七夕の罰

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大した日ではない。 正直そう思っている。 現在の日本という国において、年間行事の中でかなり地味な今日この日。 7のゾロ目というラッキーセブンな数字である上、 ラブストーリー史上最長遠距離であろう伝説もあり、 短冊に願い事を書いたりと もっとクローズアップされても良さそうなものだが、 「和」や「中」の古臭さが邪魔をしているのか、 なぜか10月の終わりの「洋」の新参者に完全に負けている。 そして大概梅雨であるため、天の川もヘッタクレもない。 そんな雨の夜。 五反田駅近くのカフェで時間を潰していると 大テーブル席の向かい側に女が座った。 フワッとしか見れていないので雰囲気だけではあるが、美人な感じがする。 長く付き合った彼女と別れて早3年。 もちろん、恋というものを意識している。 ただ 映画やアニメじゃあるまいし そんな運命的出会いなど全く頭になく、下心のみでその女の顔が気になった。 顔がない。 どうしたことか。 たしかに最近コンタクトを変えたが… いやいや。そういうことではない。 顔がないのだ。 幽霊?それとも幻覚? ただ一番不可解なのは、全く恐ろしくないのだ。 それどころか、「美人な感じ」は残っていて下心は健在だ。 「なんでしょう?」 その女が言った。 「私の顔に何か付いていますか?」 いや、顔がないんだ。何も付いていないんだ。 もちろん口もないからその女が言っていると、何故理解できるのかも不思議だ。 「いや、あまりに綺麗な人だと思って…」 奥手な俺がなぜこんなことを言ったのかわからない。 顔のない美人に向かって綺麗… それもわからない。 「え…初対面ですよね、わたし達… だけどそんなまっすぐ目を見て言われると…」 なるほど。 俺はまっすぐ目を見ていったのか。 目はあるんだな。本当は。 それにしてもこの女、なんて艶やかな声をしているんだろう。 もしも今夜、結ばれてこんな声で… いや、何を思っている。 顔がないんだぞ。そんな女を抱きたいなんて。 …だが確かに抱きたい。 「ナンパ… ですかね?」 「ああ、いや。すいません。ただ思ったことを口にしてしまいました。」 「え…また… そんなこと言われると。わたし赤面症で。」 おお、たしかに赤くなっている。 全く顔はないままだが赤い、赤いぞ。 色白な肌色が桜色になって顔がない分赤くなっているのがよりわかる。 赤いことはわかるんだ。少し嬉しくなった。 なんだろう、すごく可愛らしいぞ。 「抱きたい」ではなく「抱きしめたい」 そうなってきた。 「これからご予定はありますか?」 「あ、やっぱりナンパですか?」 「ああ、いや。ごめんなさい。お付き合いされてる方いらっしゃいますよね?」 顔がないのに? 彼氏いるのか?いねえだろ? いねえであってくれ。 「いないんですよ。3年前に別れてからずっと。」 よし。 でも3年前はいたのか。 顔のない女と?すごい奴がいたもんだ。 「こんなに綺麗な人を… その人は勿体無いことをしましたね。」 また言った。綺麗だと。顔がないのに。 どうしたんだ?俺は。 そして下心は未だ健在で 「飲みに行きませんか?」 「…え?」 「ああ、これはナンパです。」 「… えっと … はい。」 なんとまあ、ナンパしてしまった。 人生初のナンパは顔のない美人。 なんかすごいぞ、俺。 そのままカフェを出て、全室個室の居酒屋に入った。 その道のりですれ違った人の中で反応するのは男ばかり。 しかも顔がないというリアクションじゃなく、 明らかに美人を横目で見ている感じだ。 なんとなく優越感に浸ったが… そう、俺には顔が見えないんだ。 「乾杯。」 なんてことだ。顔のない女がジンジャーハイボールを飲んでいる。 口がありそうな位置に当てているだけのように俺は見えるが グラスの中の酒は減っている。 「わたしほんとにすぐ赤くなっちゃうんですよ。」 つまみ程度の料理を適当に頼んで待っている間に また色白の肌が桜色になっていった。 その女が、口がありそうな位置に持って行くたび お通しの高野豆腐が箸から消えて行く。すげえ。 その桜色の女と話が進む。 「そういえばお名前聞いてないですよね。」 「あっ…名前ですか… どうしようかな… 」 少し困った様子のような様子の… そう、顔がないからよくわからないが多分困っている。 「変わった名前とか?キラキラネーム的な?」 「そうですね… キラキラネームではあると思います。」 いやあもう、どんな名前が来ても驚きはしないなあ。 だってあなた、顔がないんだから。と酒も入ってか言いそうになる。 だが口説きたい気持ちのほうが大きいので、言えない。 「そんなに美人ならどんな名前でも似合うと思いますよ?」 「いえ… ずっとそれで悩んできたんです。」 今、一番の俺の悩みは君の顔が見えないことさ。 どんな目で どんな鼻で どんな口なんだ? 美人なのはよくわかった。何故俺には見えない? 「教えてよ、君をもっとよく知りたい。」 「… 」 「どうしたの?」 「…わからない?…わからないよね?」 桜色の女の、目がありそうな位置からひとすじの雫が流れた。 「… わたし、織姫… 」 「え?」 カフェで俺が七夕を意識していた理由。 それは3年前に別れた彼女を思い出していたからだ。 高校を卒業して就職したばかりの俺は、まだ一度も彼女ができたことがなかった。 それを話すと就職先の先輩が合コンを開いてくれるということになった。 品川のイタリアンレストランで男性陣が待っていると同じ人数の女達が対面して座った。 なかなかハズレだった。 だが先輩からの好意で開いてもらった合コンだというのもあるし 「とりあえず童貞ぐらいは捨てておけ」というアドバイスもあって スレンダーな体型と色白の肌という点だけで女子陣の中の一人と連絡先を交換した。 とりあえず…という気持ちで後日デートをしてその夜に見事…卒業。 結構、気持ちよかったってのもあって 「彼女ってことでいい?」 ってのに、頷いてしまってズルズルと2年。 いい娘であったことは確かで夜の声がたまらなく好きだったのはある。 そして彼女の方は俺のことをかなり愛してくれていたと思う。 で、付き合って2年のある日。 合コンを開いてくれた先輩が 「お前まだあの娘と付き合ってんの?」 「そうなんです、なんか別れられなくて。」 「でもお前。あの娘以外、オンナ知らねーんだろ?そりゃやばいって」 「先輩が開いた合コンじゃないっすかー。」 「まあな、だから俺も責任感じてさ。それで新しい合コン用意したからさ。」 お世辞にも美人とは言い難い彼女を振って 新しい出会いを求めるという選択は迷いはなく実行され、 新たな合コンの日付の7月7日に一方的にメールで別れを告げた。 笑いながら先輩。 「たしかあの娘の名前『織姫』だよな?なのに七夕に別れるなんて悪いやつだな。」 ちなみにその合コンは美人ぞろいだったが、 俺なんかが相手にされるはずもなく付き合った経験は一回のまま今日に至る。 そう… 「織姫」という完全に名前負けのキラキラネームの彼女と 3年前まで俺は付き合っていたのだ。 その名前を顔のない女が口にするもんだから。 口もないのに。 「うそだろ?オリちゃん?え… マジかよ。」 「そうだよね… 気づくわけないよね。わたし変わったもん。」 いや、そういうことでもないんだけど… 顔がねーからわかんなくて… とは言えないし… よく考えれば声もそう。赤面症もそういえば。 何故すぐに気づかなかった? いや、気づけねーだろ。顔がないんだし。 いやでも、あれ?美人な感じは… だって、オリちゃんはお世辞にも… いや、結局顔わかんないから美人もクソも… うーん。 動揺は隠しきれずに、とりあえずビールジョッキに口付けた。 「わたしね… 整形したの… 」 美しい涙がどこから出てるのかわからないが 溢れ出てくる。 ああ、なるほど。と思いながらも、 その顔が見えないんだよなあ。 「綺麗って言ってくれた… 嬉しかった… 」 大粒の涙が桜色の輪郭からこぼれ落ちた。 なんで綺麗なんて言ったのか。顔がないのに。しかも元カノに。 「この顔なら… 織姫って名前でも変じゃないかな?」 別れるきっかけとなった七夕合コンの日が近づくにつれ、 新しい出会いに気持ちが行ってしまった俺は、 オリちゃんに冗談交じりだが酷いことを言ってしまっていた。 親から付けられたどうすることもできない名前で 学生時代からずっと悩んできたのに彼氏から 「名前負けもいいところだ」とか。「どっちかというと彦星だ」とか。 最低だな、俺は。 そうだな… 今の君なら。 似合ってると… 思うよ。 ごめん。わかんないけど。 「もう一度、付き合って欲しくて。綺麗になれば振り向いてくれるかなって。」 たくさん流れた涙は間違いなく綺麗で 俺を思う気持ちで溢れていることが痛いほどわかった。 そうか。 オリちゃんは綺麗になった。 いや、綺麗だったんだ。 もう顔がないことに慣れてきた俺は 逆に顔なんかどうでもよくなってきた。 ここまで俺を愛してくれる人がいるだろうか。 オリちゃんは当時から抜群に中身のいい娘だった。 照れ屋で顔がすぐ赤くなるのも好きなところの一つだった。 一方的な別れのメールに対しても 「いままでありがとう。」 なんて返してくる本当にいい娘だ。 そんな娘を俺は。 なんで気づかなかったんだろう。 顔が無くなって現れたことで、 優しくて、料理が上手くて、スレンダーで、センスのいい、非の打ち所がない女となったオリちゃん。 俺なんかのために整形までして、もうこれで本当に美人なんだろうし。 俺に見えないのは、7月7日の「罰」なんだろう。 「オリちゃん…ごめんね。」 掘りごたつの向こう側に移った俺はオリちゃんの涙を拭った。 目の位置がわからないから、ちゃんと拭えたか不安にはなったが オリちゃんは笑ってるような感じがしたのでそのまま抱きしめた… カーン カーン カーン 鐘の音が鳴り響く教会。 お義父さんにエスコートされた純白に包まれたオリちゃん。 手を取り、神父の前へ。 神に誓い合って、さあそれでは誓いのキスを。 … って 口がどこかわかんねえ!
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