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color:Red「記憶」
「ジェードはどこへ行った?」
義母がそこにあった園芸用のシャベルを手に取りました。それを頭の高さまで持ち上げると、エクリュ目掛けて振り下ろします。ビュンと風を切る音が鳴るその瞬間、エクリュはぎゅっと固く目を瞑りました。
……あれ?
衝撃の遅れにエクリュが恐る恐る目を開けると、義母の腕が空中で止まっていました。誰かの手が、凶器となったシャベルを持つ彼女の手を掴んでいます。困惑しながら立ち上がると
「ジェード?」
なぜかそこにジェードがいました。
「おかあさん、ただいま」
ジェードがにっこりして義母に言いました。彼女の手からシャベルを抜き取り、端っこに放り投げます。
「……っ!」
義母が怒りの形相で振り向き――
「お前、どこをほっつき歩いてた!?」
言い終わる前に掌がジェードの頬に飛んできます。
「っ!?」
エクリュは人が顔を殴られるところを初めて見ました。打たれた方向に髪が流れ、同じ方向に引っ張られるように頬が歪みました。打たれた頬を押さえるジェード。エクリュは泣きながらジェードに駆け寄りました。
「大丈夫、ジェード!?」
ジェードの顔を覗き込むと、口の端が切れて血が滲んでいました。エクリュはジェードの義母を屹度見据えて訴えかけました。
「ジェードをぶたないで!」
母親は「ちっ!」と舌打ちし、二人の少年たちを殺さんばかりの憎しみを込めた眼で睨み付け、そこから出ていきました。
二人だけになった小屋の中で、ジェードが口を開きます。
「ばれちゃったからもう帰っていいよ」
「でも……君のおかあさん、すごく怒ってたよ。またぶたれるんじゃない?」
エクリュは心配でした。義母のあの恐ろしい形相が脳裡から離れません。あんな恐ろしい義母のいる場所に、ジェードを残して帰るなんてできない! 心配で泣きそうになるエクリュでした。
「じゃあ君が代わりに“ぶたれてくれる?”」
「え、それは……」
ジェードの少し意地悪な問いかけに、何も言い返せないエクリュ。それを見てジェードが愉快げに笑います。
「大丈夫だから、もう家に帰りな」
「でも……」
「バイバイ」と笑顔でジェードが手を振ります。そのまま立ち去ろうと背を向けるジェードを、焦ってエクリュは呼び止めました。
「ジェード!」
「何? まだ何か言いたいことがあるの?」
面倒くさそうにジェードが振り返ります。
「あの、何で今日戻ってきたの? 明日までって言ってたのに」
「ああ、それだったら」とジェードは呑気な顔で続けました。
「ちょっと偵察に来たんだ。君が“おかあさん”を怒らせてないか気になって」
「ごめん……怒らせて」
エクリュの表情が雨を降らす前の曇天に変わりました。僕のせいで“おかあさん”が怒り、僕を助けようとしてジェードがぶたれた。僕のせいで。そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになるエクリュでしたが
「はははは」
ジェードはなぜか笑い出しました。まるで大したことないとでもいうように、陽気な顔で。そしてこう切り出します。
「それよりどうする? “あの約束”」
「……!」
言われてエクリュは頬を赤く染めました。
“あの約束”――それは、入れ替わることを条件にジェードが提案したこと。
「一日だけなんでも君のいうことを聞いてあげる」という約束。エクリュはそのことを考えて恥ずかしさが込み上げてきました。頬に手を当てて熱を冷まします。恥ずかしい……
しばしそうして自分を落ち着かせると、エクリュは決めました。今日は土曜日。学校は休みです。彼は今日、その約束をジェードに実行してもらうことにしました。
「ほっぺた痛くない?」
「もう大丈夫」
ジェードの頬はまだ少し赤くなっていましたが、少しずつ腫れは退いてきました。
二人は歩いて家から遠ざかりました。行き先を風に任せるようにてくてく歩いて行きます。
「今日は君のいうことをなんでも聞いてあげる日だ。何してほしい?」
ジェードが言いました。足の赴くままに進み、辿り着いたのは、人が普段立ち入らない廃墟と化した小さな家でした。オバケが出るなんて噂を聞いたこともありましたが、今もっとも怖いのはオバケではなくジェードの“おかあさん”でした。なので二人は怯えることなくその建物の中に入れたのです。エクリュにとってそこはうってつけの場所でした。怖い人もいなければ、誰にも邪魔されない場所ですので。
なんでもいうことを聞くというジェードの言葉に、エクリュはモジモジしながら言いました。
「じゃ、じゃあ手ぇ繋いで?」
ジェードの方から手を伸ばし、エクリュの手を握ります。温かくて柔らかい手の感触に、エクリュはドキッとしました。
「これだけでいいの?」
ジェードにはなんでもないことだったのか、ポカンとして彼は言いました。「じ、じゃあハグも……」
言ってエクリュはまた頬を赤く染めました。その反応を見たジェードは躊躇いもせずエクリュを抱擁し
「これでいいの?」と顔を見合わせてからかうようにニヤリとします。
「じゃあ、えっと、えっと……!」
焦って考え込むエクリュ。数秒後。
「はい、時間切れ!」とジェードが無慈悲な言葉で打ち切ります。
「えっ!? そんな、ずるいよ」
「うそだよ。もっと言っていいよ」とジェードが悪戯っぽい笑みを浮かべて言いました。
「じゃあ……」
「もう、じれったいなあ」
「待って、今言うから!!」
「早く~」
「………ほ……」
「ほ?」
「ほっぺたにキスして?」
可愛いお願いに、ジェードがクスッと吹き出します。
笑われたエクリュは、恥かしくて目線を反らしました。
「そんなことか」
「え、いいの?」
「いいよ」
そう言うとジェードはエクリュに顔を寄せ、頬にチュッとキスしました。
「っっ!?」
エクリュは瞳を大きく見張り、頬に手を当てて喜びを噛み締めます。するとジェードがまたニヤリとしました。彼はエクリュの顔を見据えると
「え?」
瞼を閉じてエクリュの唇に自分の唇を当てました。
「……?」
エクリュは放心し――
「ジェード……」
完全に心を奪われました。
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五話のイメージカラーは赤です。目に、記憶に焼き付いた赤い記憶を表しています。
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