ヴィーガンの晩餐

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                1 「おい、力士肉はどうなってんだ?!」 「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。午前中で出ちまったんだから」 「なに言ってんだ! 霜降りの上級肉なんて1年半ぶりなんだぞ。家で子供が待ってんだよ!」 「だったら通常の配給品で我慢してくださいよ」 「『配給品』だと? 人民肉の配給だって大陸の輸出規制で庶民の口に入りにくくなってることくらい知ってんだろ!」 「とにかく無いもんは、無いんです!」  押し問答は、もう終わりだと言わんばかりに山根の目の前で窓口シャッターは閉められた。同じようなやり取りが繰り広げられていた彼の周りでも次々とシャッターが閉め切られると、配給センターの広い待合所は怒号と諦めの溜息に満たされた。  待合所の空いているベンチにへたりこんだ山根が、家族、とりわけ養女のシヴァに約束した御馳走が手に入らなかったことを、どう説明したものかとビデオフォンを(もてあそ)んでいると、突然ポンと肩を叩かれた。 「お久しぶりっすね、山根さん」  顔を上げると昔、“半グレ狩り”で知り合った岡島の顔が10年ぶりに目に入った。 「よう、君か。久し振りだね」  再会した知己の顔を見て嬉しさがこみ上げてはきたものの、お目当ての力士肉が手に入らなかった山根の口調は重かった。 「その様子じゃ、手に入らなかったんでしょ、力士肉」山根の気持ちを察した岡島は肩をすくめた。「僕もっすよ」 「まいったよ、最近は人民肉も滞りがちだっていうのに」 「仕方ないっすよ。大陸の方でも需要急増で人口は激減してんすから」 「とは言っても、世界には、まだ17億も人間がいるんだぞ。まったく、やってられんよ」そこまで愚痴ると、山根は話題を変えた。「ところで岡島君、結婚は?」 「5年前っす。会社の同僚っす」 「へぇ。じゃぁ会社勤めも変わりなく?」 「ご冗談でしょ。今じゃ立派な農地監視員。山根さんだって、そうでしょ」 「残念。私は、しがないクロレラ工場の管理主任さ。まぁ、これだけヴィーガン法が徹底された世の中じゃ、皆んな似たり寄ったりてとこか」                *  30年前、完全菜食主義を掲げるヴィーガンたちは多くの人々から単なる変人だと思われていた。しかし、そこに1人の過激なヴィーガンの生物学者が現れる。彼女はヴィーガンの心の()り所である自然環境の大規模破壊を常に憂いていた。そこで自分と考えを同じくする仲間と、あるウィルスの開発に没頭し、数年後、それに成功するや、(あまね)く世界にばら撒いた。あらゆる動物性タンパク質の分解吸収だけを阻害する代謝阻害因子を持つヴィーガン・ウィルスである。  ついに彼女とその一派は世界中を自然とそこからの恵みである一次産品だけに目を向けさせる目的を達成した。だが、そんな社会が実現したものの、旨い肉を腹いっぱい食べて満腹のまま餓死したいと肉食を実行に移して悶死する人間は世界中で跡を絶たなかった。その殉教者たちの切なる思いと行動が天に通じたのであろうか。3年後、人類は天の御業をみた。  ウィルスの変異である。  変異した今度のそれは更なる試練と一握りの恩恵を残った人類に与えた。更なる試練は、動物性タンパクの味覚を人類から完全に抹消してしまったこと。そして一握りの恩恵は、人肉だけに代謝阻害因子を働かなくした上に、その味覚だけは奪わなかったこと……。                * 「でも会社勤めをしていた頃と比べたら、嫁さんも僕ものんびりした生活を送れるようになりましたよ」岡島は山根の横に腰をおろした。「なんせ農地監視員といったって、穀物や野菜の栽培から収穫まで全部、機械がやってくれますもん。日がな一日、畑を眺めながら、珈琲でも飲んでりゃいいんだから楽なもんすよ」 「確かに君の言う通りだが、やっぱり人間は雑食性だよ。グルテンで造った模造肉やゼロミートみたいな偽物じゃ身体が満足しやしない。生きてる間は本物の肉も食わなきゃ」 「そもそも僕らは本物のヴィーガンでもなきゃ、ヴィーガンなんかになりたいなんて思ったこともなかったっすもんね」 「おいおい、岡島君。それって危険思想だよ」 「山根さんこそ」  二人は人肉配給センターの外に広がる耕作地に遊ぶ多くの動物たちをぼんやりと眺めた。いま所々に見えているビルや高速道路など、大都会の残滓(ざんし)も、いずれは耕作地に浸食されて姿を消し去るのだろう。 「話は変わりますが、先週、真壁さんにバッタリ会っちゃいましてね」 「真壁さんに?」 「えぇ」岡島は辺りに警戒する視線を素早く走らせると声を落とした。「元気でしたよ。それどころか、今日みたいな日がこれからも続くと踏んで、また仲間を集めはじめてました」 「それじゃぁ」山根は急に胸の高鳴りを覚えた。 「そおっす。また狩りが出来るんすよ」                *  狩りと言っても動物を狩るのではない。人類に許された唯一の食用動物。  人間を狩るのだ。 「でも、10年前と違って当局の目も厳しくなってるぞ。密猟が見つかったら、自分たちが加工品にされちまう」 「真壁さんと組んでたとき、一度でも危なっかしいことってありましたっけ」  確かに元商社マンの真壁さんは、豪胆な中にも緻密さを兼ね備えた頼もしいリーダーだった。当時は半グレの若造どもが“令和最後のオヤジ狩り”と称して金品だけでなく、自分たちの食用に被害者の肉体までも奪い去る事件が日常茶飯に起こる食糧混乱期だった。社会や国政に対する、やり場のない怒りを義憤という名の衣に包みこんだ中高年が、そういった無軌道で自分勝手な若者たちに対して逆撃に転じても何ら不思議はなかった。  地方から出てきた人間を装った岡島が人気(ひとけ)のない工場地区をオドオドした芝居で歩くだけで入れ食い状態だった。巧妙に狭い倉庫裏の路地まで誘い込めば、しめたもの。屋根の上から仲間がコンクリートブロックをボカスカ降らせて、怪我をして路地から這い出てきた若造どもを一人ずつ寄ってたかってタコ殴りにして息の根を止める。そして戦利品としてバラバラにさばいた奴らの肉を持って帰る。 「危ないどころか、スカッとしたよ。戸川女史なんか、『七人の侍の戦闘シーンみたいね』って、大はしゃぎだったもんなぁ。そのあと家族で食べる人肉の生姜醤油(しょうがじょうゆ)焼きの旨かったことといったら……でもなぁ、あの時より年も取って動きが鈍くなったし、今じゃ小さな娘もいるからね」 「えっ。山根さんちの娘さんて、そんなに小さかったっすか?」 「養女だよ、インド人の。前の娘はとっくの昔に家出さ。ちょうど、皆で半グレ狩りを楽しんでた時だったかな。無断外泊から帰ったと思ったら、大事な身体に入れ墨なんか入れててな。妻と一緒にキツく叱ったら、『どうせ年取って動けなくなったら、加工品になるんだから、入れ墨ぐらいいいでしょ。ほっといてよ』って言うのが最後の言葉だったかなぁ」  山根は娘の左太腿に彫られたトライバル模様の中の“人肉(フレッシュ)()自由(フリーダム)”というフレーズを思い出して溜息をついた。 「そうだったんすか……」 「おいおい。君が暗くなる必要なんかないよ。当時は社会的な食糧混乱期だったんだ、どうしようもなかったのさ」 「でも……」 「さて、今日みたいな日が続くんじゃ、食べ盛りの一人娘に人肉の一欠(ひとか)けも食わせてやれないからな」山根は決然と顔を上げた。「岡島君、仲間は私で何人目だい?」                2 「よく来てくれたね、山根君」  角張った厳めしい顔に優しげな眼が印象的な真壁が山根の手を握った。すでに五十代後半のはずなのに、そのがっしりした身体から発する握力は昔のままだ。 「お久しぶりです。また狩りをするって聞いたもので。それに岡島君や戸川女史まで一緒なんですから」  山根の言葉に相好を崩した真壁は、新たな仲間を2人紹介した。彼らも以前は別のグループで狩りをしていた経験者だということで、すぐに意気投合した。  今回の狩場は使われなくなった港に面した旧工場街。官憲も複数の警備車両で、たまにしか巡回しない立ち入り禁止地区。厳重立ち入り禁止地区に指定こそされてはいないが危険であることに変わりはない。  さっそく真壁のトラックの荷台に乗り込んだ山根たち狩人は、陽が落ちた狩場に到着すると手際よく待ち伏せの準備に入った。この地区は、まだバイクに乗った半グレどもが出るという噂なので、囮役(デコイ)の岡島は廃棄寸前の原付バイクを使用することになった。電波の基地局もないので、真壁さんが用意したトランシーバーのヘッドセットを装着して道路を流している岡島からは、期待と興奮が入り混じった声がスピーカーを通して時どき聞こえてくる。 「よし、かかった……うわっ、何てこった」  狩場を原付で流していた岡島の興奮した声が、突然、恐怖で引きつった。 「どうした、岡ちゃん?! 何があったか報告しろ!」  真壁の声に緊張が走った。 「もうすぐ着くっす!」岡島の悲鳴まじりの声がスピーカーから流れた。「奴ら……奴ら加工車を使ってます! 助けて!」  岡島の叫びとともに、旧工場街の広い角を曲がって原付に肉薄する禍々しいヘッドライトが山根たちの待ち伏せ場所に接近してきた。観光バスとゴミの収集車を掛け合わせたような人肉の移動加工車。この代物は国内紛争地の食糧支援用に造られているため、分厚い装甲と機動力を兼ね備えている。そんな怪物に追いかけられたのでは原付などひとたまりもない。だが移動加工車は山根たちの隠れている場所を通り過ぎた辺りで原付に優しくキスするように追突すると急ブレーキをかけた。せっかくの人肉を轢き潰しては元も子もないからだろう。原付ごと道路に投げ出された岡島はピクリとも動かない。  山根は背中に冷や汗が流れるのを感じた。 「皆、騒ぐな」真壁の感情を押し殺した声。  山根には、どんなときにも冷静さを失わない彼の存在が有難かった。 「作戦変更だ」真壁は闇の中で加工車の側面ステップに取りついている数名の人影を指差した。「奴らは俺たちに、まだ気付いてない。山根君と戸川さんは中距離攻撃と支援を頼む。俺たちが接近して一人目を(たお)したら攻撃開始。形勢が、こっちに傾いたら俺たちに合流して一気に畳みかける。いいね」  加工車のステップに取りついている獲物は、夜目にも奇抜なその服装から車両の加工係員ではなく、半グレの若造どもだと判断できた。おそらく係員と組んだ新手の人肉狩りだろう。  山根と戸川が見守る中、真壁と2人の仲間は闇の中をイタチのように走り抜け、狼のように1人の敵の後ろから素早く襲いかかった。  仲間が狩られことに気付いた1人が大型ナイフをかざして真壁たちに迫った。だが山根はそれを無視して、車両の屋根にいた男に強力パチンコ(スリング・ショット)の鉛球を放った。狙いすませた一撃は男の眼窩に吸い込まれると手にした拳銃とともに、その身体を路面に落下させた。大型ナイフの敵は戸川女史の強力パチンコ(スリング・ショット)の攻撃で喉に傷を負った隙を突かれて2人の仲間に(たお)された。  一番の脅威を瞬時に判断して、それを排除した山根に真壁が顔を向けた。互いに目が合った。どちらともなく雄叫びが口をついて出た。仲間たちも次々と雄叫びを上げて、(ひる)んだ半グレどもに襲いかかった。  真壁が死体からもぎ取った拳銃を手に加工車の中に走り込む間に、山根は小柄な敵に肉薄して、その顔面に鉛球を撃ち込んだ。驚いたことに、汚れたゴーグルとマスクで顔を隠した敵は、山根と対峙した瞬間、戦意を喪失したかに見えたが、彼は構わず撃ち(たお)した。気付いたときには6人の獲物が路上に転がっていた。  2人の仲間に抱えられて道路に横たえられた岡島は怪我を負ってはいたものの生きていた。しかし山根が、加工車から2人の係員を蹴り出した真壁とホッとしたのも束の間。血の飛沫が付いた眼鏡の奥から戸川のくぐもった呟きが聞こえた。 「第2幕の始まりね……」  狩りを終えた面々は、自分たちを遠くから取り巻く無数の松明(たいまつ)の炎に度肝を抜かれた。                3  所々に灯っている明かりは、この住宅街にまだ人間が住んでいることを示す唯一の証しだった。バス停まで送ってもらった山根は仲間たちに別れを告げると、リュックサックに手をかけた。 「また、一緒にやろうや?」 「さぁ、どうかな」  なぜ、そんな返事をしたのか、山根自身にもわからなかった。ただ凄く疲れていたことは確かだ。彼は気を取り直すとバス停から、ゆるやかな坂を上がった先にある我が家へ向かって歩き出した。                *  狩りの帰路。  トラックの荷台に揺られながら戸川が興奮気味に語った言葉が、山根には全てだったような気がした。 「ほんとに駄目かと思ったわよ、そう思わなかった?」  1人が彼女に同意を示すように軽く手を挙げた。 「でもカッコ良かったと思わない、私たちみんな。映画の題名は忘れちゃったんだけどさ。傷だらけの幌馬車隊がインディアン(ネイティブアメリカン)の大集団に囲まれるの。そこで酋長と駆け引きしてさ。危機一髪で脱出に成功するの。ねぇ、あの映画の題名って思い出せないかな、山根さん?」  トラックの荷台に背中を預けていた山根は首を振った。  映画の題名は思い出せないが、確かに危機一髪だった。                * 「俺が行こう」 「でも真壁さん。あれだけ多くの棄民(きみん)が相手じゃ……」 「大丈夫。奴らがその気なら、とっくに俺たちは死んでる。話し合う余地はありそうだ。それより話が上手くいかなかったときは頼むよ、山根君」  真壁は数本の松明が掲げられている中心へ向かって、ゆっくり進んでいった。それから、どれほど時間が経っただろう。ボロを(まと)って竹槍で武装した二十人ほどの棄民(きみん)に囲まれて帰ってきた真壁は、大きく息を吐くと仲間の顔を見渡した。 「ここは彼らの土地だ。それは間違いない。彼らには彼らの法がある」  次に真壁は年かさの棄民(きみん)のリーダーに視線を向けた。 「無断で、あんたらの土地に入る者がいたら、殺されても文句は言えない。だが、俺たちも、あんたらと同じで肉に飢えているし、黙って、ここで殺られるわけにもいかない」  山根たちは手にした、それぞれの武器を握りしめて棄民(きみん)たちに油断なく視線を走らせた。 「そこでだ」真壁は話を続けた。「今夜、俺たちが狩った獲物の半分を置いていくから、見逃してくれないか?」  棄民(きみん)のリーダーは暫く考えて口を開いた。 「全部だ」 「では五分の三。それ以上は駄目だ」 「いいや、全部だ」 「では、あんたたちに、もう少し土産を渡そう」  真壁は腰のベルトから拳銃を引き抜くと、仲間の一人一人に視線を向け、最後に岡島に頷いて見せた。                *  インターホンを押すと、すぐに妻が出た。ドアが開けられると同時に黒い影が山根の胸に飛び込んできた。娘のシヴァだ。  山根は娘を抱き上げてリボンで結ばれた癖毛を優しく撫でた。 「あなたが帰るまで待ってるって、夕食も食べずに起きてたのよ、この娘」  妻は、そこまで言うと言葉を詰まらせた。 「遅くなって本当にすまない。心配をかけてしまって……」 「いい狩り(グッド・ハンティング)だった?」  なじったりする代わりに妻は静かに、そう聞いた。 「あぁ。いい狩り(グッド・ハンティング)だった……お腹が減ったろ、手伝うよ」  当初より少なくなった分け前が入ったリュックサックを妻に手渡すと、山根は玄関のドアを閉めた。                *  決断した真壁の行動は素早かった。  彼は岡島から視線を外すと、(ひざまず)かせていた加工車の係員2人の頭を次々に撃ち抜いて、銃口を棄民(きみん)のリーダーに向けた。 「さぁ、土産だ! これで文句があるなら、俺たちは最後まで戦う! 先ずは、あんたを撃ってからな」 「死ぬのは怖くない」と棄民(きみん)のリーダー。「わたしが死んでも、代わりはすぐに現れる」 「さて、それは、どうかな。たぶん、あの松明(たいまつ)の中には、あんたの家族も混じってるんじゃないのか? それも見殺しにするのか? きっと全滅するぞ」 「どういうことだ?」 「政府が黙ってないってことさ!」 真壁の意図に気付いた山根が人肉加工車の車体を叩いた。「係員が消えても政府には、どうってことないが、この怪物はどうすんだ? このままここに置いとくのか? 隠したって無駄だ。政府は躍起になって探すぞ。もちろん、ここへも今まで以上に頻繁に来るだろうな。その点、私たちなら人肉配給センターの横にでも乗り捨てて家へ帰っておしまいだが、あんたたちはどうだ? 誰が返しに行くんだ? 一度は逃げ出した街中へ戻りたい奴を募るんなら、話は別だ。どうせ叩けば埃の出る身なんだろ。見つかればイジめ抜かれて殺されるだけだ。それでもいいんなら死ぬ気で行くんだな!」  棄民(きみん)たちに動揺が走った。 「政府は国の財産を必ず回収に来るぞ。回収に大量投入されるのは、きっと陸自のレンジャーだ」  この真壁の言葉が駄目押しとなって、瞬く間に話はまとまった。  食糧を持たされずに厳重立ち入り禁止区域でサバイバル訓練を積む陸自のレンジャーにとって、棄民(きみん)など半世紀前の蛇や川魚ほどの価値しかないタンパク源だ。殺され放題、喰われ放題になるということだ。  加工肉の五分の三と係員の死体を棄民(きみん)に引き渡した山根たちは、損害を出さずに帰路についた。  真壁は「傷が癒えるまで事業所には連絡を絶やすなよ。加工所送りにならないように鼻薬は効かせておくからな、岡ちゃん」と彼の頭を子供にするように、くしゃくしゃと掻きまわした。狩りの仲間から安堵の笑いが起こった。                4  キッチンから妻の小さな悲鳴が上がった。  テーブルに皿を並べていた山根が(いぶか)りながらも妻の側に行くと理由がわかった。まな板の上の腿肉は加工が不十分で、まだ皮が付いている所があった。それを見た山根の視界が曇りはじめた。皮には入れ墨の跡があり、“人肉(フレッシュ)()自由(フリーダム)”と読めた。 「どしたの?」  テレビを見ていたはずのシヴァが心配してキッチンに顔を出した。 「何でもないのよ、シヴァ」 「そうだよ。母さんの言う通り、何でもないよ」  妻の鼻声に、山根も喉を詰まらせながら頷いた。 「うわぁ。美味しそうな、お肉!」  シヴァの言葉に山根と妻のお腹が同時に、ぐぅっと鳴った。 「うん。ほんとに美味しそうだ」  山根と妻はキッチンペーパーで涙と一緒に湧き上がってきた(よだれ)を拭うと、娘のために塩とコショウをほどこした腿肉をフライパンに入れた。妻と山根の目の前で、娘の左腿肉がジュッと音をたて、食欲をそそる匂いが立ちのぼった。  今夜の晩餐は特別うまいに違いない。                了
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