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ぼんやりとみえる三ツ谷の白衣を見失わないように、美玖は必死に目を凝らしながら進んだ。
「なんで、お前も行くんだ」
「美玖も引かないねぇ」
「見送りなど、いらないからな」
「わかってるって、僕も行くんだよ。置いていったりしないでよー」
「意味がわからない。お前は卒業したいと言っていただろう」
学習校舎を――神王領を出るということは、神王の命令に背いたことになる。
つまり、今後出世は見込めない。
それどころか、捕まれば最悪死罪さえありえるのだ。一生を棒に振るだけの価値が、彼にとってこの逃亡にあるとは思えない。
一生を棒にふる。
その意味を、重要性を、理解していないはずはないのに。
何度か繰り返し戻れと告げたが、どれもあしらうように誤魔化される。
戻る気はないのだと、そこだけは同じように繰り返し言い返された。
しばらく歩いた先に、またフェンスが見えた。
フェンスの向こう側には、コンクリートの駐車場がある。枠に沿うように並んだ車は、軍部が使用するジープだ。
駐車場のさらに向こうには、庭園内を仕切っていたものと同じ、一メートルほどの小さなフェンスがあった。
「あのフェンスの向こうは、もう街だ。ちょっと歩くけどな。まず、ここから出ねぇと」
三ツ谷は林内をフェンスに沿いながら歩き出す。わずかもしないうちにドアを見つけ、同じようにカードを差し込んで開いた。
「なぁ、美玖」
ジープの駐車場を渡る際、三ツ谷が声を潜めて話かけてきた。
「命ある人間っていうのは、みんな何かしらの役目があるんだと」
「……役目?」
「そそ。俺にも、役目があった。俺はそのために、今まで動いてきた。ほとんどの人間はな、自分の役目に気づかないまま無意識に行動してるもんだ。でも俺はたまたま、自分の役目を知っちまった」
「運命みたいなものですか」
「ちょっと違うかなぁ」
ぽりぽりと、三ツ谷が顎をかいた。
「俺にさ、役目があるように。美玖、お前にもあるんだよ」
「……三ツ谷医師?」
「ほら、止まるなよ。とっととフェンス越えろ」
街と駐車場の境目であるフェンスを、三ツ谷に押されるまま乗り越えた。
とん、とコンクリートの地面に降り立つ美玖の手前で、三ツ谷は動きを止めた。フェンスの向こう側に立ったまま、別方向を向いている。
つられるように顔を向けた先に、青い服をきた男たちが見えた。
「見つかったかぁ。あーあー」
「三ツ谷医師っ」
「俺は大丈夫だ。これでも、顔はきく。つか、お前ら早く行け」
そう言って、猫を追い払うようにしっしっと手を振ってみせた。
「逃げろって」
「ですが」
「美玖、誰にも役目ってのがあってなぁ」
「それは聞きました。本当に大丈夫なんですか」
「役目は、全部の者にある。俺にも、お前にも、それに……楼杏にもだ」
楼杏、という言葉の響きに、美玖は目を見張った。
三ツ谷が、楼杏を名前で呼んだ。
他者の口から彼の名をきくのは初めてのことで、新鮮さと愛しさが身体中に染みわたる。
もしかしたら、楼杏は自分が作り出した妄想だったのかもしれない――そんなことを考えたことがあることもまた、事実だ。
楼杏の存在は、美玖にとって都合がよすぎたから。
どんな表情をしていたのだろう。
三ツ谷は、にやにやと笑みを浮かべた。
「楼杏に会ったら、よろしく言っておいてくれ。俺を親友って呼んでくれて、ありがとなって」
「三ツ谷医師は、兄とは親しかったんですか」
「当たり前だろー、勇人とお前の大事な人なんだから」
行けよ、と三ツ谷は街を指さした。
見なれない街のなかに、ぽつぽつと灯りが灯っている。
覚えのない景色なのは、北区に屋敷を構えていたからではない。
それもあるだろうが、美玖自身、歩いて街に降りたことがなかったためだ。
「美玖、早く行こ。まずいよ、捕まっちゃう」
コウに促され、美玖は三ツ谷へ手を伸ばした。その手を継げなくはたき落され、苦笑を向けられる。
美玖は、唇を噛んだ。
青服の男たちが、近づいてくる。
「行きます」
「おう、行って来い」
美玖はコウと顔を見合わせると、三ツ谷に背を向けて、街へ駆けだした。
もう、後ろをふり返ることはなかった。
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