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 日が暮れてきた。  太陽は橙色から茜色へと色を変える。太陽の断末魔は毒々しい赤だ。  女の長い髪は北風に弄ばれて上に下に、右から左に節操がない。特に歩道橋から階下のロータリーを見下ろすと、髪はより一層乱舞する。  冷えきった石造りの手摺に左手をつき、暫く人が行き交う様を眺めていた。視線をチャコールのニット帽に定めると、右手をライダースジャケットのポケットから抜きだし、手を真っ直ぐ欄干の先へと伸ばした。 「さあ来い、選ばれし民」  ゲームの呪文に似せた言葉を口にすると突きだしていた手をぱっと開いた。解き放たれた光は真っ直ぐに落下し、狙ったニット帽には当たらず、ニット帽の前に落ちた。ニット帽は足元に転がる輝きを見つめ、屈みこんでそれを掴み、顔を上げる。夕日の赤に染められた顔を乱れた髪がチカチカと邪魔をした。  男だな。まぁ、そうかなと思っていたけど。  女はハッキリと顔は見えない選ばれし民をそう判断した。男でも女でも良い。でも、どうせなら若い男が良い。幾ら歩道橋の上からだってシルエットさえ分かれば大体見当はつくのだから当然の結果だ。  女は下を覗くのをやめ、革のジャケットにある左ポケットから器用に一本メンソールの煙草を抜き取ると口に咥え、ライターを出して火を点けた。息を吸い込みメンソールの香りと煙草の芳ばしさを味わう。ふうと息を吐けば紅い色に白い煙が溶け出していく。 「あの、お姉さん。落としましたよね?」  女はニット帽の男に声を掛けられて、そちらをチラリと確認した。直ぐそこの階段を駆け上がって来たのだろう、男も白い息を吐いていた。  残念、普通にリア充臭。その辺の大学に通っているであろう若い男。もう少し世馴れてないのが良かったと手すりに背中を預けて寄り掛かる。 「あげる」  ニット帽男は、差し出した手の上に乗った指輪を見てそれから女を見る。 「要りませんよ」 「高いんだよ、貰っときなよ」  ニカラットのダイヤモンドだ。二百万円はする。今も無駄に煌めいていて、ニット帽男を困惑させていた。 「……俺に似合うなら貰いますけど」 「似合う、似合う」 「んな訳ないし」 「要らないなら質屋に行くとか」 「盗んだって思われるじゃん」  ニット帽男は少しフランクに、やや不機嫌にグイと指輪を突き出した。  それをまた横目で見て「あーね」と返して、口の端に煙草を咥えて両手をポケットに突っ込んだ。受け取る気がないことをアピール。それはしっかり伝わって、男をますます眉間にしっかり皺を寄せて困り顔。 「……ここに置いていくから」 「キミ、彼女居ないの? 彼女にあげたら?」 「居るけど、こんな得体のしれない物あげる訳ないでしょ」  居んのか、ヤダヤダ。  頭の中でぼやいて、口の端に挟んだままの煙草を人差し指と中指で摘まんで、灰を落とす。パラパラと雪のように落ちるグレーの燃えカスを男はうんざりしたように見つめていた。 「お兄さん、どっか行きたくない? 私さ、無性に遠くに行きたいんだよね。何もかも忘れて遠くに行っちゃいたいの」  とは言ったものの、灰を地面に撒き散らす事を嫌がっているのが伝わってくるので「まずは灰皿まで行こう」と歩き出す。目と鼻の先、二十歩歩くかどうかの距離に喫煙所があるのだ。 「これ受け取ってよ。遠くに行きたいなら行けばいいし、喫煙所も一人で行けば?」 「それが嫌だから受け取らないんじゃん」  男は「勝手だな」とボヤキながらついてくる。顔同様、人も良いらしい。損なことだわと、女はメンソールの冷たさに顔をしかめて灰皿に煙草を押し付けた。  喫煙所は中年サラリーマンと若い女とまたサラリーマン。それに指輪をもて余す男と、向かい合う黒革のライダースを着た女。  喫煙所のメンツは、求婚している男とすげなくあしらう女のような成り行きにチラチラと視線で行方を追っている。 「とにかくさ、指輪目立つし受け取ってくんないかなぁ……」  男は周りの視線に気が付いていて、指輪をそっと掌にしまいこんで手の甲を突き出す方法へと変えた。  その腕ごと女は抱え込んで、すがるように腕を組んで見上げた。 「一晩、付き合ってよ」 「いやだからさぁ……」 「彼女が居ても問題ないとこ行くんだよ。新幹線乗って、遠くに行こう。そしたら解放してあげるし」 「新幹線……どこいくつもり?」 「んー、北海道?」 「いやいや、遠いわ! 寒いし」 「新幹線降りなきゃ訳ない」 「常識的に考えて、今から行ったら北海道着けたとして深夜でしょ。泊まらない選択肢はないし、そしたら降り立った北海道の寒さに凍えんじゃん」  確かに夜に片足を突っ込んでいるのだから、その通りだ。北海道は遠い。 「じゃあ、那須とか? 近いよ、那須」 「日帰り?」 「え、泊まろうよ」 「お姉さん持ちで?」 「お金は出すよ」 「部屋別ね」 「なんでー、一緒に行ってるのに。私、襲わないよ?」 「信じられない」  何だかんだ言っても着いてくる気になってるなんて、お人好しなんだと改めて男を見上げると男の方も見下ろしていた。バチバチとぶつかった視線は思いの外近くて、煙草なんか吸わなきゃ良かったなどと変に気を使ってみたりする。 「お姉さん、キャバ系の人?」 「へ?」 「綺麗なのに病み気味だから」 「病み気味は余計」 「じゃあ、単なる迷惑な人」 「まぁ、それなら分かる」  分かるのかよ。と、吹き出して楽しそうに肩を揺らした。  チャコールは当たりだな。  最悪だった『今月の占い』に、ラッキーアイテムとしてチャコールのマフラーと書いてあった。ニット帽はチャコールではあるがマフラーではなかったが、神とはアバウトらしい。当たりすぎる占いに笑いたくもあり、泣きたくもある。  断末魔を撒き散らしていた太陽はすっかり姿を消していた。夜を迎えた駅は、クリスマスイルミネーションの彩られて目の奥をチクリと刺激する。  斜め掛けしたポシェットを揺らしながら女はゆっくりと表情を溶かしていく。  遠くに行かなくては。占いに書いてあった。 『迷いがあるなら遠くに行って気持ちを切り替えるのが良いでしょう』  遠くってどこ? どれくらい遠く?  神はアバウトだから、その辺りも適当らしい。那須でも許してアーメン。  師走の風が足元を抜けて駅ビルの壁に当たる。飾られている巨大なもみの木のオーナメントが揺らめいていた。
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