沈黙のシンギュラリティ

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仕事帰り、疲れ果てた体でいつもの油臭いラーメン屋に立ち寄る。嫁から渡される小遣いが少ないために、バターのトッピングはできない。 この店に来て、バター一つ渋る度に俺ってカッコ悪いな、と痛感する。本当はもっとオシャレな店で、ブランド物のスーツを着てディナーといきたかった。中古のカローラじゃなくて、新車のBMWに乗りたかった。そんなカッコイイ男になれていたら、今頃家で帰りを待っているのは醜く太った嫁じゃなくて、憧れの女優のA子さんだったかもな。 そんなアホなことを考えているとラーメンがやってきた。いつもの味だ。特別美味いとも思わない。いつもと変わらないこと、それが幸せらしいから俺は甘んじて受け入れる。眼鏡を曇らせながら完食し、やるせなさを胸にしまい込んで帰ろうとした刹那、曇った眼鏡の隙間から飛び込んでくる、真横に座った女性に目を奪われる。 A子さんだ。何故こんな所に。 声は掛けなかった。いや、掛けられなかった。 俺は知ってしまった。今声を掛けられなかったことこそが、俺がカローラに乗ってる理由なのだと。 変化のきっかけは日常に潜んでいる。それを見て見ぬふりをして、平凡が幸せだと自らを呪っていた。ああ、やり直したい。もう一度、初めから。 願っても時は戻らない。このゆらゆらと夜空に立ちのぼるたばこの煙が、もう一度巻紙に戻ることのないように。
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