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主人公
何故産まれたのか。
存在意義だとか、何故生きているのか、そういうことを考えるのはどうも苦手です。
答えが出るはずもないことだから……というのは分かっているのだけれど、それとは別の次元で、何故か沼にはまってしまうのです。
例えば「私が居ないとダメ」 そう思うことがヒロイズムならば「私が居なくても大丈夫 」と思うことも、歪んだヒロイズムの一つに見えてしまいます。
自分は偉いわけでなく、特別を気取りたいわけでもありません。社会的な立場は極めて低く、見下されるどころか、それ以前の人間でしょう。
それなのにふっと消えてしまうことすらままならないのです。
むしろ、そうだからこそ……そういう風にはさせて貰えないのでしょう。
両手を上げ、特別なものへの憧れを棄てることは特別なのでしょうか?
跪きながら、嘲り笑うことをやめようとするのもズルなのでしょうか?
自分には不向きなことを無理矢理続けることが、本当に美徳とされるのならば、どれだけ楽でどれだけ救われたことでしょうか。
最初に考えていた存在意義というものが、自分への否定にどうしても繋がってしまいます。私の中の歪んだヒロイズムが、肯定を湾曲させている風には勿論思えるはずもありません。
怒りがこみ上げたり、悲しみに胸が破られそうになるわけではありません。
切ない。 ただただせつない。
この切なさが、絶えず人間をみじん切りにするのでしょうか。
今日は昨日とは違うポーズで眠ってみようか?
しかし、生き物というのはそんな都合の良いものではないようです。
そういう生き物の都合の悪い部分は味方にもなるものなのかもしれません。その術を知る人間にとってはむしろ都合の良い部分となるのでしょうか。
私には確かめようがなさそうです。
今日死んでしまった道化の私。
昨日殺してしまった悪役の私。
先ほど、死んでしまった大人の私と、この後殺す子どもの私。
分からないことばかり……それなのに何故私は産まれているのでしょうか。
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