2.小雪の章 交錯

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 初詣の参拝客にもみくちゃにされたあと、ラブホテルに入った。  初めのうちは抵抗があったのにコンビニで商品を選ぶときと同じような調子で部屋を選ぶ信洋の姿を見ていると、しだいに嫌悪感は薄れていった。  ガラスの壁に覆われたバスルームや、中央にどんと置かれたクイーンベッドがセックスをするための部屋だと主張しているのに、信洋は自室のような気軽さでテレビのスイッチを入れる。  全身にのしかかる疲労に負けた小雪は、Pコートとブーツを脱ぎ捨ててベッドに寝そべった。信洋も同じようにベッドのへりに腰をかける。  体を丸めてふくらはぎをもんでいると、信洋の腕が伸びてきた。筋肉を脱力させて両足を彼に預ける。太い指がほどよい痛さで足の裏を刺激していく。  手のひらは徐々に太ももの方に上がっていき、焼き魚をひっくりかえすように小雪をうつぶせにすると、腰のあたりももみほぐしてくれた。  息を吐いて横になると、信洋が背中から腕を回してきた。小雪の薄茶色の髪の中に顔をうずめ、指先がわずかに胸のあたりにふれる。  小雪は花柄の壁紙の破れ目を見つめながら言った。 「先にお風呂に入ろうよ。私の髪、煙草臭くない?」 「煙草っていうより、おいしそうな匂いがする。パンケーキみたいな」  甘党で酒も飲めない信洋が、首筋にそって鼻先を動かす気配を感じた。小雪はわざとらしく寝返りをうって体を起こす。 「お風呂が先ですー」  立ち上がってバスルームの戸口に向かうと、信洋も重そうな瞼をこすって起き上がった。  朝は五時起床、夜十時には就寝の生活を貫いている彼には、深夜一時はとっくに夢の中なのだろう。  抱き合わずにすむならその方がいいと思ったが、ひとたび裸になれば、そうもいかない。  丁寧に全身を洗い合って乾かした後、もつれるようにベッドに入った。  のしかかっているのはずんぐりむっくりの信洋なのに、何度も武の姿がちらつく。  小雪を抱く武の姿は、むなしい妄想だ。アパートに上がりこんで同じベッドで寝ることはあっても、本当にただ睡眠をとるだけだ。武は小雪を抱き枕のようにひきよせて、何もせずに寝てしまう。そんなに自分には魅力がないのかと腹を立てる一方で、この時間を失いたくないとも思ってしまう。  本命以外の男と寝るのが浮気と言うならば、どちらとセックスをした場合に浮気判定が下されるのだろう、などと馬鹿げたことを考えているうちに、信洋が侵入してきた。  体の奥の方に違和感をおぼえ、思わず腰をひねった。この半年で内部は信洋の形にぴったり合うようになっていたのに、少し会わないうちに、妙な空洞が生まれている。  どんなに体を動かしてみても、わずかな空白が埋まらない。信洋はいつもと変わらず小雪の様子を伺いながら体を動かしている。  小さなうめき声を上げて信洋の分厚い胸板を押すと、彼はゆっくりと自分を引き抜いていった。 「ごめん……痛かった?」 「ううん……やっぱりちょっと……体調よくないみたい」  体を丸めるようにして横たわると、信洋はシーツを引き上げて小雪の体にかけた。  裸のまま寝たふりをしてわざとらしく寝息を立てながら、信洋の入眠を待った。彼の丸太のような腕が小雪を抱きよせた。胸のあたりにずっしりとした重みを感じた。  両足を腕の中に折りたたむようにして目を閉じる。体の震えを悟られたくなかった。  時の流れが止まったラブホテルの一室に、時計のぜんまいを巻く音が聞こえる。  祖父から譲り受けたという古いぜんまい仕掛けの掛け時計を、武は朝起きると決まった時間に巻きはじめる。毎日巻かなくても支障はないけれど、子供の頃からの日課で、慎一郎と早起き合戦をして奪い合うように巻いていた時期もあったと言っていた。  あの日の朝もぎりぎりとぜんまいを巻き上げていた。朝日を浴びて微笑んでいるのは、愛美と慎一郎の家族だった頃の、優しいタケ兄だった。                ***  明け方、全身に痛みを感じて目が覚めた。手足の先が氷のように冷たくなっている。  ベッドのヘッドボードにある空調の強ボタンを押してから、信洋を揺すった。  始発に乗れば、父と母が起きる前に帰宅できるだろう。まだ数時間しか寝ていないけれど、眠気は全くなかった。  まだ未練のありそうな信洋はベッドから降りようとした小雪の腰に抱きついたが「寒いからお風呂入ってくるね」と言って彼の頬に冷えた指を当ててからふりきった。  ポケットカイロがあればいいのにと思った途端、途方もない罪悪感が押しよせてきて、再びベッドの上に腰かけることはできなかった。
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