第一話

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第一話

 遠くから聞こえる祭り囃子の陽気な笛の音が、天蘭(てら)の心を一層憂鬱な気分にさせた。  小さな村での祭りはこぢんまりとしていて、その人口規模に合わせたように、小さな提灯が吊り下げられているだけだ。  舗装された道路に並ぶ出店も、明るい街灯もない。すれ違う人波もない。目印のように建っている神社の方向から聞こえる祭り囃子が、今日は間違いなくこの村の、小さな祭りの日だと言うことを示してくれている。  天蘭は道端をのろのろ歩く。濡れた金色の髪を振って、水気を飛ばした。  十六時頃まで眠っていて、起きてもだらだらと布団に籠っていた。そのため、シャワーを浴びた後に髪の毛を乾かす時間がなかった。  夏の盛りは湿度が高く、汗と濡れた髪で不快指数が増す。  濡れた髪の合間から、まぶしい光が目を刺す。天蘭は目を細めて、山の方を見た。  深い緑の山の稜線に、燃えるような夕日が沈みかけている。  濡れた髪も何もかもうっとおしい気分になり、思わず「何で夏祭りなんかに」と不満の声が口からこぼれ落ちていた。  年に一回、この三垂(みしで)村で行われる夏の村祭り。この春、村に引っ越してきた市容(いちよう)天蘭も、参加することになった。その理由は、説明すると長い。  始まりは、父が脱サラして農家になると言い出したことからだった。  天蘭も母も冗談だと思っていたが、ある日、父の地元である三垂村にあった実家を改築し――あれよあれよという間に話は転がりはじめた。  結局、高校二年生に進級すると同時に、天蘭は住み慣れた東京を離れることになる。  百パーセント都会っ子の天蘭は、持ち前のコミュニケーション能力で瞬く間に村に馴染んでいく父をよそに、この田舎の高校には馴染めなかった。  早く東京に帰りたい。  毎日そう考えながら過ごしていた。  ここはスタバもマックもコンビニもない。お気に入りのゲームを徹夜でやるときのための、エナジードリンクも近くに売っていない。小説や漫画の新刊は、一日遅れで入荷するから発売日に読めない。そして、ネタバレを踏む。  テレビで話題になるお店も、以前のように興味を持ったらすぐに行くことはできない。  有名人が行くというアイスクリーム屋。ゲームのイベント。ライブ。映画の舞台挨拶……。  お気に入りのファッションブランドの新作発表が、異世界の出来事のように遠く感じる。  時代に取り残されていくような環境に置かれたことが、たまらなく悲しくなった。  ずっと欲しくてお小遣いをためて買ったハイブランドのスニーカーも、見る者がいなければただの運動靴である。  学校の同級生たちも、地元の農場の牛が逃げただとか、誰がバイクを買っただとか、そんな話ばかりでつまらない。  金色に染めた髪と、みんなとは違う制服も、天蘭が村に馴染めない理由の一つだ。髪を金髪にしたのは前の学校が髪色が自由だったから。自分に似合うと勧められた色に染めて、ズルズルとそのまま染め続けている。  みんなと違う制服なのも、制服を作るための個人でやっている洋服店が、車で片道一時間かかり、作りに行く時間がなかったから。  反抗心は少しもないのだが、そうは見られていないようだ。  そんな天蘭に興味を持って話しかけてくれていると思った同級生たちも、「金髪の転校生」が異質なものであると思っていた、ということにだんだん気づいていった。  檻の向こうの動物を見るような扱いがずっと続くと思うと、途端に居場所が奪われていくような感じがする。じりじりと崖に追い詰められて、安心して立っていられるスペースがなくなっていくような。  登校中、下校中にも見張られているような視線も、天蘭には苦痛だった。転校先の同級生たちは、めったに喋らず、人ともつるまない天蘭を不良だと勘違いしているようだった。  いじめられもしないけど、なんとなく遠巻きにされて孤立する。だんだんと学校へ行くのがおっくうになって、梅雨が始まる頃にはほとんど学校には行かなくなった。  高校二年生の夏。それは進路を視野に入れて行動すべき時期でもある。だからこそ、父は学校に行けと口うるさい。  父は天蘭が大学に行くことを望んでいるんだと思う。だからこそ父は、学校に行かないことを快く思っていない。  しかし天蘭は、勉強に情熱を持っているようなタイプではなかった。好きなのは美術と理科くらいで、他はダメダメだ。  将来はファッション関係の仕事をしたいと思っているから、成績が悪くても大して気にしていない。ファッションデザイナーとか、そういう職に就ければいい。が……そのために何か特別な努力をしている訳ではない。  この漠然とした考えは子供がテレビのスーパーヒーローになりたい! と言うのと同じで、将来の夢レベルのもの。人に言ったところで、もうそろそろ現実的な進路を考えなさい、と言われるに違いなかった。   転校先の高校の選択肢には、工業高校の服飾科もあったが、両親はなんの疑いもなく普通科である今の高校への転入手続きをした。……服飾科に行ってみたいとは、言えなかった。  東京にいたときも普通科に通っていたが、学校帰りに同じく洋服好きの友人とウインドウショッピングしたり馴染みの古着屋に行ったりして、それなりに充実していた。でもここでは、そんなこともできない。  今は友人のSNSすら、遠い世界の出来事を切り取る窓のように感じられて、つまらなくなってきた。最近はほとんど見ていない。  高校を卒業できれば、このまま親の思っている通りにどこかの大学に行くのだとぼんやりと思っている。そしてそれを卒業したら、どこかの会社に就職して、どこかの誰かと結婚して……。それが正しいのだと、頭では分かっている。  イヤだとまでは言わないが、何か違う気がして、そのレールに乗ることを体が拒否している。  父は、学校に行けずにいる天蘭に対して、今日だけは頼むから村祭りのお手伝いに行ってくれ、と言ってきた。村の社会では、イベントごとに参加することや、お互いに助け合う精神が重要なのだ、と。  都会のようなお互い無関心の関係が心地よかった天蘭にとっては、なんだか縛られているようで窮屈な感じがする。  しかし、この村で生まれ、小学校に上がる前に引っ越した父は、そうは思っていない。三垂村に愛着があるらしく、この村に戻りたがっていた。  そして、それが叶った今、天蘭がこの村に溶け込むことを望んでいるのだ。その父の気持ちを突っぱねるほど、天蘭はやんちゃでもない。  大人の言うことはいつでも正しい。今のうちに、都会から離れて自然の中で暮らすことは、天蘭の教育のためになる、と説明された。  天蘭が戻りたいと強く言えば、東京で仕事を続けている母の元へ返してくれるのだろう。それが分かっているからこそ、天蘭は戻りたいと強く主張する気にはならなかった。  いまいち乗り気になりきれず、だからといって逃げ出すような勇気もない天蘭は、こうして村の神社の境内まで歩いて向かっているのだ。  重い足取りで村の集会所に向かう。  盆踊りのやぐらと提灯のあわい光が目に入る。集会所のすぐ隣には神社があり、子供たちはそこに集まっていた。  参道に続く道には、屋台がいくつか建っている。  屋台と言っても大規模な花火大会にあるようなものではなく、ビーチパラソルのようなものを建てて、その下に長机を並べただけのものだ。  それでも子供たちは綿あめやポップコーン、フランクフルトなどに目移りしているようで、参道を行ったり来たりしている。小学生くらいの子が、甚平を着てとことこ歩いているのを見て、少し顔がほころぶ。  父は後から来て、綿あめの屋台の手伝いをすると言っていた。おそらくこの参道の屋台のことなのだろう。  天蘭はというと、神社で行われる儀式の準備に参加するように言われていた。高校生くらいの男子の力が必要らしい。大方、御神輿を運び出すとか、そういう類いの手伝いだろう。  最後に力仕事をしたのはいつだっけ、と思い返してみる。ここしばらく、二リットルペットボトルより重いものを持った記憶がないことに気づいて、恥をかくのではないかと心配になった。  やぐらを通り過ぎ、参道を過ぎて境内に向かう階段を上る。  階段を上りきり、平らな石畳を踏む。そこは異様な雰囲気に包まれていた。  祭りの喧噪を背後に感じるのに、境内は不気味なほど静まりかえっている。  同じように集められたであろう、同じくらいの年齢の少年が数人、目に入る。  顔に見覚えのある人もいる。高校で同じクラスなのかもしれない。彼は処刑される寸前の囚人のように、唇を真一文字に引き結んで俯いている。どうしても名前が思い出せなくて、こめかみを押さえた時だった。 「おお、みんな集まったね」  場違いなほど気楽な声の主に、一斉に注目が集まる。  境内に現れたのは、この暑いのに半袖のワイシャツを着てスラックスを穿いた、初老の男性だった。  どこかで顔を見たことがある。そう思って記憶をたどる。家のリビングに置かれた村の広報誌に、同じ顔が載っていたのを思い出す。確か、十数人いる村議員の一人だ。  いつ死んでもおかしくないような覇気のない高齢議員の写真の中に、頭は白いがまだ元気のありそうな議員が混じっていたので、印象に残っていた。  その男が手をたたき、注意を向けるように促してきた。よく見ると、彼の背後には白いワイシャツにチノパンの男と、Tシャツにジャージを着た小太りの男がいる。  白いシャツの男の方は、表情もなく子供達の足元のあたりを見ている。小太りの男の方は、ねっとりした視線で獲物を見定めるようにあたりを見回している。  政治家には付き人や秘書がいると聞いたことがある。この狭い田舎でもその制度は通用しているのだろう。しかし、白いワイシャツの男は髪が長くて、シャツの裾を出したまま。清廉潔白な印象とはほど遠い。小太りの男の方は、休みの日のおじさんのように、清潔感がなさ過ぎる。双方とも秘書とはお世辞にも言えない風貌だ。  同級生たちは、大人におびえるように俯いている者もいれば、何かに立ち向かうような目つきをしている者もいる。  天蘭は落ち着き無くあたりを見回した。  諦めた顔をしている者も数人いる。自分のように、やる気がないけれど手伝いに来た人もいるのだろう。  少し仲間意識を感じて安心した。 「今日は集まってくれてありがとう。さっそくだけど、この神社でお祀りしている神様について、説明させてくれ。この村は非常に天候の影響を受けやすく、飢饉や洪水などに見舞われることが多かった――」  議員が何かを力説し始めるが、だんだんと集中力はそがれていく。  力仕事だけなんだから、さっさと終わらせて欲しい、と天蘭は頭を掻きながら考えていた。  きっとこの村にとっては大切なことなのかもしれないが、天蘭にとってはどうでもいいことだ。  周りにいる少年たちも概ね同じ考えのようで、心ここにあらずといった様子で遠くを見つめている。  この村で昔から祀られている神様のことだから、村人たちは真剣に説明したがるのだろう。全校集会の校長先生の話を誰も聞いていないように、この場でもその話を聞いている人はいない様子だった。 「……というわけで、この村は災害が多い。一人でも多くの子を産む。子孫繁栄が我々の仕事だと言っても良い」  遠くに見える山の稜線と、夜闇の境目を見ようと目を細めているうちに、話は終わったようだ。  議員の男は話し終えると満足した様子で、天蘭たちを促して神社の中に入るように言った。彼は背後にいる男たちを従え、先に本殿に向入るために歩き出す。  子供たちはぶつからないように道を譲り、境内の砂利を踏んだ。  天蘭も同じように後ずさって顔を上げた、その時だった。  目の前を通り過ぎる白いワイシャツの男の視線が、不意にこちらを向く。かちり、と目が合った。  その大きな双眸は射抜くように、天蘭を見た。 「――――っ!」  息が止まった。  俯いているのがもったいないくらい、整った顔の男だった。年齢は、四十代くらいだろうか。少し浅黒い肌と、乱暴に伸びっぱなしの髪の毛が、醸し出す色気を増幅させている。  目が合っているのはほんの一瞬だったはずなのに、長い時間のことのように感じて、息が苦しくなる。  視線が通り過ぎたあとも、奇妙な胸の苦しさが残っていた。Tシャツの胸のあたりを掴んで、落ち着こうと深呼吸する。 「さあさあ、みんなも早く中に入って。本殿は普段は入れないんだけど、今日だけ特別に、入ることが許されているんだ」  少年たちは議員に促され、三人の後ろについて行くように神社の方へと歩き出す。  後ろに付き従う大人たちも、力仕事を手伝うのだろうか。  なんとなく気になって、ワイシャツの男の後ろ姿を目で追ってしまう。彼は見向きもせず、神社の本殿の中へと消えていった。
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