第一章

6/7
前へ
/33ページ
次へ
「バイオ研究では優秀な男だが、理想論を語るところがあったからな」 「え、なに、知り合い? あ。貴族だったもんね、関わることもあったんだ?」 「……まぁ」  つい口を出た言葉を誤魔化すように、ぱらりと新聞をめくった。  その瞬間。見覚えのある顔を紙面左下の枠にみつけ、さっと顔がこわばった。  イデアの幹部らしい顔写真が、横一列に三枚、並んでいた。その隣には小さな活字で「主犯判明か!?」と書かれている。  まだ確定ではないのだろう。こんな端に小さく乗るくらいの写真だが、朝刊に載るという時点で警戒度は高い。 「あれぇ、主犯判明したんだ? この人たちで決定だろうね、新聞に載ってるんじゃ」 「……辰巳(たつみ)」 「あ、ほんと。辰巳芳樹かぁ。苗字があるってことは、貴族なんだろうけど、聞いたことないなぁ」  美玖は、右手で口元を覆った。  そうだ。 ――止めを、刺しておけ  屋敷が襲撃された際、背後から聴こえた感情のない男の声はこの男の、辰巳芳樹ものだ。  貴族のなかにも、地位というモノが存在する。  それらはすべて「貴族」と総称して呼ばれるが、役職や功績に応じて、つまり、いかに神王の傍に寄れるかによって上下関係が決まる。  辰巳は卒業組で貴族の地位を得たが、バイオ研究の道へ進んだあと、過失を引き起こして失脚。  貴族の地位を失い、一般研究員として神王殿で仕えていたところを敷島が拾い、秘書として傍に置いていた――はず、だった。  辰巳が主犯格だとすれば、敷島の屋敷を襲撃するなど、容易いだろう。秘書として屋敷を出入りしていたのだから。  敷島は、裏切られたのか。  いつからだろう。  一体いつから、襲撃は計画されていたのだろう。  美玖は冷たくなった指先で、つつ、と辰巳の写真を撫でた。  頬の細い、キツネのような顔だ。  ずいぶんと悪人面で写っているが、美玖の印象では「スマート」という表現につきる男である。  にこやかな笑みを絶やさず、何事も悟らせない、そして、とてつもなく頭のいい、そんな男だった。  そう、頭のいい男なのだ。  だからこそ、美玖を殺せと命じた言葉には、意味がある。  敷島の屋敷を襲撃したことも、彼にとってはなにか理由があるはずだった。  その理由とやらを美玖は知らない。  知りたくもない。  肝心なのは、楼杏が行方不明だということだ。  楼杏は民主主義派だった節がある。  辰巳からすれば、楼杏ほどの者を引き入れて損はないだろう。叡知に長けた兄は、味方になれば心強く、敵になればいい人質にもなるのだから。  そう、そうだ。  きっと――辰巳のもとに楼杏はいる。  具体的な証拠があるわけではないが、確信に似た想いが胸を占めた。  もう、これまでのようにあてがないわけではなくなったのだ。  不思議と、希望にも似た道が開けたような気がした。 「でもさ、なんで民主主義なんてわざわざいうんだろうねぇ。僕たちは自由を保障されてるじゃん。それをどうするも、個人の努力しだいじゃないか」 「自由だけが、権利ではないさ」  いつだったか、楼杏が言っていた言葉をそのまま返した。  ふーん。そう言って、コウは気のない返事を返すと、そういえば、と言葉を続けた。 「美玖は、進路どうするの? 体力あるし、軍部希望? でも君、実践は全然使えないしねぇ。僕と一緒に、バイオ研究に進もうよ」 「興味ない」 「うそ! あんなに詳しいのに?」 「……なんで詳しいってわかるんだ」 「この前の試験、全部埋めてたじゃん。出戻りなのにあんなにすらすら書けるなんて、勉強してた証拠だよ。さすが編入生って感じ」  出戻りいうな。  軽く顔を引きつらせた美玖は、諦めに似たため息をついた。 「まだ二年あるだろう」 「あ、決めてないんだ? まぁ、急ぐことでもないか。でも僕、バイオ研究でやりたいことあるんだ。だから、美玖も一緒だと嬉しいなぁ」  美玖は、朝刊の見出しにひと通り目を通すと、立ち上がった。  朝のうちに、もう少し走っておきたい。  あらかじめ決めておいたコースを走り込み、寮に戻って汗を流したあとは、いつも通りの毎日がはじまった。  食堂で、科学の結晶ともいえる朝食を取ったあと、各々の教室へ向かい、教師によって授業を受ける。一日に四つの科目を、午前午後二つずつこなしたあとは寮へ戻り、それぞれ自学に励む。  同じことの、繰り返しだ。  安全でいて不変な毎日は、とてもゆったりしていて、むしろ居心地がいいかもしれない。  辰巳芳樹は、今どこにいるのだろう。  寮の二階、決して広くはない自分の部屋へ戻ってきた美玖は、今日一日そればかり考えていた自分に呆れながら、身体を静かに覆う熱が冷めやらぬことに気づいていた。  数少ない家具である勉強机に肘をついて、足を組む。目前には窓があり、夕暮れの空が見えた。  何度目だろうため息をつく。  我ながら、学園生活に順応していると思う。そう見せかけているのだから、周りからもそう見えていないと困るのだが、大丈夫だろうという確信はあった。  なるべく早く、ここを出よう。  イデアの動向をさぐっていけば、辰巳に繋がるだろう。ひいては、楼杏へ近づくことになる、はずだ。  糸口は、見つかった。  だからこそ、一刻も早く実行に移さねばなららないような気がして、気持ちばかりが急いでいる気がする。  駄目だ。  じっくりと計画をたててからでないと、律が言っていたように、無駄な死を増やすだけになってしまう。  小卓に置いた水差しから、コップに水を注いだ――そのとき。  ふと、ドアの向こう側、廊下から慌ただしく騒ぐ声が聞こえてきた。  激しく「覚えのある声」と「声」が、なにやら口論をはじめたようだ。  聞こえないふりをして、美玖は寝台に身を投げた。  我ながら生活感のない部屋だ、そう思いながら、そっと目を閉じた。 静まり返った自室に不釣り合いな、廊下の騒ぎ声。否応なく耳に飛び込んでくる会話。 「あー。なに、喧嘩? 珍しいな、今回はコウかよ。つか、アスカ絡みかよ。いい加減、諦めろっつーの。つか、アスカのどこがいいんだ」 「ねぇ、ミクくん呼んできた方がいいんじゃない? ほら、二人と仲良いし、なんとかしてくれるんじゃないかな」  やめてくれ。  そう思った、わずか数秒後。  ドアを叩く音がして、辟易しながら廊下へ出た。  見覚えはあるが、名前が思い出せない少女――恐らくクラスメートの誰かが、立っていた。 「……なんだ」 「美玖くん。止めてあげて。コウくんとアスカちゃん、喧嘩してるの」  そう。  喧嘩をしているのは、コウとアスカだ。  美玖にとっては、学習校舎内で関わりの深い人物一位と二位である。 「なぜ俺が」  言外に「お前がしろよ」と仄めかすと、名も思い出せないような少女の客は、美玖がそれ以上口を開く前に、きっぱりと「嫌よ」と言いきった。  嫌なものを押しつけるのか、という仁徳を説くつもりはない。  自分は関わりたくないが、うるさいと勉強に集中できない。だから、他者に頼む。別におかしなことではなかった。  だが、美玖とて拒否権はある。  このまま放置しても構わないだろう。  そう思ったが、野次馬の視線が自分に向いていることに気づいて、部屋に戻ろうとした足を止めた。  喧嘩を止める義理はない。義理はないが、のちのちここを卒業して研究員として働きだしたとき――対人面で苦労することになるだろう。  敷島の子どもとして暮らしてきた美玖には、それが嫌というほどわかる。  わかってしまう自分が嫌だった。もっと嫌なのは、美玖自身学習校舎を卒業するつもりなど毛頭ないのに、将来の安泰を考えている自分自身だ。  自分の考えにほとほと呆れ、ため息がでた。  それをどう取ったのか、相手の少女はわずかに怯んだようだった。 「……わかった。声はかけてみる」  呟くようにいうと、少女の返事を聞く前に廊下へ顔をのぞかせた。  数人の生徒が見守るなかで、コウがアスカに言いよっている。  どうやら今回はいつにも増してしつこく付きまとっているようで、冷ややかともいえるアスカの表情が険しくなっていた。 「おい、他の生徒に迷惑だろう。騒ぐなら、外でやった方がいいんじゃないか」  仕方なく声をかけると、むぅと頬を膨らませたコウがふり返る。つられる様にアスカもふり返り、しんと廊下に静寂が落ちた。  打って変わった静けさに、居心地の悪さを覚えた野次馬たちが、それぞれの寮室へと戻っていった。 「アスカ、こんなところで何をしてるんだ。確か、寮室は二階だろう?」 「……そうですけど。あなたに、用があったの」  アスカが、大事そうに手に持っていた新聞を差し出した。 「今日の夕刊。必要かと思って、持ってきたんです」 「俺に? なぜ」 「見ればわかります。用は済みました、失礼します」  つん、と顔を反らすアスカは、いつも通りの姿だ。見なれた無表情で、コウの隣をふり返りもせずに通り過ぎていった。  彼女の姿が見えなくなったころ、受け取った夕刊を、顔をしかめながら広げた。  紙面に目を落とした瞬間、 「なんで、美玖ばっかり」  降ってきた、低く沈んだコウの声。  美玖は、弾かれたように顔をあげた。 「コウ?」 「ごめん、なんでもない」  いつもの笑顔ではない、苦笑を滲ませた顔で笑うと、ひょいとアスカが渡してくれた夕刊を取りあげた。手を伸ばす美玖の手を逆に引っ張り、コウはその肩に腕を回す。 「ちょっと散歩いこうよ。点呼までには、時間があるし」 「それは、構わないが。アスカとなにがあったんだ、あんなに声をはりあげて」 「アスカちゃんが冷たいから、つい。いや、ほんと反省してる! でも傷心なんだよー。癒して?」 「わかったから、散歩くらい付き合う。離れてくれ」 「はーい」  屈託のない笑みは、いつものコウだ。  美玖は安堵を覚えながら、先に歩き出したコウのあとを、夕陽に照らされながら歩き出した。  *
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加