第一章 楽園

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 男はまだ十代後半に見えた。  おそらく要と同い年か、少し上くらいだ。  最初に一人だと言っていたけれど他に家族はいないのか。  別々に住んでいるとして、連絡がつかなくて心配ではないのだろうか。  自分が男の立場だとしたら、一人では不安で、居ても立ってもいられないはずだと要は思った。 「知っているさ。けれど気づくのは遅れた。この家の防音は完璧だし、普段テレビを見なければラジオも聴かない。新聞はとっていないし、ネットにも滅多にアクセスしない。普段から外の情報はほとんど入ってこないんだ」 「……ならば、なにがきっかけで気づいたんですか?」 「週に一度家政婦がきていた。食料を運んだり、掃除をしたりしていた人がこなくて不思議に思って調べてみた。今世界はひどい状態で、あの人はもうとっくに死んでいるだろうな」  男は目を瞬かせて答える。知り合いの死を軽く口にする男に、要は少し気分が悪くなった。 「調べたって、どうやって調べたんですか?」 「数週間振りにパソコンを開いて、ようやく父親からのメールに気づいたんだ」 「父親?」 「俺の父親は植物学者で、母親は発明家兼人形作家。父親は職業として植物学者だけれど、母親のはただの趣味だ。二人は今、とある南の島にいる。そこから色々情報を送ってくれた。どうやら死人のゾンビ化は世界中で広がっているらしい」 「ご両親は、無事なんですね。てか、なんでメールを受信できたんですか?」 「島には数人の人しかいないはずだからこの辺のようにゾンビが溢れて混乱することはなかったんだ。連絡は個人の衛星を通じて取り合っている。祖父が以前打ち上げた特殊な衛星で、今もちゃんと動いている。けれど他の多くの回線は使えないようだな」 「私の携帯電話ではメールも電話もできないし、ネットにも接続できません」 「他の国でも同じような状況だろう。インフラは途絶えて混乱はまだまだ続くはずだ。この調子ではあと数カ月この家から動けそうにない」 「あなたは、あと数カ月もこの家で過ごすつもりなんですか?」 「他にどこに行けと言うんだ。絶対安全な避難所なんて存在しない。それに俺は体力がないんだ。こんな炎天下の中を外に出たら確実に死ぬ」  男はなぜか得意げに言う。  確かに男の顔は青白く、身体も薄い。見た目からして体力がなさそうだった。 「ゾンビは入ってこられないようなので、この家は確かに安全なのだと思います。だけど、食糧とかはどうするんですか?」 「俺は五年ほど引きこもり生活をしている。両親は不在がちで、俺が餓死しないように以前から色々と買い置きしてくれていた。非常時の対策は常に万全なんだ」  やっぱり誇らしげに言う男はいったい何者であろうか。  両親がすごいことはわかったが、男自身に名声はないようで、話せば話すほどあまり関わってはいけない人種に思える。  早くこの家を出たほうがいいのだろうか。  要は考えて自宅にいる涼吾たちのことを思い出した。非常時の対策は万全だと男は言った。ならばこの家には要が必要としている薬があるはずだった。 「あの。私、薬を探して歩き回っていたんです。どうかお願いします。風薬と食料をわけていただけませんか? 六歳の女の子が風邪を引いてしまって、私の帰りを待っているんです」  要はすべてを持っていそうな男に頭を下げる。男は真っ直ぐと要を見て口を開いた。 「嫌だ」 「えっと、あの、薬だけでも、お願いします。早く薬を持って行かなければ、あの子は死んでしまうかもしれない。二日前から熱が下がらないんです。この暑さで、ただでさえ体力が低下している。小さい身体ではいつまで耐えられるかわかりません」 「風邪を引いてなくたって、どうせ直ぐ死ぬだろ。六歳じゃこの先も生き残れないはずだ。だったら早くに死なせてあげるべきなんじゃないか?」  男は平然と言う。断るにも他に言い方があるだろうと思って、要は無性に腹が立った。 「あんた、それでも人間なの? こういう時こそ、助け合いが必要なんじゃないの?」  要は怒りにまかせて勢いよく立ち上がったものの、ふらついて床に膝をついた。  男はそんな要を冷たい目で見下ろしていた。 「もうお前のことは二度助けた。ゾンビから助けて、熱中症になったところを看病してやった。助け合いと言いつつ、お前は俺に助けられてばかりいるんだ。お前こそ恩を返すために俺の手助けをするべきなんじゃないのか? それに食料を一度渡したらきりがなくなる。その渡した食料が尽きれば、きっとお前はまた俺の元にやってくるだろう。六歳の子供を盾にして、譲らなかったら人でなしだと俺を指さして集るんだ。そんなの俺からしたらうっとうしいだけだ。社会秩序が崩壊した今、人でなしと責められてもなんとも思わない。出会ったばかりのお前にこれ以上の施しを与えても損しかない。そもそもお前がここにいるだけで俺にとってはリスクになっているんだ。お前みたいな人間がこれからうようよと集まってくると思うと吐き気がする。俺はもう二度とお前みたいな人間に対応しないからな」  厳しい言葉を発する男に、要はなにも言い返せなくなる。  綺麗事は通用しないと、この一カ月でよく学んだはずだった。それでも要には引き下がれない理由があった。
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