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リトル・フレックル・ガール
「オーナー、もうこれで何件めの取材ですかあ?」
咲良が甘ったるい喋り方で訊いてきた。異性に対してならまだしも、同性にも変わらず咲良は甘ったるい。
「3件めかな。でも先月なんて15 件もあったんだから」
それはそれは大層な自慢。それでもオープン月からは少しずつ減っている。ちょっとだけ危機感を抱く。
〝田舎暮らしを応援する〟がコンセプトの月刊誌からの取材依頼。今回はお店ではなく、私のパーソナルな部分にスポットを当てた取材のようだ。
「オーナー、タレントみたいっすね」
咲良が私を調子に乗せるようなことを言う。
「ギャル社長、田染のどか!ってバカ言わせんじゃないの。早く厨房の片付けを済ませなさい」
「は〜い、ギャル社長さまぁ」
中学生の頃に観たテレビで、19歳で起業した『ギャル社長』を知った。その派手な容姿のまま畑で農作業をしていた。
「これだ!」と直感した。夢もなくやりたいことすらなかった私に、初めて具体的に将来を考えるきっかけをくれた人。それ以降ギャル社長は私の憧れとなり目指すべき未来像となった。
だけど、とりあえず私には誰にでもできることしか真似できなかった。このギャルな服装くらい。この世の中で服装を真似るくらい簡単なことはない。
それでも他に何も行動を起こさなかったわけではない。服飾専門学校を卒業後、私は地域おこし協力隊として大分県に移住したのだ。
大分県豊後高田市はソバの産地としても有名だった。そこで私は二年間、仕事としてもプライベートでも蕎麦について学んだ。蕎麦でまちおこしをする市が、推奨するそば道場の広報係を務める傍ら、そば打ちの指導を受けそば打ち段位認定会で初段を取った。さらりと語っているが簡単なことではなかった。数えるのも嫌になるくらい何度も落ちた。
父が和菓子職人というのが少なからず影響していた。手に職をつけるということの強みは父から教わった気がする。
本当は憧れのギャル社長のように農作業をやって、彼女のように農作業自体をビジネスにできなくとも、せめて自給自足の生活ができたらな、となんとなく考えていた。
だけど実際的になんとなくな気持ちで、なんとかなるほど甘くないと農作業をしながら私は悟った。
いつもの農作業の帰り道。辺り一面に白い花が咲いていた。それがそばの花だった。今思えばあの白い花が私にそれを教えてくれたような気がしてならない。
晴れてそば打ち初段を認定された私は、東京で地元をPRする事業を任されることになった。それは大分県が事業案を公募したもので、私の事業提案が見事に採用されたからだ。
その件についてはほとんど金澤さんのおかげでありお手がらだった。彼女は地元でも名の知れた優秀なインキュベーターで、四十代半ばで大分県に単身移り住み、もう七年になるらしい。全国を渡り歩くのが当初の予定だったと言いながら、「ここに居ついてしまったのだ」と言い訳していた。その言い訳はどれをとっても豊後高田の自慢のように私には聞こえたが、彼女は不甲斐ない自分を責めるような物言いをした。だけど彼女にとっては故郷ではない豊後高田がやがてほんとに故郷になる。彼女は言い訳せずに自慢してもいい。
なんせ私らのような〝移住組〟の人間にとっては先生であり神のような存在だったのだから。
その神はとても幸せそうな表情で、私の稚拙な事業計画書をまるでお伽話のように読んだ。
そこに私が描いた物語は確かにお伽話だったけど、彼女は優しく丁寧にアドバイスをくれ、修正を施してくれた。だけどそれはほとんど訂正と言うべきものだった。原型がわからなくなるくらい訂正され完璧な事業計画書は完成した。正しく神業だった。
金澤さんという神はその県の補助金と、別ルートで国の助成金を私に授けてくれて、パーセンテージでその一部を懐に入れた。賽銭箱に入れるには笑えないくらいの大金だった。
食べていくために必要で見事な職人技を、神は未熟者に見せつけたのだ。
〝田舎暮らしを応援する〟月刊誌に取材される資格は私にはないだろう。豊後高田市や大分県をPRするためとはいえ、僅か二年足らずで東京にUターンしてきたのだから。何より金澤さんみたいに豊後高田の自慢や魅力を語ることは私にはできない。真似することもできない。
東京都千代田区外神田、秋葉原駅から徒歩8分にある私のお店。
厳密には違うが周りの人はそう呼ぶここ秋葉原で、憧れの人と同じ『ギャル社長』という肩書きを私は手にすることができた。
お店の名は『ギャル蕎麦』。
元祖大食いタレントをもじったようなネーミングはマスコミウケを狙ったものでもあり、覚えやすくインパクトもあった。中高年男性向けのメイドカフェ的な狙いがあり、ギャル店員がお出迎えし本格的な手打ち蕎麦を提供するお店だ。
一見店舗は一般的な蕎麦屋にも見えて気兼ねなく入店できる。断じて如何わしいお店ではない。十代のギャル店員は、お客様に料理と共に笑顔を提供するだけだ。
むしろ私の方が十分に如何わしい。
24にもなってギャルの格好をして、お店で知り合ったお客と寝て、チップというには笑えない金額をもらったりもしてる。
お店の常連客でもあり、営業時間外でも私の個人的な常連客の横島さんは、顔はまあまあイケメンだけど内面はまあまあのクズだ。そんなクズの横島さんは仕事面ではとても優秀。IT系ベンチャー企業の社長をしていて、IT以外でもいくつかの会社にも携わり、若者の起業支援などもやっている。自分だって私と三つしか変わらない若造のくせに。ちなみにこれは褒め言葉。
県の補助事業としての三年が過ぎても、この店を続けていけるように横島さんには支援してもらわなくちゃならないから、彼と寝るのもビジネス。すなわち十分に如何わしい。
そうそう。
三日前に咲良とこんな会話をした。
「オーナー、相談があるんですけど〜」
人に相談を持ちかけるときも咲良は甘ったるい。
相談の導入部は、恵が複数のお客から言い寄られているというものだった。この店がキャバクラなら恵は間違いなくNo. 1の店員だ。しかし、この店はキャバクラではないから、それは深刻な問題だった。
「このお店は恋愛禁止ですかあ?」
純粋無垢な咲良の質問。
「あなたたちはアイドルじゃないから、そんなルールはないわ」と答えて、お店のアイドルと言えばアイドルか、と付け加えた。
「めぐみんはどう断っていいものか、いつも困ってるから」
「それは問題ね」と、とりあえずその場はその言葉で終わった。オーナーとしての解決案を、同性の先輩としてのアドバイスを、恵や咲良たちに伝えなきゃならないのに、そのままにしてたのだ。
以前、咲良もお客に言い寄られたと問題になったことがあった。
その時の客は露骨で、ホテルに行こうよ、と咲良を誘った。店内でだ。私は「他のお客様にご迷惑になりますので」と、酒も飲んでないのに酔っ払いのようなその客を半ば強引に店から追い出した。
その日の営業後に私はスタッフに言った。
「このお店はお客様に料理を食べてもらうけど、あなたたちがお客様に食べられちゃダメよ」、と。
冗談まじりだったがかなり本気だった。私にとってスタッフは可愛い赤ずきんちゃん。彼女らに言い寄る不届きな客はオオカミ。そんなオオカミたちから赤ずきんちゃんを守るのも私の使命。
「これは似合わないな」
どこかで聞いたようなことを言うお客。
そう、それこそ横島さんが言っていたんだ。ギャルと蕎麦。それをミスマッチだと、わかりきったことを言う横島さんに、「この人、大丈夫かしら?」と心配になった。あえて狙ってることくらい説明しなくてもわかりそうなもんだけど、と。
その人は私の父くらいの年齢だろう。例に出すには父があまりに不憫に思えるほどに、カッコよくてダンディーな男の人だった。
「どうかいたしましたか?」
私は経営者を気取ってダンディーなお客に訊ねた。
「場所柄もありコンセプトは理解できる。一定の評価はできる」
「ありがとうございます」
褒められてない。この人は絶対褒める気なんてない。
「大分県豊後高田市産のソバを使用し店内で手打ちしております」
顔はタイプだった。抱かれてもいいと思える反面苛立ちを感じていた。
「この手打ち蕎麦がね。本当に本格的なものであればそのギャップは楽しめたが」
はあ?本格的ではないと?
店内で経営者を目の前にして、喧嘩を売るようなことを平然と、耳触りの良い惚れ惚れする低音で語ってくる男。私は苛立ちを通り越して怒りを覚えていた。でも私はそれを直接的に返すような単純な性格ではない。
「なんでも知ってるようなつもりでいるのでしょうけど、この世界にはおじさまの知らないこともたくさんあるの」
「世界というのは秋葉原のことかい?」
「秋葉原もそうだけど、もっと広い世界のことよ」
「広い世界?」
お昼営業のオーダーストップギリギリに来店したその客は、他の客がほとんど帰ってしまっていることをお茶を飲みながら目で確認していた。こういう人間は、周りの人がどう行動していようと、それに合わせようとはしないし逸れても慌てもしない。ただ冷静に観察してるのだ。
「わたしが知ってて、おじさまが知らないことだってあるの。なんならそれを教えてあげましょうか?」
私なりに喧嘩を売っていた。
「興味はあるが今日は時間がない。一週間ほど滞在しているのでまた来よう」
そう言って席を立ち、さりげなく名刺をテーブルに置いて、レジで代金を支払い去っていった。普段ならお客様に言う「ありがとうございました」を私はあえて口にしなかった。
そのお客が去ると昼の営業は終わった。
私はほとんど手つかずの蕎麦を下げながら置いていった名刺を見た。
私の師匠だった。
スーツを着てネクタイを締め、頭髪は短めだが横に流すように整えられていたあの人は、そば道場の講師の人だった。頭にはタオルを巻き、作務衣のイメージしかなくて気付かなかった。
横島さんにクサい台詞で口説かれた時の比じゃないくらい、恥ずかしくて顔が赤くなるのを感じた。
ギャルの格好をしている私。憧れのギャル社長にはなれていない私。
残された蕎麦を見てそう思う私。
彼は様子を見にわざわざ来てくれたのかもしれない。
せめて「ありがとうございました」と言っておけば、と後悔する。
涙が出そうなくらい今一番言いたい言葉なのに。
こうも思う。
ベッドでなら満足させてあげられるし、お礼もできるのにと。
手打ち蕎麦ではまず無理だから。
ふん。
私は味噌をこした滓だ。
一人前にもみなされない子供だ。
蕎麦だけに、そばっかす。
いまはまだ。
彼の名刺に書かれていた肩書きは金澤さんや、横島さんとも同じものが並んでいた。そば道場の講師というのは裏面に小さな文字で、おまけのように印字されていた。
横島さんと同じ肩書き、若者の起業支援だって、何もボランティアでやってるわけじゃないだろう。若者たちからパーセンテージでシビアに現金を手にした上で、そのビジネスを成功させて更に大きな分け前を懐に入れる腹づもりだ。自らにはリスクはない。そのくせ畑で育てた野菜を食べるような清々しさを身に纏って、農夫の真似をして、かいてもない額の汗を拭うふりをするのだ。
ならば話は変わってくる。
感謝の言葉を伝えるだけで食べていけるわけではないのだから。そんなに甘いもんじゃない。
彼は「また来よう」と言ったのだ。これはビジネスチャンスだ。こちらから仕掛けないと。
お昼の出来事を思い出し、私はまだ少し腹が立っていた。でもビジネスにおいては常に冷静でなくてはならない。
私は彼に電話をかける。
店以外の場所で彼と会う約束をする。
彼は私を抱くけれど、私は彼に抱かれるわけじゃない。
私は赤ずきんじゃない。私の方がオオカミなの。私が彼を食べるのよ。
「なんか最近社長っぽさが増し増しになってません?」
夜の営業終わりに咲良が甘ったるい喋り方で、私を調子に乗せる。
咲良の「増し増し」に触発された。
「ラーメン食べる?」
「はい!食べる食べる!そば屋の社長とラーメン食べる!」
「ばーか」
咲良は私の誘いを断らない。むしろ喜んでくれている。
ただそれだけで、この先もずっと咲良と一緒に働いていけるような気がした。なんとなくだけど。
それと横島さんなら、若者の起業が仮に失敗に終わっても、若者らと同じように残念がり、涙したりして、再起のための応援をするのではないだろうか。それがお金にならなくとも。そう思えた。これもなんとなくだけど。
似合うか似合わないかは私が決めることだから。
どんな服を着るのも、どんなものを食べるのも。
どこに住み、どう生きるかも。
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