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「なぜだ……。なぜわからんのだ!」  破壊された測量現場を前に、鍋島幹は歯噛みして拳を握り締めた。  その目の前の荒れ地に積み上げられた石の山からは、関係者の遺体の一部がのぞいていた。  明治政府発足から十数年が経っているにもかかわらず、この那須野が原では、未だ幕府残党による火付けや破壊活動は続いていた。  彼らはほとんど人が立ち入らないこの那須野が原のどこかに潜伏しているのだろう。しかし、あまりにも広大な荒れ地故に、どこに潜んでいるか皆目見当もつかなかった。 「奴らは何をしたいのだ!?」  水利をよくしてこの荒れ地を沃野に変えることは、下野を改め栃木県となったこの地の民草のため、しいては日本国のためになることだった。27歳の若さで県令となった鍋島はこの十数年の間、精力的に県の発展に力を注いでいた。  戊辰戦争で文字通り焼け野原となった宇都宮が急速に復興したのも、鍋島の功績だった。  中でもこの那須野が原を沃野に変えることに力を入れていた。計画当初はここに大運河を造り、材木の輸送などによる経済効果を狙ったが、那須を視察した観農局長・松方正義によって、ここは酪農に適していると指摘されたことをきっかけに、運河ではなく農政に計画の方針は転換されていた。しかしここで酪農をするにも水がなければなにもできない。水を地面に飲み込んでしまう蛇尾川(さびがわ)のせいで、この広大な原野は千年の間手つかずのまま放置されていた。  鍋島は開拓のために最低限の水利を造り出そうと、用水路建設の測量隊を送り出したのだが、その結末がこれだった。 「奴らは、五稜郭で夢が潰えたことも理解できず、まだ徳川幕府が再建されると思っているのか?」  県令の言葉に誰も返事をすることなどできなかった。  すでに戊辰戦争も一昔と言える時代となっていた。激戦地となった宇都宮も復興は進み、焼け落ちた城跡を見ない限りは、ここで戦争があったことを想像することすら難しくなっている。  いずれ国が国家規模の事業として、この那須野が原開拓に乗り出してくる。その時までにある程度の下地を造り、速やかに開拓を推し進めることができるように準備を整えておくことが鍋島の仕事だった。  当然、住み着いていると思われる幕府の残党の駆逐もその仕事のひとつに組み込まれていた。 「県令閣下。しかし……これは妙です」  護衛を兼ねてついてきていた警官たちの中で、積まれた石を観察していた一人が鍋島に声をかけた。 「どうした?」 「石積みのここをご覧下さい」  警官が示した場所には、そこで踏ん張ったように刻みつけられた巨大な獣の足跡が残されていた。まるで熊かと思うような巨大さだが、その足跡の形は猫のようでもあり、尖った巨大な爪を保持していることがわかった。  奇妙なことに残された足跡はわずかに三つ。どこから来てどこに行ったのかも皆目見当がつかない。何より、測量隊の器具や遺体の上に積み上げたこの石を運んできた人足たちの足跡も残されていなかった。 「幕府残党ではなく、怪異を起こす妖が測量隊を襲ったのではないでしょうか?」  鍋島と共に足跡を覗き見たその秘書官は青ざめた顔でそう進言したが、鍋島は苦笑して頭を振った。 「皆がいる前で埒もないことを申すな」  まだ迷信も信心深さ、闇が強く生きている時代。怪異が発生したとなれば、今後、この那須の開拓は滞ってしまう。しかも、この土地は怪異の中でも特大の因縁がある場所だった。  あの金毛九尾の狐である玉藻の前の終焉の地であり、その遺骸が毒気を放つという殺生石がある場所だった。  この那須野が原が荒野である理由も、殺生石があるからだと真顔で答える人間すらいた。 「も、申し訳ございません」  鍋島に注意され、秘書官は慌てた様子で畏まったが、彼が口に出さなくても、この現場を見た警官たちの脳裏には、妖狐の怪異ではないか? という疑念が浮かび上がっていた。 「どんな小さなものでも構わない。犯人を特定できる物を探したまえ」  鍋島の言葉で警官たちはノロノロと動き出し、測量隊を惨殺した犯人を特定する証拠探しに乗り出した。  鍋島はそんな彼らの作業を見ながら、寂しげな獣の鳴き声に気づき顔を上げた。  ひょうひょう……。  捜査にかかる暗雲を暗示するような鳥とも獣ともつかない謎めいたものの寂しげな声に、鍋島は顔をしかめた。
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