第一章

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 ぼんやりと見つめる先には、まっ白い天井があった。  首だけを動かして辺りを見ると、どこかの治療室のようだ。  殺菌のためか、清潔感ただようまっ白な備品に囲まれ、美玖ひとりがベッドの上に寝転がっている。辺りには窓も人の姿もなく、肘を突っ張って上半身を起こした。  見れば上半身は裸で、首から鎖骨にかけて包帯がぐるぐる巻きに巻かれている。痛みはないが、喉の奥と背中を中心に、痒みに似た違和感を覚えた。 「……どこだ、ここ」 「あら、起きたのねー?」  語尾をあげた一際明るい声に顔をあげれば、衝立の向こうから覗きこんでくる女性がいる。歳のころは、二十代半ばほどだろうか。随分と女性らしい体つきで、垂れた目が柔和に微笑んでいる。 「気分はどう?」 「悪くない、です。ここは施設ですか。研究の」 「ここはね、神王殿内の医務室。青服さんたちの治療場って言えばわかりやすいかしらー」  ぎょっとした美玖に、大丈夫大丈夫と女性は手をふった。白衣をゆったりなびかせながら近づいてくると、ぺたりと美玖の額に手を当てる。  ずいぶんとおっとりした女性らしく、口調も動作もその場だけ時間が遅くなったかのようにさえ、感じられた。 「うんー、熱も下がってるし大丈夫みたい。傷も回復。君の生命力は凄いわぁ」 「あの、兄は」 「まぁまぁ、落ち着いて。まず、君の傷の手当てからだわぁ」  尚も口を開こうとした美玖に、彼女は手のひらを突き出した。 「順番を追って話すから、とりあえず落ち着いて。まず、わたしはここ、神王殿付きの医者です。といっても神下専属医じゃないから大したことないんだけどぉ」 「あなたが、助けてくださったんですか」 「ここにくることになった理由は、覚えてるのねー」 「父の屋敷が襲われて。青服の、警備兵がきて」 「そうなの。救出されて、ここに連れてこられたの。で、ついさっき目が覚めたのよー」  女医は微笑むと、美玖の身体に巻かれた包帯を、外していく。 「あなた、凄い傷だったのよ。背中撃たれまくりで、生きてるのが不思議なくらいだったそうよ」 「俺、撃たれたんですか!」  美玖は驚いた。  もちろん撃たれた経験など過去になかったし、撃たれれば即死という印象があったからだ。 「気づいてなかったの? 普通なら即死らしいわぁ。でも、貴方は生きているのね」  ふと、女医の目が細められた。 「それって、必然だと思うの。神下のお言葉に、『この世に偶然はない』というものがあるけれど。貴方が生き残ったこともまた、運命なのよ」 「……兄さんは」  兄は、どうしたのだろう。  最後に楼杏を見たのは、いつだったか。たしか、屋敷内の襲撃に気づく数分前だ。庭で読書に勤しむ姿をみた。  だが駆け寄る前に、襲撃にいち早く気づいた美玖は、楼杏を置いて一人で――。  さっと背筋が凍りついた。指先の体温が消えていくのを感じて、忙しなく指を動かしてみるが、凍ってしまったかのように感覚がない。 「あら、そうそう。あなた、意識手袋をしてるのね。調べてみたけど、難病登録してるみたいだし、そのままにしてあるけど。念のために、一度皮膚を見せてもらってもいいかしら」 「兄は、いないんですか。屋敷に、一緒にいたんですけど」  女医が、美玖の手を掴んだ。楼杏とは違う、女性らしい手だ。けれども、彼の手のひらの方が何倍も優しい。  両腕を意識手袋で覆っているため、彼女には美玖の手袋を脱がすことはできない。それでも素肌を確認したいのだろう。手のひらを撫でては、手袋の感触を確認している。 「屋敷内で遺体を特定できたのは、研究員と使用人の数名だけみたい。他は判別できず、特定には時間がかかるんですって。少なくとも、現状では貴方のお父様やお兄様の死亡報告はないわぁ」 「……じゃあ、生きてるんですね」 「断言はできないけれど。お父様はクローン研究の第一人者だし、民主主義派に人質として連れ去られたとしてもおかしくないわ。あなたのお兄様も」  つまり、現状は行方不明ということだ。  ほっと息をつくこともできず、美玖はうなだれた。  兄は、生きている。  生きているはずだ。 「ねぇ、ちょっとでいいから手袋、外してくれないかしら?」 「ですが、触れたら」 「私が手袋つけるから大丈夫よー」  女医は自らの手にゴム手袋を三重に巻くと、早くと言って美玖を急かした。  気が乗らなかったが、神王殿内の医師となればみせても構わないだろう。少なくとも、惨事になることはないだろうから。  外れろ。  念じれば、両腕を覆っていた透明な布が浮かび上がるように色を得る。くっきりとした肌色の手袋が現れ、美玖はそれらを外した。  女医が美玖の腕に触れる瞬間――お互いの全身が、強張った。緊張のためだ。  美玖の腕は、大きな病気を抱えている。病原体と言っても過言ではない、爆弾を抱えているのだ。  ひと通り腕を確認したあと、女医はほっと息を吐いた。 「よかった、傷はないみたいね。本来の疾病に関しては、私は治療の権限を持ちません。特定疾患でも三百疾患以降は、指定医師にのみ治療が許可されているので」 「わかっています。これは治りませんし」  疾病に、名前はない。  四百五十から五百までの特定疾患を、少数過ぎる特殊な症例として分類している。  美玖の腕の病は、他者へ感染し尚且つ己の命さえ危険を伴う疾患だが、ケアを行えば一般的な生活を営むことを可能、とされる特定疾患第四八二疾患に認定されている。  特定疾患――国指定の難病に認定されれば、医療費をほぼ全額控除されると同時に、必要であれば専用の医療器具を給付、もしくは貸与されるのだ。  美玖の場合、意識手袋がそれだった。  その効果は特殊で、意識するだけで皮膚に吸着し、透過する。つまり、本人が取り外し許可を出さなければ、死ぬまで外すことが叶わないのだ。しかも身に付けた瞬間に無色透明となって肌にぴったりくっつくため、経験ある医者でなければ見つけることすら難しい。  それだけ。  それだけ、美玖の腕は病に犯されている。  本来なら、隔離されてもおかしくはない。触れるだけで相手を死へ至らしめてしまう、悪魔の手なのだから。 「前にね、同じ特定患者の患者、といっても、病気は別物だろうけれど、を見たことがああるのよ。彼の病症部位は両足で、肌が茶色く変色してたの。貴方の腕は綺麗だわ。むしろ、普通」 「肌の見た目に恵まれました。学舎(がくしゃ)にいたころ、嫌というほど病気に関しては確かめてるので、危ないことだけは確かなんですが」  クローンの貴族養成校である、学習校舎。  その幼等部に入学する前に、美玖は施設で隔離され、意識手袋を与えられた。  本当に難病なのかと繰り返し実験もさせられ、何匹もの実験マウスが手のなかで息絶えて行く様をみた。  強張り痙攣する身体を握りしめ、自分の手を呪った記憶は、今なお美玖のなかで鮮明に残っている。  意識手袋をつけ直し、美玖はベッドから立ち上がった。
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