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「要ちゃん、おにぎり食べたよ」
それまで大人しくおにぎりを食べていた里穂は要の服の裾を引っ張る。要と涼吾の視線は里穂に向いた。
「えらいね、里穂。もう一つ食べる?」
「一つでお腹いっぱいになっちゃった」
「そう。じゃあ寝ようか。お薬も飲んだし、これで寝て起きたらきっと元気になっているはずだよ」
「里穂、要ちゃんと一緒に寝たい」
「私はこれから用事があるから、お兄ちゃんと一緒に寝て待っていて」
「また、どこかに行くの?」
「うん。パトロール。里穂が安心して眠れるように、町の様子を見てくるね」
「でも、またあのお化けに追いかけられたらどうするの?」
里穂は途端に身体を震わせる。ゾンビのことを思い出したようだった。
「私ね、最近ものすごく逃げるのが上手くなったの。さっきだってね、家の屋根をピョンピョンと飛び跳ねて逃げてきたんだ」
「それって本当? 屋根の上を飛ぶなんて、魔法使いルルラみたいだね!」
要がふざけて言うと里穂の目が輝く。一方涼吾の視線は冷たくなった。
「ねぇ、僕、そんな話聞いてないんだけど。屋根を飛び跳ねたってなに?」
涼吾はもちろん要に突っ込む。要はごまかすように大きく手を叩いた。
「さぁとりあえず里穂も涼吾も寝よう。帰ってきたら冒険の話をしてあげる。この世界には楽園があるんだよ。そこには三匹の犬と、ピンクの妖精さんが住んでいるの。それにメイドロボットがいて、きっとなんでもしてくれるんだよ」
「楽園? グチャグチャお化けはいない?」
「うん。楽園の中にはいなかった。悪いやつらは入れないみたい」
「里穂も、妖精さんに会いたいな」
「里穂がいい子にしていれば、いつか会えるかもしれないね」
「本当? じゃあ里穂、これからいっぱい寝て、元気になって、いっぱいお兄ちゃんと要ちゃんのお手伝いをするね」
里穂は自ら横になってシーツを羽織る。なにか言いたげな涼吾の視線を無視して、要は里穂に別れを告げた。
「要ちゃん、色々と聞きたいことがあるんだけど」
部屋を出て、涼吾は小声で要に話しかける。けれど要は首を横に振った。
「ごめん。時間がないから行くわ。早くしなきゃ日が暮れる。暗いとなにも見えないから、日が暮れる前にすべてを済ませたい」
「……帰ってきたら、全部話してもらうからね」
「了解」
要は話しながら玄関に向かう。涼吾はやっぱり要の後についてきた。
「本当に気をつけてね」
「うん。涼吾たちも気をつけて。知らない人がきても簡単にドアを開けちゃ駄目だからね」
「それは基本だよ。僕は里穂じゃないんだから、子供扱いしなくていい」
「涼吾と里穂、同じような目をして私を見るんだもん。里穂と同じく私がいないと寂しくて不安なんでしょ?」
要はニヤニヤしながら涼吾に言う。涼吾は照れを隠すように後頭部をかいていた。
「それは、要ちゃんは、僕にとってものすごく特別な存在だからね。あのさ、いつか言おうと思っていて、だけどまだ早いと思ってて、次に要ちゃんが帰ってきた時に言おうと決めていたんだけど、今言うね」
涼吾は廊下の真ん中に立ち止まって姿勢を伸ばす。真面目な話かと思って、要も足を止めて涼吾の言葉を待った。
「要ちゃん、結婚しよう!」
「はい?」
思ってもいなかった突然のプロポーズに要は固まる。涼吾の顔は真っ赤で、その目は真剣だった。冗談ではないようで、要はどういう反応をすればいいのかわからなかった。
「好きなんだ。要ちゃんのことが、幼稚園の頃からずっと好きなんだ」
「……えっと、ありがとう。だけど、結婚っていきなりじゃない?」
「法律はもう機能していないだろ。だから、婚姻届は必要ない。お互いの気持ちが通じ合ったら結婚でいいと思う。僕らは昔からの知り合いだし、お互いのことを知るために付き合う必要はないんだよ」
「いやいや。展開早すぎるよ。結婚って、そんな簡単なもんじゃないと思う。法律とか関係なく、手順があるっていうか。過程が大事っていうか。いくらお互いのことを知っていても、付き合う期間は必要だと思う。てか私、涼吾のことは好きだけど、結婚となると、なんか、ちょっと、違う気がするんだよね」
「……もしかして、他に、好きな人がいるの?」
「いや、いないよ。いないけど、今はそういうことは考えられない、かな」
要は涼吾のことを傷つけたくなくて、なるべくオブラートに包んで断ろうとする。
涼吾の気持ちは昔から知っていた。
涼吾の愛情表現は露骨で、小学生の頃から同級生にお似合い夫婦とからかわれていた。
要もなんとなく、いつか涼吾と恋人同士になるのだろうかと想像したことがあった。けれど結婚までは考えていなかった。
結婚はずっと先のことだと思っていて、今も全く想像がつかない。そもそも余裕がないのは本当だった。
「うん……そうだよね。僕も、直ぐに返事がもらえるとは思っていなかった。要ちゃんを悩ませるべきじゃないって思っていて、本当はまだ言う気じゃなかったし、だけど、我慢できなかったんだ。今はとりあえず、僕の気持ちだけ知っていてほしい。僕は本当に、要ちゃんのことが好きなんだ。要ちゃん以外の人と一緒になるのは考えられない。誰にも渡したくない」
「わかった。涼吾の気持ちはわかった。よくわかったよ。私なんかを好きになってくれてありがとう。落ち着いたら、また改めて涼吾のことを考えさせてもらうね」
要が言うと涼吾は眉を顰めた。
「……なんか要ちゃん、軽くない? 僕の気持ちを本当にわかっているのか怪しいな。返事は待つけど、イエス以外は認めないからね」
「……どちらにしても、帰ったら今後のことをよく話し合ったほうがいいみたいだね」
「そうだね。絶対、絶対に帰ってくるんだよ。もしも帰ってこなかったら、里穂と一緒に日本中を捜しまわるからね。要ちゃんが言ったんだ。戻ってくる場所は僕らだって。僕は要ちゃんを他のやつらにあげるつもりはこれっぽっちもないんだからね」
本気なのか冗談なのか、涼吾は全く笑わずに真剣な顔をしている。要はどこか様子のおかしい涼吾に戸惑いつつも、外に行く準備をして玄関の鍵を開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
雫からの依頼を終えないと涼吾とも向き合えない。
要は外に出て頭を切り替えた。
深呼吸ついでに空を見上げてみると、太陽はだいぶ傾き始めていた。
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