優しい味

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優しい味

 今日のあんちゃんは、なんだか機嫌がよさそう。これは店に入った瞬間に分かった。 「イラッシャイマセッッ」  語尾が躍るように跳ねた、後ろに音符マークでもついていそうな言い方だった。まあ、私のような常連客でなければ気づかないだろうけど。  どうしたんだろう、と私は内心わくわくしながら、いつも通り中の葱抜きを注文した。  帰りだったら葱抜きにしなくても良いのだが、以前会社帰りに寄ったらもう閉まっていたのだ。営業時間に決まりはなく、お昼の最初の客が来たら開けて、材料が切れたら閉店するらしい。  そんなことを思い出していたら、割とすぐにどんぶりが出てきた。今日は薄味の予感。  口に含んだ瞬間、私は目を見開いた。そして、あんちゃんの方を見る。  なんという優しい味。そしてちょびっとだけピリっとする七味のアクセント。  ああ、あなた、恋をしたのね。  私は直感的にそう思った。こっちを向いたあんちゃんと、視線がかち合う。 「……いつもアリガトウゴザイマス」  あんちゃんは一旦きょとんと頭の上にはてなを浮かべたあと、頭のタオルをぽりぽりかきながら、照れ臭そうにぼそっと言った。  私ははっとして軽い会釈を返し、慌てて目の前のうどんへと視線を戻す。確かに、客がいきなり自分のことガン見してたらびっくりするよね。ごめんよ、あんちゃん。  この日以来、あんちゃんのうどんの味は優しくなった。毎日味もメニューも変わるのは変わらないけれど、いつも優しい味。  すぐに飽きてしまうかと思いきや、私はあんちゃんが気になって毎日つい気が付くとこの店に足を運んでしまっている。
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