一メートルほどの小さなフェンスがあった。 「あのフェンスの向こうは、もう街だ。ちょっと歩くけどな。まず、ここから出ねぇと」  三ツ谷は林内をフェンスに沿いながら歩き出す。わずかもしないうちにドアを見つけ、同じようにカードを差し込んで開いた。 「なぁ、美玖」  ジープの駐車場を渡る際、三ツ谷が声を潜めて話かけてきた。 「命ある人間っていうのは、みんな何かしらの役目があるんだと」 「……役目?」 「そそ。俺にも、役目があった。俺はそのために、今まで動いてきた。ほとんどの人間はな、自分の役目に気づかないまま無意識に行動してるもんだ。でも俺はたまたま、自分の役目を知っちまった」 「運命みたいなものですか」 「ちょっと違うかなぁ」  ぽりぽりと、三ツ谷が顎をかいた。 「俺にさ、役目があるように。美玖、お前にもあるんだよ」 「……三ツ谷医師?」 「ほら、止まるなよ。とっととフェンス越えろ」  街と駐車場の境目であるフェンスを、三ツ谷に押されるまま乗り越えた。  とん、とコンクリートの地面に降り立つ美玖の手前で、三ツ谷は動きを止めた。フェンスの向こう側に立ったまま、別方向を向いている。  つられるように顔を向けた先に、青い服をきた男たちが見えた。 「見つかったかぁ。あーあー」 「三ツ谷医師っ」 「俺は大丈夫だ。これでも、顔はきく。つか、お前ら早く行け」  そう言って、猫を追い払うようにしっしっと手を振ってみせた。 「逃げろって」 「ですが」 「美玖、誰にも役目ってのがあってなぁ」 「それは聞きました。本当に大丈夫なんですか」 「役目は、全部の者にある。俺にも、お前にも、それに……楼杏にもだ」  楼杏、という言葉の響きに、美玖は目を見張った。  三ツ谷が、楼杏を名前で呼んだ。  他者の口から彼の名をきくのは初めてのことで、新鮮さと愛しさが身体中に染みわたる。  もしかしたら、楼杏は自分が作り出した妄想だったのかもしれない――そんなことを考えたことがあることもまた、事実だ。  楼杏の存在は、美玖にとって都合がよすぎたから。  どんな表情をしていたのだろう。  三ツ谷は、にやにやと笑みを浮かべた。 「楼杏に会ったら、よろしく言っておいてくれ。俺を親友って呼んでくれて、ありがとなって」 「三ツ谷医師は、兄とは親しかったんですか」 「当たり前だろー、勇人とお前の大事な人なんだから」  行けよ、と三ツ谷は街を指さした。  見なれない街のなかに、ぽつぽつと灯りが灯っている。  覚えのない景色なのは、北区に屋敷を構えていたからではない。  それもあるだろうが、美玖自身、歩いて街に降りたことがなかったためだ。 「美玖、早く行こ。まずいよ、捕まっちゃう」  コウに促され、美玖は三ツ谷へ手を伸ばした。その手を継げなくはたき落され、苦笑を向けられる。  美玖は、唇を噛んだ。  青服の男たちが、近づいてくる。 「行きます」 「おう、行って来い」  美玖はコウと顔を見合わせると、三ツ谷に背を向けて、街へ駆けだした。  もう、後ろをふり返ることはなかった。  *
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