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Trick or treat
「悪戯してくれなきゃ、悪戯しちゃうぞ!」
黒マントを翻し、将之が開口一番、知己に浴びせた言葉がそれだった。
「は?」
摩訶不思議な言葉の意味が理解できずに、知己はその場に固まった。
十月下旬。
連日、生徒たちは文化祭に向けての準備に忙しそうだ。
逆に教師たちは、つかの間の閑散期を迎えていた。
中間期末考査の合間のこの時期。成績処理に追われることもない。学期末の懇談会に向けての資料準備もまだ先で良い。
いつもの授業準備を済ませると、取り立てて急ぐ仕事もない知己はその日定時に帰路についた。
帰った知己を待っていたのは、正装に黒マントを羽織った将之だった。
「何、やってんだ? お前」
「あれ? ハロウィンの謳い文句って、こうじゃなかったですか?」
「違うな。多少掠っているようだけど違う」
なるほど。
将之は、ハロウィンの仮装のつもりらしい。
(しかし、やべーな。こいつ……)
何度か将之のスーツ姿は見たことがある。それはいわゆるビジネススーツで、地味な色合いのよくあるタイプだった。それでも結構な破壊力があったが、今日のスーツは、いつもと違う。
なんだか高級そうな布地。輝くような黒さが引き立つ。確か、イブニングだかモーニングだか……。
「あ! 思い出した。タキシードだ」
やっと思い当たり、知己は名称を口にした。
結婚式で、友人の新郎が着ていたアレだ。
日常ではまず着ないそれを着ているのだから、違和感があっても良さそうなものなのに、この男が着るとそれがない。
(くっそ。かっこいいな……)
背が高いのですっきりとした出で立ち。マントまで付けているのだから、まるで実写版王子様だ。
いや、黒マントに黒タキシードなのだから、昨今流行りの「腹黒王子」という奴か。あるいは将之の性格を考えると「魔王」でもいいかもしれない。
知己が黙って将之の姿を見つめていると、
「教育委員会のイベントでハロウィンの仮装をしました」
将之が説明を求められたと勘違いして答えた。
「平和だな。今日は、クレームの電話は鳴らなかったのか?」
クレームをつけられる対象の知己が苦々しく嫌味を言うと
「電話番には後藤を置いてきました」
「よく後藤君が納得したな」
お祭り騒ぎ大好きな後藤が、このイベントに乗らずにおとなしく電話番するとは思えなかった。
「くじで決めたんです」
やはり、なんとも平和的解決方法だ。
「みんなで仮装して、PTA連合さんと一緒に駅前でティッシュ配りをしました。僕も記念に一個もらいました」
将之から差し出されたポケットティッシュには
「街ぐるみで育てよう! 青少年!」
と書いてある。
「企画書には『街ぐるみで青少年育成キャンペーンを、着ぐるみでやっちゃおう』となっていました。ハロウィンに引っ掛けた内容で、すぐにPTA連合もOK出してくれました」
「そのふざけた企画書出したの、後藤君だろ?」
「当たりです。鋭いですね、先輩」
「全然鋭くないよ」
容易く察することができる。
「しかし、企画者が企画に参加できないって、どうなんだ?」
「公平なくじだったんで。誰も異議申し立てはなかったですね」
教育委員会での後藤のポジションが、しのばれる。
「委員会の人だけじゃなく、PTA連合の人も一緒に仮装したんですよ」
「へえ」
「たまたま僕は『ドラキュラ』役を引きました。他にも魔女やミイラの仮装したり、狼男の着ぐるみ着たり。着ぐるみ当たった人は重そうでした。気の毒だったので、僕が代わりますと言ったんですが断られました」
(そりゃ、そうだろ)
将之のこの姿を見て、代わる者などそんなに居るとは思えない。将之のクオリティを見たら、どんな人が着たって見劣りしてしまうだろう。
「すぐにティッシュを配り終えて、今日は思ったよりも楽なお仕事でした」
教育委員会って監査や指導だけじゃなく、こんな仕事もするのかと知己は思った。
街頭のティッシュ配りなら、学生の頃に知己もしたことがある。
(知らない人に声をかけて配るのは、地味に辛かったが)
「結構なティッシュの量だったんじゃないか?」
と知己が聞くと
「よくもこれだけと思える量を用意されてましたが、老若女女に配ってたら、いつの間にか終わってました」
これも想像に容易い。
あえて男性を避けて、女性ばかりを狙って配ったようだ。
(こいつ、自分の外見の良さを異常に自覚していやがるな)
密かに知己は思った。
「さて、今夜の吸血鬼の餌食は、お姫様。あなたです」
言われて、おもむろに知己は後ろを振り返る。
当然、誰も居ない。
改めて向き直り
「もしかして、俺の事か?」
と聞けば、将之は深く頷いた。
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