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「………。」
ノアは手を握られたまま、やや目線を外した。
あまりにも真っすぐにこちらを見る彼の視線に耐えられなかった。
クラウスは真剣だった。
こんなイケメンで、強くて、将来を約束されている貴族の男性に求婚されたら、世の女性は二つ返事で了承するのだろう。
きっと。
「お断りします」
私以外は。
「ノア、」
「私は、誰とも結婚しません。今は卒業して研究者になることしか考えていません」
そう、卒業して研究者になり、田舎の家族を養う。それがノアの人生の目標だ。それ以外のことは正直考えもしていなかったし、その必要はないと今も思っている。
貧乏人のノアにとっては、今回のチャンスを活かして、のし上がるしか生きる道はない。
「…クラウス君にはわからないだろうけど」
何もかも持っている貴族様には、きっとわからない。
だから、いいのだ。
ノアはすうっと息を吸い、
「クラウス君には、私よりももっといい女を見つけて、私とは別の世界で幸せになってほしい」
そんな、断りの定型句を口にした。
「………。」
クラウスは呆然とノアを見下ろした。
一方、手を解放されたノアはするりとクラウスと壁の間を抜けて、パンパンと衣服の汚れを払った。
「じゃあそういうことなんで。さっさと残りの試験を終わらせましょ」
「…ふっ、」
「ん?」
完全に切り替えたノアが洞窟を出ようとコンパスを発動させていると、急にクラウスから声が漏れ出た。
なんだ?とノアが振り向くと、
「くっくっく……」
クラウスは俯いたまま、ぶるぶると身体を震わせた。そして、
「はっはっはっは!!」
ついには声をあげて笑い出した。
「え?」
ノアは、大丈夫かこいつ、という目でクラウスを見た。
「やっぱり、お前、最高だ」
「は?」
「流石は俺の女神(ミューズ)だ。一筋縄にはいかないとわかっていたが…、はは、ここまでキレイに振られるとは」
「ええ…?」
ノアは、かなり酷いことを言った自覚があった。
庶民がふざけやがって!と逆上されるかもしれないとも思っていたが、逆に何故こんなに爽やかに笑っているのだ、この男は。
嘘、まさか、こっぴどく振られて喜ぶような特殊性癖の持ち主?
「…もうここまで来れば、お互い単独行動でもいいよね。じゃあ、私先に行くから!」
「待て、逃げるな」
一気に恐怖を感じたノアは、言うが早いかダッシュで逃げようとしたが、すぐにクラウスに捕まった。
「離して!逃げるでしょ、普通!何、貴方怖すぎるんだけど!?」
「何がだ?それより、先にこれを渡しとく」
クラウスは暴れるノアを難なく抑えながら、四角い小型の箱のようなものを渡してきた。
「…何、これ?」
「通信端末だ。魔力を通してお互いの声を交換できる。伝書便はまた妨害される可能性があるからな。これが、俺の登録番号」
テキパキと説明するクラウスはいたって普通の様子だ。先ほどのノアの発言などなかったように。
ノアは手の中の小型端末を見て、次にクラウスを見上げた。
「え?ちょっと、人の話聞いてました?なんでそんな普通な感じなの?」
「ああ、聞いていた。だが、こちらも一度で諦めるとは言っていない」
「え」
クラウスは笑顔で言い切った。
途端、ノアの背にゾクリと悪寒が走る。
「悪いが、俺はしつこい男なんだ。ノアが諦めて俺の嫁になるまで、全力で口説かせてもらう」
「は!?」
「まあ、これからじっくりと攻めていくから覚悟しろ」
「え、ちょ、」
「さ、そうと決まれば、さっさと残りの試験を終わらせよう。無事に試験に合格したら、お祝いにデートしよう」
クラウスはノアの手を取った。そして機嫌よく鼻歌なんて歌いながら、歩を進める。
「え!?そんな勝手に!しかも受かるかどうかもわかんないでしょ!」
「合格するさ、俺もお前も」
「何、その自信!?ちょっと、手を引っ張らないで!」
強く握られた手は離されないまま、洞窟を抜け出る二人。外に出て、見上げた空は青々と冴え渡っていた。
数週間後、クラウス・フォン・べレスフォードとノアの両名は、卒業試験合格の通知を揃って受け取ったのだった。
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