episode 1.

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暗闇の中心から連なっては落ちてくる無数の雨粒を、木刀を振り回して弾き飛ばす。 ザーザーと頭の中に響いている音が、なんだか無性に心地良いのは何故だろう。 雨が降り続く庭に足を踏み入れてから、一体どれ程の時間が経ったのか——私の着物はもうこれ以上濡れるところがない程に濡れてしまった。 じっとりと重たくなったそれを肩に感じながら、もう一度木刀を振り下ろす。 途端、濡れた掌からするりと木刀が滑り落ち、雨粒を躍らせながら地面に横たわった。 雨脚は弱まるどころか、ますます強くなっていく。 「いつまでそうしているつもりですか」 不意に背後から聞こえたその声に、私はゆっくりと声の主を振り返る。 「あなたには関係のないことです。私のことは放っておいて下さい」 「そういう訳にもいかないんですよ。僕はあの人に頼まれてここにいるんですから」 「あの人? あの人って誰のことですか? 」 「それは……」 彼は勿体つける様に傘を開くと、足元が濡れるのも構わず庭に降り立ち、当たり前の様に隣に立った。 行き先の変更を余儀なくされた雨粒が、傘を伝っては地面へと滑り落ちて行く。 「沖田組長のことですよ」 そんなことは言わなくてもわかるだろうという顔をして、彼は小さく息を吐いた。 「早く逃げた方がいいと伝えたのに、どうしてあなたはまだここにいるのですか? 」 「どうしてって……私には、他に行く場所なんてどこにもないから……。本当は、ここにも居てはいけないって分かってるけど……でも、どこにも行く場所が無いんです」 薩摩には行かない。だからといって、薩摩藩邸でいつまでもお世話になる訳にもいかない。かといって、迷惑をかけた寺田屋には戻れない。 元いた世界に帰る方法? そんなこと分からない。 私には帰る家が無い——どこにも居場所が無い。 「沖田組長が待っています。斬り殺される覚悟があるのなら、僕と一緒に行きましょう。明日の朝早く、あなたの部屋の前で待っています」 そう言って傘を差し出した彼は、屈託のない笑顔で微笑んでいる。けれど、柔らかな口元とは相反する様に、私を見下ろしている視線はあまりにも冷ややかだ。
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