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六畳の狭い洋室の中に、ベッドとライティングデスクが置かれている。家具で埋め尽くされた壁のほんのわずかなすき間に、ウッドベースを立てかける。
ベースの元の持ち主、有川慎一郎は、もうこの世にはいない。
大学進学後、中古のウッドベースを探していた小雪の元に、慎一郎のベースを使わないかと持ちかけてきたのは武だった。実家で眠ったままにしているより、現役のプレイヤーに弾いてもらった方がよっぽどいいと、両親を説得したらしい。
躊躇うことなく喜べたあの頃と違って、今はこの存在を少し重く感じている。
このベースがなければ、武は振り向いてくれない。
ベッドに身を投げ出して天井を見上げる。頭の中で昨夜の『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』が流れている。この曲をコンボを組む条件にあげたのは武だった。どんなテンポでも自在に弾けるようになれと言われ、信洋と愛美と一緒になって、様々な音源を元に演奏を作りあげていった。
半年前、ライブは実現しないまま武の音信がぷつりと途絶えた。愛美に様子を尋ねても実家には全く帰ってこないし連絡もつかなかったようだ。メールアドレスはいつの間にか変更され、かけてみても留守番電話サービスにつながった。
ふらりと姿を見せたのが、つい二週間前のことだ。仕事帰りのスーツ姿で『ブラックバード』に出演していた小雪たちを訪ねてきた。
あっけない再会に、小雪は拍子抜けした。
真っ先に彼にかけよって文句を言いだしたのは愛美だった。腕にしがみついたまま延々と実家の様子を並べ立て始めた。そのうちに部員たちが武を取り囲んでしまい、小雪は微塵も近づけなかった。
最後に会ったときよりも頬が痩せたようだった。仕事が忙しかったのかもしれないと思うと、ぶつけてやりたかった熱は次第に引いていった。
あの日は慎一郎の月命日だった。武は何を思ってコンボを組もうと言いだしたのだろうと、今なら冷静に考えられる。
再来月には五周忌を迎える。恒例の追悼セッションは行うのだろうか。主催の武からはまだ何も聞いていない。毎年アレンジを変えて披露される『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』に今年こそは出演できるだろうか。
――どこかで音楽が流れている。きっとあなたはそこにいる。なんて空高い月……
小雪は英語の歌詞を口ずさんだ。そのうちに重い眠りがまぶたに訪れた。
武のぬくもりを思い出しながら、闇に引きずりこまれていった。
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