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噂の商人
「そのお客様は、どなたなの?」
「商人です、なんでも肥料の宣伝にいらっしゃったみたいで、商いの神さまにお仕えなさる、皆さまがいらっしゃらないので、ミア様にお相手をお願いしたいのです」
「……そう」
ミアは先程話した話題のせいか嫌な予感がして、イルムヒルデと顔を見合わせた。イルムヒルデは鋭い眼光を隠さずにミアにうなづいて見せる。考えていることは同じようだった。
普段ならお引き取り願うところだが、その肥料という言葉に引っ掛かりを感じ、ミアはこう告げた。
「闘いの神に仕える方をお二人お呼びしてからその方へ取り次いでもらえる? そしてその商人の方を来客室へお通しして頂戴」
「かしこまりました」修道女が去っていく姿をみて、ミアはため息を吐いた。
「ミア」
「大丈夫です、行ってまいります」イルムヒルデにミアは大丈夫だというように微笑んだ。
流石にあからさまに胡散臭くはないか。ミアは戦いの神に仕える修道士に付き添いを頼み、ともに来客室へ足を踏み入れたときにそう思った。その商人らしき男の身なりに不審な点はない。けれども、それは世慣れない修道女だから思う感想だろう。
ヴィンツェンスから世の中の話を聞いているミアは、自分がどれだけ世慣れていないのか分からないほど、自分が世間知らずだということをよく知っていた。
「この出会いの機会を授けてくださった友愛の神に感謝を」
商人は床に膝間付き、頭を三回下げ神に祈りをささげた。そこまでその態度に不審な色も匂いも見えない。
けれどそれだけその対応に慣れているだけなのかもしれなかった。普段からやっていることには、そこまで不審な匂いも色も見えないことがよくあることをミアは思い知っていた。
友愛の神を信仰しているのか、神殿だから敬虔な信者だと思わせて心証を良くしたいのか。ミアには分からなかった。
「お座りください」
「では失礼します」
「彼らは私の使いの者です、気になるかとは思いますがお気になさらないで」
ミアが机を挟んで商人の向かいに座ると、その両端に戦いの神の修道士は陣取った。相手に威圧感を与えることへの了承を形だけでもとり、ミアはその反応をうかがい、相手の様子をみる。
商人はそんなミアの行動をどう思ったのか、その言葉に反応することなく、商品の説明に移った。
「という訳でして今までとは違い、少ない量で野菜の生長を促すものになっております」
「そうでしたか、申し訳ありませんがわたくしに商品を買う権限はございませんの、ですから一袋だけ置いて行っていただくことは出来ますか? 効果を見ないことには会計の者に何も言えませんから。お試しさせて頂けるならそれで様子を見てから購入を考えさせていただくわ」
「はい、それは勿論できます、なんならいま仕様品を持っていきますので」
「ではそれでお願いします」
ミアはその商人の人相をとどめることで必死だった。ミアはその商人を帰らせると、闘いの神に仕える修道士にこう頼んだ。
「申し訳ございませんが、あの商人をつけていただけますか?」
「ミア、あの男が何かするかと思っているのか?」
案の定ディーター――闘いの神の修道士が眉根を寄せてそう尋ねてきた。彼らは肉体の強さを大切にするためか、目に見えないものを信じない傾向にあるのだ。ミアのご加護のことに関しても懐疑的なところがある。
「分かりません。ですからお願いするのです」
「分かった。ヴィンツェンス様にも頼まれているからな」
「申し訳ございません」
ディーターは肩をすくめて出て行った。ミアはヴィンツェンスの養い子だとしか思われていない自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。
しかし気持ちを切り替え、商人が置いていった試供品に目を向けた。ミアはその肥料の袋を開ける。そこにはミアの五感でしか分からないものが広がっていた。ミアは先ほどのディーターの言葉が胸をよぎるも、顔をあげ自分のやるべきことをすることにした。
「今日は完璧ね、このまま運んでちょうだい」
「かしこまりました」
いつも通りに供物の毒見をミアは行っていた。今日使う食材の味は落ちていないことにミアは安堵した。
あの商人が教会を訪れてから数週間が経っている。あれからヴィンツェンスにミアが感じた違和感と、ディーターが調べてくれた商人の出入り先を手紙を書いたのだった。結果を言うのであれば、その肥料には混ぜ物がされていた。そのため味が落ちていたという。ミアの五感とディーターとヴィンツェンスの調査が実を結び、その商会は摘発を受けた。といってもその肥料の販売停止が決まっただけの話であったが。
ミアは毒見が終わり、食後の紅茶でのどを潤していると、修道女が来客を告げた。
「お通しして」
ミアはその来客を自分の仕事場でもある食堂室に通した。ミアが机を挟んだ向かいのテーブルを指すと、その来客は嬉しそうに目を細めた。
「聖女様、この度は助かりました」
「別に何もしていないわ」
「いえ、聖女様のお蔭で不正をとめることが出来たのです」
そうそこにいたのは被害に遭っていた農民――ではなく、あの肥料の宣伝に来た商人だった。というのも、商人はうすうす肥料が違うことに気付いていたが、上司の命によって売りさばかなければならないことになっていたのである。商会も傾いていたのできっとそのせいだろうと思いつつも、罪悪感が募ることには変わりなかった。
そのためそれを暴いたミアを慕って、教会に来るようになったのだった。
「貴方も暇ね」
「聖女様がお休みをくださいましたので」
遠回しに営業停止に追い込んだのは貴方だと指摘され、ミアは紅茶を飲んで誤魔化した。
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