1/1
50人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

 知らない者同士、あまり美味しくない駅弁、車窓の景色は黒にばらまかれた色とりどりのビジューのような夜景。東京から離れれば離れるほど、ビジューは数を減らしていく。その分、一つ一つの輝きは増していった。 「駅弁ってさ」  男は黙々と食べ進めていた牛タン弁当を台に置きながら言う。女は外を見るのをやめて、顔を向けた。 「大抵、美味しくないじゃん。でも、なんか食いたくなる。特別な感じするし。たとえコンビニのカルビ弁当がこれの半額以下で買えても、カルビ弁当の方が美味しい事を知っていても、買うんだよなぁ」 「お金出したの私だしね。そりゃ買うでしょ」  女の言葉に男は箸ではじかみを掴みながら「自腹でも買いますけどね、残念ながら」と答える。 「そう」  実際、女が買った牛ステーキ弁当はこれっぽっちも美味しくなかった。でも、男の言う通り旅のものと割り切って大人しく弁当を食べきっていた。  男は空になった弁当箱を片付けると、ガサガサと次のレジ袋を漁る。女は何を買ったのだろうと思いながら、やはり空の弁当箱を片付けて男のゴミと一緒に袋に纏めていた。 「はい、メリークリスマス。早いけど」  そう言いながら置かれた掌に乗る程度の小さなザッハトルテ。一丁前に柊の飾りと小さなサンタクロースの砂糖菓子付き。 「ゴディバだってさ。ゴディバのチョコレートが使われてなくても俺は気がつかないけど」 「ゴディバ?」 「ほら、ここ見てみ?」  確かに男の指差した箇所に老舗高級チョコレート店の『GODIVA』のロゴがあった。 「初ゴディバ」  テキパキとプラスチック容器を開けて、お次にプラスチックのスプーンを袋を破って出して女に渡す。女の方はまじまじとそれを見つめる。 「キミが買ったんだし、初ゴディバなんだし、食べなよ」 「いいから二人で食おう。俺、女の人には優しいんだ。真面目に」  受け取ったケーキを新幹線のテーブルに置くと、透明の使いにくいスプーンでケーキをひと掬いし、チラリと男を見て、その手を男の口の前に持っていく。 「早く早く。口に入れて。人に見られたら恥ずかしい人達に見えるから!」  初対面の男に『あーん』する儀式なんて恥ずかし過ぎて死にそうだと思いながら、女が急かす。男は目尻に笑いを湛えて、パクリと一口スプーンを覆うと、スプーンの先のザッハトルテを取り去っていく。 「甘いな……まぁまぁかな? 八百円の価値があるのかわからないけど……」 「けど?」 「お姉さんの困った顔見れたし、まぁ価値はある」  二人そろってそっと笑い合うと、女は「ケーキありがとう。もうすぐクリスマスだってことも忘れてた」と嬉しそうにチョコレートケーキを口に運んでいく。 「聞いてもいい?」  聞きながら男は手を伸ばして飲みかけのペットボトルのキャップをひねる。 「何で遠くに行きたいの?」 「行きたいから」 「OK。じゃあチョコレートは好き?」 「嫌いな人なんているの? 人生のご褒美でしょ」 「いるかもね。じゃあ次。ゴディバは食べたことあるでしょ?」 「んー、キミは案外鋭いね。これをあげる」  左指で摘まみあげられたサンタを男は素直に受け取って口に放りこむ。サンタは美味しくない。同じカップの中にいた割りに、チョコレートの一割も美味しさを感じなかった。 「ちょっとわがままな感じだから、一人っ子だね」 「そう言うキミは長男かな? 包容力がある」 「やるね、お姉さん」  会話は妙に明るく軽い。濃厚でどっしりとしたザッハトルテとは正反対。 「 ま、とにかく何があったのか知らないけど、落ち込まないことだよ。失ったモノより、残ったモノを見て生きていくといい」  ザッハトルテの中心にラズベリーソースが居たのと同じように、それは唐突でいて変に心を揺さぶる。  何も知らない癖に、何もかも知っているみたいな事を言う。 「年下の癖に偉そうだ」  喉に引っ掛かったケーキにむせそうになりながら文句をつければ男はスッと飲みかけのお茶を出す。女はそれを受け取って口の中をリセットすることにする。 「俺が年下かどうか、わからなくない?」 「……そうかな? いくつ?」 「俺、今年二十七だよ」  女は危うくお茶を噴き出しそうになった。高校生に見えてしまう大学生かと思っていたのに、多めに見積もったつもりでも五歳は軽く見立てとずれている。しかも、同い年とは……。 「やっぱりね。俺って若く見えるから。んで、お姉さんはなんで婚約指輪を捨てたの?」 「捨てた訳じゃない。拾って貰いたかっただけ」 「そか。じゃあ、願いは叶った?」  女はズボンのポケットを探る男を見ながら「願いは叶ってないから、持っててよ」と、これから出されるであろう指輪をまだ受け取りたがらない。男はポケットをまさぐるのを止めた。 「今年は那須でしょ。来年こそはもっと遠くにいこう。その時まで持っていて」 「来年も俺を拘束するつもりなんだ」 「ダメ? 本当は彼女なんて居ないんでしょ?」  男は一瞬目を見開いてから、可笑しそうに目尻にシワを寄せた。 「なんでバレた?」 「なんでって、怪しい女に誘われて断る時の常套句じゃない。でも、軽く押したら着いてきた。キミは浮気はしなそうだから、じゃあ彼女は居ないんだなって結論」  男はさらに笑みを深めて「俺、モテない訳じゃないんだけどね」と、言い訳を口にするが「モテそうなのはわかるよ」と、肯定されて優しく苦笑する。 「まぁ、いいか……。今年の拉致と来年の拘束のお代はなに?」  女はうーんと唸ってから「私を永遠に拘束する権利をあげる」と真顔で言うから、男はもう声に出して笑うしかなかった。 「自信家」 「そうだよ。私はキレイでスタイルも良くて……これから更なる高みに向かって歩き出すんだもん。絶対に負けない。成功させるから、だからそんな私をキミにあげるよ」 「そんなこと言っていいのか? 俺が変なやつだったらどうすんだよ」  女は手のひらを揺らして「いいの、いいの。とにかく今日は一人でいたくなかったし、遠くに行きたかった。だから、お礼はする。来年の今日、またあそこで会おう」と笑うけど、目は至って真面目だった。 「良いけど……一生拘束するかどうかはお試し期間を経てからってことにして欲しい。わがまま過ぎたらイヤだし」 「いいよー。そのかわり、キミも体型くらいは維持しておいてよね?」  一年後かと呟く男に、そう一年と女も呟いた。  その後本当に那須へに行き、名前も明かさぬまま一晩飲み明かして、翌朝には那須を後にした。  寝不足と二日酔いの二人は朝日を浴びて「またね」と別れたのだった。女は頑なに婚約指輪を男に持たせたまま去っていった。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!