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「あの、俺。これから」
「意識が戻ったら、迎えを呼ぶことになってるの。もう呼んであるから、もうすぐ来ると思うけどー」
「迎え?」
「そう。貴方にはこれから、神王殿内にある学舎に入学してもらうから」
学舎――学校校舎といえば、敷島に引き取られる以前、美玖が暮らしていた場所でもあった。
学校校舎は一度入ると、貴族に養子として引き取られない限り、卒業まで出られない。
「なぜ入学を? 俺は、養子としてすでに契約済みです」
「だからこそ、あなたを保護する役目もあるでしょうー」
「学舎の枠には、限りがある。俺がそれを埋めるのは、さすがに」
「高等部は常に空いてるから大丈夫。中等部の卒業試験で何人かは落ちるものぉ。それにあなただって、このまま卒業すれば貴族位を貰えるのよ? 皆、貴族の地位が欲しいんだからー」
「でも俺は、違います。迷惑かけるだけですし、もう平気です」
女医が、片眉をあげた。
「やけに、嫌がるのね。このあと、何かするつもりかしら? まさか、お兄さん助けに行くとか言うんじゃないでしょう?」
どくん、と心臓が飛び跳ねた。
見透かしたように、女医が盛大なため息をつく。
「あのね、それこそ迷惑だわ。どうせ乗り込むなら、力をつけてからにしてくださいな。学舎では体術も戦略も学べるから、家庭教師から学ぶよりずっとためになるわよー」
「卒業まで待ってたら、兄の命が」
「生きてる確証もないでしょう。掴まってるどころか、逆に一人で逃げきってるかもしれない。だいたい今の貴方が行っても、殺されておしまい。それなら、他の多くを動かせるくらいえらくなってから、乗り込みなさいね」
生きてる確証もないでしょう。その言葉に、カッと頭に血がのぼった。怒りで、目の前が真っ赤になる。
兄は生きている。生きているに、違いないのに。
言い返してやろうと口を開いた、そのとき。
ドアを叩く音がした。
「あら、お迎えかしら。どうぞ」
「失礼します」
少女の声だ。開き戸がひらき、髪を頭上で二つに結い上げた少女が、入ってきた。
グレーの縁の眼鏡をかけており、随分と理知的な印象を受ける。
「連絡を頂き、参りました。アスカです」
アスカと告げた少女の胸には、四羽の鳥と太陽に見立てた白(しろ)華(はな)を組み合わせた紋章が描かれている。神王を示すもので、それを身につけることができるのは神王殿の関係者と決まっていた。
怒りをぶつけるタイミングを失い、美玖は内心でため息をついた。
いや、むしろこれでいい。
神王の権力下にあるのなら、我意は通らない。怒鳴り散らしたところで、目をつけられて自らの立場を悪くするだけだ。
ここは黙って過ごして、時をみて逃げだせばいい。
そうだ、そうしよう。
従順なふりを、通すのだ。躾けられた猫のように。
「先生、彼が新しい編入生ですね」
「そうなの。色々、面倒みてあげてね。ちなみに、ゆあら様の命令でもあるの」
少女の目が、こぼれんばかりに見開かれた。
「ゆあら様のお知り合いですか?」
「よく知らないわー。詳しくは聞いてないもの」
「……そうですか」
「ゆあら様の気まぐれかもしれないし、実は重要人物なのかも。まぁ、どっちにしても、編入生に違いなから、面倒みてあげて。久しぶりじゃないかしら? 編入生」
「私たちの歳の編入生は、二年ぶりです」
それはそうだろう、と美玖は思った。
神王殿内の学習校舎で学ぶことができるのは、生まれてすぐに素質ありと判断された一部のクローンだけである。
大半のクローンは一般市民として夫婦に配られるか、区別に設置された学校へと配置されて適齢期になるまで教育を受けることになっているのだ。
別れ際になって自己紹介された律(りつ)というらしい女医に頭をさげ、美玖は白い部屋をあとにした。
部屋を出て細い回廊を進めば、天井が二階まで吹き抜けた玄関口にでた。美玖は物珍しさに足を止めかけたが、アスカはふり返る素ぶりも見せずに歩き続けるので、慌ててそのあとを追う。
玄関口を突っ切った先にある二段ほどの段差を降りれば、そこは広い庭園だった。
柔らかく暖かな風の香りとともに、強烈な懐かしさが襲う。美玖もかつてはここにある幼等部の学舎で学んでいたことがあった。先ほどの部屋に覚えはなかったが、この玄関先からみる庭には覚えがある。
美玖がいた幼等部の学舎は、とても数が多い。
優秀な生徒を取りこぼさぬよう、多めに設けてあるのだ。
反対に、高等部の学舎は少ない。数はいわゆるピラミッド型になっており、しのぎを削る進級争いが繰り広げられるのだ。
美玖は十年前、小学部へ上がってすぐに敷島へ養子に引き取られた。当時の美玖に拒否権はなかったが、養子となった時点で学舎を退学となる。
養子になれば、親の地位を継ぎ、貴族の地位を得るからだ。
親もまた、自らの地位を養子に譲る義務があるため、養子組は卒業せずとも貴族の地位が手に入れる。
もっとも、親の地位と財産と受け継ぐことも義務とされ、その時点で敷島が研究していたバイオ化学へ進むことは強制されたことになるのだが。
美玖も幼いころは、高等部卒業を夢みていた。卒業して、貴族になって、神王の傍に仕えるのだと。
あのころの想いが、胸を締め付けた。
もしこのまま高等部を卒業できれば、人生をやり直しできるのではないか。そんな想いが過ぎり、きゅうと唇を噛み締める。
夏の日差しに照らされた、美しく剪定された木々。
その間を、どこから来たのか――おそらく神王殿内宮から流れてきたのだろう、桜の花びらが舞っている。
「こっちです。迷子にならないよう、しっかりついてきてください」
右に続く、細い石畳の道を歩き出す。
日陰のくっきりとした分け目を踏み越えた瞬間、清々しいと思っていた庭園が、実は灼熱地獄だということに今更ながら気づいて、静かに息を吐きだした。
研究施設を二つほど通り過ぎたころ、石畳の左右に紅葉だろう木々が並びはじめた。
ぽつぽつと地面にあばたを落とし、日傘のように直射日光を遮るそれらは、歩く身にはとても心地が良い。
「ところで、あなたは字持ちですか」
淡々と神王殿内の説明をしていたアスカが、唐突に言った。
「編入など滅多にありませんし、予想はつきます。字持ちなのでしょう? だからといって、ここでは他の皆と同じです。自分だけが特別だなどと思われませんように」
ずいぶんと、事務的な少女だ。
養子に入れば漢字を与えられ、字持ちになる。中途入学者の大半は、様々な事情を持つ者が多いため、アスカは先に話を切りだしたのだろう。
彼女は、先ほどから愛想笑いのひとつもない。何がどこにあり、どういった役割をするのか。主観のない説明は的確で、わかりやすい。つい先ほど通り過ぎた研究施設に至っては、知る必要がないので立ち入り禁止です、という明確明瞭な説明だった。
ただ、感情にかける部分があり、少々味気なさがある。
自分が言うのもなんだが、と美玖は心のなかで付け足した。
「へぇ、君って字持ちなの?」
少年の声が、降ってきた。
嬉しさをふくんだ声は、どこか興奮しているようにも聴こえる。
少年の声に視線を彷徨わせていると、アスカが厳しい目で紅葉の木を見上げた。その視線に引かれるように顔をむければ、青々と茂る紅葉の枝に、声の主だろう少年が寝そべっている。
癖のある髪のためか、人懐っこい笑みを浮かべて見下ろしてくる姿は、唯一生きた愛玩具として許可されている猫に似ていた。
「ねぇねぇ、どんな字をかくの?」
「あなた今の話を聞いていたでしょう。そのことはここでは」
「いいじゃん、他に誰もいないんだし。ねぇ、キミの名前は? 僕は、コウ。漢字はないよ。字持ちじゃないもん」
とう、と奇妙なかけ声とともに枝から飛び降りたコウは、にんまりと笑って美玖へ近づいてきた。
ずいぶんと背が高いが、アスカと同じ高等部の制服に身を包んでいる。
「美玖という」
「ミクかぁ。字は?」
「美しいに、漢数字の九の代用に使われる玖だ」
「へぇ、そうなんだ……よくわかんないけど。でも、かっちょいい! 喋り方もカッコイイね。ちょっとアスカちゃんと似てる、無愛想な感じが」
む、と美玖の眉が寄る。
なにがおかしいのか、コウは笑みを深めた。
「仲良くいこうよ。あ、これから案内? 僕もいくー」
ずいぶんと、交友的な少年だった。
だが、その人懐こい言動のせいか、邪険にもしにくい。
「あれ、なんで行かないの?」
足と止めたままの二人に、コウは首をかしげてみせた。
アスカは何かを言いたげに顔をしかめたが、結局は何も言わずに歩き出した。
当然のように美玖の隣を歩き出すコウは、始終にこにこと笑みを浮かべている。もしかするとそれが地顔なのかもしれない。
「美玖ってさ、なんでこんな時期に編入してきたの? さっさ、先生たちが話してた編入生ってキミでしょ?」
「なんでか、と聞かれると……わからない」
わからない、というのは事実だ。
いくら父が行方不明だとしても、また学習校舎に戻されるなど予想だにしなかった。
まるで不良品を回収されるが如く舞い戻ってきてしまったため、あまりいい気はしない。
「ふふふー。なんか、胸がはずむなぁ!」
コウが、一層笑みを深めて美玖の前へ歩み出た。
「いっぱい仲良くしようね。ずっと一緒にいちゃうよ、僕」
「……ずっと?」
「そうそう。お風呂もトイレも、ご飯のときも、寝るときもー」
「美玖くんにくだらないことばかり言って、困らせないで」
アスカが、不機嫌を露わにふり返る。
コウは心外だというように頬を膨らませた。
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