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「里穂は寝ているの?」
「うん」
「熱、下がらないよね」
「ああ。時々起きて、苦しいって泣くんだ。お兄ちゃんなのに、僕は里穂のためになにもしてあげられない。自分が情けないよ」
涼吾は悔しそうに顔を歪めた。それから訪れた沈黙を要は簡単に破れない。とりあえず散らばる髪を回収しなければいけないと思って、涼吾から目を逸らし洗面台を見た。山になっている髪を水で流せば、きっと排水管がつまってしまう。けれど蛇口の水は止まっていた。使えないのだからつまる心配をしても意味はなくて、それでもそのままにしておけないのは、ここが要の家だからだった。
現在、藤崎家の主は要である。両親はもう一カ月以上帰ってきていない。いや、要が留守の間に実は帰ってきていたのかもしれないけれど、それを確かめる術はなかった。
一週間前、約二週間振りに帰宅した要は家の中の状態を見て唖然とした。
リビングの窓ガラスは割られ、廊下や部屋の床は足跡だらけだった。いったいどんな人物が家に侵入したのか、要にはわかりえない。ただ目的はわかっていた。何者かは物資の略奪のために侵入したのだ。冷蔵庫は空っぽで、棚にあった乾物も綺麗に奪われていた。クローゼットも引き出しもすべて開けられ、要のベッドには使用した形跡があった。
要と涼吾はこの一週間のほとんどの時間を家の中の片付けに費やした。しかし元の状態に戻ることはなくて、荒らし尽くされた光景は今でも要の頭から離れないでいる。
他人の気配を思い出しては寒気がした。けれど藤崎家で暮らし続けるためには、すべてしかたないと割り切るしかなかった。
「そろそろ、行くよ」
要は洗面台の髪をかき集めて、ビニール袋の中に入れる。それを傍にあったゴミ箱に押し込んで、羽織っていた薄手のパーカーのチャックを押し上げた。キャップを被って、さらにパーカーのフードも被る。ズボンのポケットにはカッターを入れていた。それから軍手をはめ、マスクをつけ、水筒が入ったリュックを背負う。最後に鉄パイプを握った。
「……気をつけてね。要ちゃんがいないと、僕らは生きていけない。無事に帰ってきてね」
準備を整えた要を見て、涼吾はまるで永遠の別れを惜しむように目を潤ませていた。
「ちょっと、やめてよ。私は今生きている。明日からも生き続ける。あんたたちが心配で、簡単に死ねるわけがない。それよりも、早く足が治るように横になっていてよ。里穂が起きた時、傍にいてあげなきゃ駄目だよ。風薬、必ず見つけてくるから。それから湿布も食べ物も水も、必要な物を手に入れなきゃ生きたくても生きられない。生きるために私は行くの。私を信じて待っていて」
涼吾は上手く声を出せないほど感情が込み上げているらしく、ただコクコクと頷いた。
「じゃあ、行ってくるね」
要は玄関まで移動する。涼吾も足を引きずって後をついてきた。
涼吾は要の家まで移動する途中、要を庇って足を痛めた。そのことに責任を感じているからこそ、要は一人で物資の調達に行くことを決意した。強い使命感を抱いているのに、直前で泣かれてしまったら迷いが生じる。なるべく早く帰ってくるともう一度涼吾と約束をしてから、玄関の鍵を解除した。それから扉を開けて、外の様子を確認する。人影はどこにも見当たらなかった。
「いって、らっしゃい」
背後から聞こえる涼吾の声に、要は頷いて応えた。
一度外に出たら声を出すべきではなかった。誰が耳をそばだてているかわからない。要の意識はもう中には向かず、後ろ手で扉をそっと閉める。
鉄パイプを片手に、荒廃した町に飛びだした。
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