一拍

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一拍

深夜零時、“彼”は決まってこの錆びれた神社へ来る。県内の者はもちろん、地元の住人からも忘れられている、この鬱蒼とした森の小さな社に。 「こんばんは。こんなところで何してるの?」 まるで鈴の音のように透き通った声だった。 だが誇張ではなく、彼に声を掛けられたときは本気で心臓が止まると思った。ここで聞こえる音はせいぜい風によって擦れる木々の葉音ぐらいだ。高い音はまず聞こえない。 ごおごおと森がざわめく。昼間でも薄暗くて幽霊が出そうなのに、こんな夜更けに社へ訪れる者などまずいない。にも関わらず、目の前には優しい笑顔を浮かべた若い青年が佇んでいた。そして、階段の途中で座り込んでいる自分を見上げている。 いやまさか。ほんとに、幽霊じゃない……よな? 冷や汗が額を伝う。恐れていることを悟られないよう瞼を擦る。そしてもう一度、その青年の姿を確認した。 暗がりのため視界が悪いが、よく見ると息を飲むほどの美青年だった。長身で、グレーのジャケットと紺のズボンを着こなしている。こんなド田舎では良い意味で浮いてしまいそうなスタイルだ。 この町にはもう十年以上住んでいるが、初めて見る顔だ。ここは全てが狭い町。こんな綺麗な青年がいたのなら忽ち噂になる。普段は化粧などしない女性達が打って変わってお洒落するに違いない。 そう思うとやはり違和感は拭えなかった。後ずさり、たまった唾を飲み込む。 「お兄さんは……? 他所のひと?」 声を出したのは久しぶりな気がした。若干震えてしまったかもしれない。 やや背中を丸めながら問いかけると、彼は優しく笑って頷いた。 「うん。どうしてもここへ来たくて……だから、旅行みたいなもんかな」 旅行……。 やはり、またまた面食らった。何故ならこの町は観光できるような場所がひとつもなく、同じ県内の人間でも来る機会はそうそうない。あるとしたら上京して、親や家族の顔を見にきた者達ぐらいだ。仕事先も限られるから、高校を卒業する若者はほとんどが外へ出ていく。そこからまた戻ってくる者は半分以下だ。人が増えては減って、減っては増えての繰り返し。 傍から見ると大きな変化は感じられないが、しかし、人の数は以前より確実に減ってきていた。今いる場所がそれを物語っている。
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