color:Red「記憶」

1/1
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

color:Red「記憶」

「ジェードはどこへ行った?」  義母がそこにあった園芸用のシャベルを手に取りました。それを頭の高さまで持ち上げると、エクリュ目掛けて振り下ろします。ビュンと風を切る音が鳴るその瞬間、エクリュはぎゅっと固く目を瞑りました。  ……あれ?  衝撃の遅れにエクリュが恐る恐る目を開けると、義母の腕が空中で止まっていました。誰かの手が、凶器となったシャベルを持つ彼女の手を掴んでいます。困惑しながら立ち上がると 「ジェード?」  なぜかそこにジェードがいました。 「おかあさん、ただいま」  ジェードがにっこりして義母に言いました。彼女の手からシャベルを抜き取り、端っこに放り投げます。 「……っ!」  義母が怒りの形相で振り向き―― 「お前、どこをほっつき歩いてた!?」  言い終わる前に掌がジェードの頬に飛んできます。 「っ!?」  エクリュは人が顔を殴られるところを初めて見ました。打たれた方向に髪が流れ、同じ方向に引っ張られるように頬が歪みました。打たれた頬を押さえるジェード。エクリュは泣きながらジェードに駆け寄りました。 「大丈夫、ジェード!?」  ジェードの顔を覗き込むと、口の端が切れて血が滲んでいました。エクリュはジェードの義母を屹度見据えて訴えかけました。 「ジェードをぶたないで!」  母親は「ちっ!」と舌打ちし、二人の少年たちを殺さんばかりの憎しみを込めた眼で睨み付け、そこから出ていきました。  二人だけになった小屋の中で、ジェードが口を開きます。 「ばれちゃったからもう帰っていいよ」 「でも……君のおかあさん、すごく怒ってたよ。またぶたれるんじゃない?」  エクリュは心配でした。義母のあの恐ろしい形相が脳裡から離れません。あんな恐ろしい義母のいる場所に、ジェードを残して帰るなんてできない! 心配で泣きそうになるエクリュでした。 「じゃあ君が代わりに“ぶたれてくれる?”」 「え、それは……」  ジェードの少し意地悪な問いかけに、何も言い返せないエクリュ。それを見てジェードが愉快げに笑います。 「大丈夫だから、もう家に帰りな」 「でも……」 「バイバイ」と笑顔でジェードが手を振ります。そのまま立ち去ろうと背を向けるジェードを、焦ってエクリュは呼び止めました。 「ジェード!」 「何? まだ何か言いたいことがあるの?」  面倒くさそうにジェードが振り返ります。 「あの、何で今日戻ってきたの? 明日までって言ってたのに」 「ああ、それだったら」とジェードは呑気な顔で続けました。 「ちょっと偵察に来たんだ。君が“おかあさん”を怒らせてないか気になって」 「ごめん……怒らせて」  エクリュの表情が雨を降らす前の曇天に変わりました。僕のせいで“おかあさん”が怒り、僕を助けようとしてジェードがぶたれた。僕のせいで。そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになるエクリュでしたが 「はははは」  ジェードはなぜか笑い出しました。まるで大したことないとでもいうように、陽気な顔で。そしてこう切り出します。 「それよりどうする? “あの約束”」 「……!」  言われてエクリュは頬を赤く染めました。  “あの約束”――それは、入れ替わることを条件にジェードが提案したこと。 「一日だけなんでも君のいうことを聞いてあげる」という約束。エクリュはそのことを考えて恥ずかしさが込み上げてきました。頬に手を当てて熱を冷まします。恥ずかしい……  しばしそうして自分を落ち着かせると、エクリュは決めました。今日は土曜日。学校は休みです。彼は今日、その約束をジェードに実行してもらうことにしました。 「ほっぺた痛くない?」 「もう大丈夫」  ジェードの頬はまだ少し赤くなっていましたが、少しずつ腫れは退いてきました。  二人は歩いて家から遠ざかりました。行き先を風に任せるようにてくてく歩いて行きます。 「今日は君のいうことをなんでも聞いてあげる日だ。何してほしい?」   ジェードが言いました。足の赴くままに進み、辿り着いたのは、人が普段立ち入らない廃墟と化した小さな家でした。オバケが出るなんて噂を聞いたこともありましたが、今もっとも怖いのはオバケではなくジェードの“おかあさん”でした。なので二人は怯えることなくその建物の中に入れたのです。エクリュにとってそこはうってつけの場所でした。怖い人もいなければ、誰にも邪魔されない場所ですので。  なんでもいうことを聞くというジェードの言葉に、エクリュはモジモジしながら言いました。 「じゃ、じゃあ手ぇ繋いで?」  ジェードの方から手を伸ばし、エクリュの手を握ります。温かくて柔らかい手の感触に、エクリュはドキッとしました。 「これだけでいいの?」  ジェードにはなんでもないことだったのか、ポカンとして彼は言いました。「じ、じゃあハグも……」  言ってエクリュはまた頬を赤く染めました。その反応を見たジェードは躊躇いもせずエクリュを抱擁し 「これでいいの?」と顔を見合わせてからかうようにニヤリとします。 「じゃあ、えっと、えっと……!」  焦って考え込むエクリュ。数秒後。 「はい、時間切れ!」とジェードが無慈悲な言葉で打ち切ります。 「えっ!? そんな、ずるいよ」 「うそだよ。もっと言っていいよ」とジェードが悪戯っぽい笑みを浮かべて言いました。 「じゃあ……」 「もう、じれったいなあ」 「待って、今言うから!!」 「早く~」 「………ほ……」 「ほ?」 「ほっぺたにキスして?」  可愛いお願いに、ジェードがクスッと吹き出します。  笑われたエクリュは、恥かしくて目線を反らしました。 「そんなことか」 「え、いいの?」 「いいよ」  そう言うとジェードはエクリュに顔を寄せ、頬にチュッとキスしました。 「っっ!?」  エクリュは瞳を大きく見張り、頬に手を当てて喜びを噛み締めます。するとジェードがまたニヤリとしました。彼はエクリュの顔を見据えると 「え?」  瞼を閉じてエクリュの唇に自分の唇を当てました。 「……?」  エクリュは放心し―― 「ジェード……」  完全に心を奪われました。 …………………………………………………………………………………………… 五話のイメージカラーは赤です。目に、記憶に焼き付いた赤い記憶を表しています。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!