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野球少年 小学編 1
目 次
第一章 フルチン先輩
第二章 青空の彼方へ
第一章 フルチン先輩
1
十二歳というのは、おとなのようで、こどものようで、実に微妙な年齢だ。しかし、青空に白球を追い、友達と泣いて笑って、恋をした僕は、まちがいなく青春の入り口にいた。すいぶん昔の話だが、その頃の話をしよう。
2
僕は、軟式少年野球チームの一員だった。小学校のクラブ活動である。
僕の故郷では、当時、大都市のようなリトルリーグ制ではなく、ちょうど高校野球のように学校単位で野球部があり、東部と西部の二地区に分かれてリーグを形成していて、僕のチームは東部リーグに属していた。4年生から入部でき、学年ごとにチームがあるのだが、レギュラー、つまり一軍はもちろん6年生。年3回行われる公式戦である東部リーグには、6年生が出場する。
僕らの学校は伝統的に強いチームで、優勝の常連校だった。三つ上の先輩たちは1回。ふたつ上の先輩たちは2回。ひとつ上の先輩たちだけは残念ながら一度も優勝できずに終わった。それは、1回くらいは優勝できて当たり前だった僕らのチームに大変な衝撃を与えた。まず父母会が危機感を募らせ、その多くの大人たちが「優勝!優勝!」と口にし、次の一軍である僕らにプレッシャーをかけてきた。でも、僕らのチームには、独特のアンダースローを持つ頼りになるエースと、頭が良くて野球を良く知っているキャッチャーの、『黄金バッテリー』がいたから、メンバーは、あまり危機感を感じていなかった。事実、同学年同士の練習試合では勝率7割を誇った。
そんな強いチームにあって、僕はライトで5番のレギュラーだったが、本当は練習が大嫌いだ。だから遅刻はもちろん、適当に言い訳してはさぼっていた。熱心な母親に言われてきたから、これまで続けられたようなものだ。
それは、僕が5年生の秋のこと。
新チームの始動にあたり、優勝奪回に燃える父母会がやった秘策は、優しいだけが取り柄の監督をくびにして、ふたつ上の先輩たちまでを指導した『鬼監督』を再び監督にすえるということだった。鬼監督というのはもちろんあだ名で、本名を加藤という。もともと小学校の先生で、定年退職のあと、少年野球の指導にあたっていたのだが、高齢となり体調をくずしたこともあって引退していた。しかし、父母会の熱意に押されて復帰することになった。
それを聞いて僕はビビッた。
なにしろ本当に鬼なのだ。
僕は4年の頃指導を受けたが、とてもさぼっている余裕はないし、例えば練習の時、いつもバットを片手に仁王立ちになってグランドを睥睨し、ちょっとベースカバーが遅れただけで怒声がとぶ。気を抜いたスイングは見透かされ、気合いを入れられる。しかも、走りこみや遠投はもちろん、ティーバッティングや、バント練習、捕球から送球までのフォーム練習など、基礎的メニューのオンパレードで、練習がちっとも楽しくない。だから僕は練習が嫌いになったのかも知れない。もっと自由に打ちたかったし、走りたかった。そんな気分を鬼監督は見抜いていたようだ。というのも、鬼監督の復帰初日に、僕は1塁手に替えられたからだ。例えば、外野フライで、わずかでも横にそれているボールは捕れたが、まっすぐにくる球は距離感がつかみにくく、よくエラーした。苦手だったから、練習してうまくなろうともせず、ひたすら笑ってごまかした。優しい前監督ならそれで通用したのだが、その日1回だけのエラーで、即、「一塁手になれ!」と指示された。コーチは「お前は背が高いからなあ」と言ってくれたが、鬼監督の真意はわからない。いつ、何を言われるかと思うと、僕は目の前が暗くなった。
「次は、補欠になるのかなあ・・・」
その日は、どこからともなくキンモクセイの香り漂う夕方だった。辺りはすでに薄暗く、いつものように、グランド整備を終え、ベースやバットを倉庫に片付けた後、監督を中心に練習後のミーティングがあった。この時、監督は穏やかに言った。
「5年生は知っていると思うが、4年生は今日が初めてだな。監督の加藤です。さて、今日一日練習を見たが、みんな基礎ができていない。私の野球は基礎を大切にします。練習の大半は基礎練習です。みんなはもっと楽しく自由にやりたいだろうと思うが、今みんなに大切なのは基礎です。基礎ができて初めてやりたいことが自由にやれるようになります。そのために、私は厳しく基礎練習を指導します。そしてその上で、来年の大会は三連覇します。みんながんばれ!以上」
見学に来ていた父母会のメンバーと、二人いるコーチから拍手が起きた。僕は監督が言っていることの意味はよく分からなかったが、三連覇は大げさだと思った。1回くらい優勝できればいい方だ。でも、三連覇という言葉の響きはとても魅力的なものに感じて、心の奥底に眠る闘志に、ちょっとだけ、ともしびが灯った。
さて、練習ぎらいの僕でも、人知れず毎日やっていた練習があった。それは練習後誰もいなくなってからの投球練習だった。僕はピッチャーではなかったし、みんなに知られるとかっこ悪いから一人でひそかに練習していた。校庭の隅、プールと校庭を区切る壁がブロック塀になっていて、そこにホームベースとストライクゾーンのマークが描いてあり、一人で投球練習できるようになっていた。ちょうどその辺りに外灯があったので、練習後、夜の時間帯でも明るかった。野球部に入る前からずっと毎日100球くらい投げ込みしていた。ピッチャーに選ばれることはなかったが、やはり野球はピッチャーだ。かっこいい。そんな憧れだけで毎日毎日投げ込みだけは欠かさなかった。
翌日から、鬼監督流の本格的な練習が始まった。
鬼監督は、走る野球を重視していた。だから、準備運動後のランニングが異常に長い。しかも徐々にペースアップさせられ、最後の3周は全力疾走させられる。僕らにとっては2年ぶりであり、「またか!」といった感想だ。でも今の4年生ははじめてなので驚いているかもしれないと思って、走りながらちょっと振り返ると、既に数人が真っ青な顔をしながらようやくついてきている。
校庭全体を使ったランニングが終わると、休む間もなくベースランニングとなる。もちろん全力疾走10周だ。とうとう4年生の1人が泣き出した。無理もない。僕ら5年のレギュラー組でさえ、かなり苦しいのだ。その部員は、見学にきていた父母会の一人がグランドの外に連れて行って休ませた。
当時はこれくらいの『しごき』は当たり前で、現代だったら大問題になるほどの『しごき』がこの後も延々と続く。
ランニングの後はキャッチボールだ。
はじめは短い距離から、段々と遠投になる。
規定時間が過ぎると、鬼監督独特の一斉キャッチボールが始まる。
二人一組が横1列に並んだまま、およそ塁間の距離をとる。そして、コーチの掛け声とともにボールを投げる。そのタイミングはランダムで、いつ掛け声がかかるか分からないから、全く気が抜けない。送球のタイミングが遅れた組、相手の胸元から大きく外れた組は連帯責任で二人ともグランド1周全力疾走。
続いて、守備練習だ。
コーチ二人がそれぞれ1グループを受け持ってノックする。一人あたり10球程度ノックを受けると、次は各部員が自分のポジションについて10球程度のシートノックを受ける。その後は守備の連携練習だ。ノックするコーチがその場で場面を決め、大声で各ポジションの動きを説明しながら進めていく。その時、動作のひとつひとつをチェックされ、無駄な動きのない、リズミカルでスムーズな動きを指導され、何度も何度も反復し、僕らは基本の形に矯正されていく。
最後に打撃練習だ。
守備練習が終わった者からティーバッティングとトスバッティングを行う。ここでも好き勝手な打撃フォームから全員基本形へと厳しく矯正される。それらが一通り終わると、4年生が守備につき、5年生が打席に入って、バントして1塁に走る練習をする。平日はフリーバッティングをしない。もう時間がなくなるからだ。優しい前監督時代はもっとまんべんなくフリーバッティングを含めた一通りの練習をしたものだが、今日からは違う。また、走ることと守備にウェイトをおいた、あのせわしなくて堅苦しい、嫌な練習メニューに戻った。もちろん、練習の間中、鬼監督の雷のような怒声と指導がいっしょくたに響いていた。
土曜日は、さらにしごかれた。
午後いっぱい時間がたっぷりあるから、徹底した守備練習とフリーバッティングはもちろん、翌日は休みということもあり、日没後、うさぎとびやら腹筋やら、おまけに反復横とびやなわとびなど余計なものまでやらされた。ちなみに、腕立てと腹筋は、毎日家庭で4年生は10回ずつ2セット。5年生は20回3セット。そして僕らは知っていたが、6年生になると、30回3セットが宿題として義務づけられていた。その宿題をさぼると親から監督に通報され、翌日の練習でグランド10周全力疾走と全体練習を外されて腕立てと腹筋をさせられた。だから僕らは鬼監督が嫌いだった。優しい前監督の方がもっと自由で好きだった。家では元高校球児の父さんから特別に背筋を鍛える運動も義務づけられていたし、愚痴を言っても「優勝してから文句言え」とか「男なら逃げるな」とか言われて相手にしてもらえなかった。もちろん練習では「自分に克て」とか、常々鬼監督が口走り、情け容赦なくしごかれた。「強くなりたい」という前向きなチームメイトもいるにはいたが、大半はまるで奴隷のように黙々と日々のメニューをこなしていた。もう僕はこんな面白くない練習が嫌で仕方なく「いつかチームを辞めたい」とばかり考えるようになった。
でも、不思議といつもの投球練習だけは強制されてないのに毎日続けた。
そして十一月のはじめ。
今年最後の練習試合が発表された。
所属リーグは違うが、来週の日曜日に、今年の秋季西部リーグ優勝校である吉川小学校とやることになった。6年生は優勝したかもしれないが、僕ら5年のチーム同士では過去2回対戦して負けたことのないチームなので、特別ビビったりしなかったが、監督に言わせると、その分、彼らは燃えているそうだ。
不思議なもので、試合という目標ができると、それまでのマイナス気分が一掃され、僕らは「勝つこと」に集中し始めた。おまけではあるが、僕の投球練習にもさらに力が入った。
3
試合の日。
風は冷たいが、秋晴れのいい天気だった。
僕らの学校で行われるので、朝から父母会のメンバーは忙しく準備していた。両チームベンチへ椅子の配置、冷たいものと温かいもの2種類の飲料の準備、弁当の手配などだ。新チームの始動ということもあり、父母会も気合いが入っていた。
僕らはその傍らでランニングやキャッチボールなど軽めの練習をしていた。試合用のユニフォームは今年のままだ。新チームとはいえ、新しいユニフォームは新年度から支給される。だから5年生の背番号をつけている。4年生は試合用のユニフォームを支給されていない。もし、6年生に故障があった時、5年生は繰り上げレギュラーになる場合があるが4年生はないからだ。彼らは、練習用のいつものユニフォームを着て、5年生の練習をサポートしていた。
一通りの練習が終わった頃、見計らったかのようにやって来た吉川小を、僕らは整列して出迎えた。
監督や父母会の代表者同士があいさつし、僕らもキャプテン同士があいさつした。僕のチームのキャプテンは、黄金キャッチャーの春木だ。僕らは『はるちゃん』と呼んでいた。5年のチーム編成をした時に全員一致でキャプテンに決まった。
対戦相手である吉川小学校のチームが、練習を始めた。
彼らは西部リーグの強豪校らしく、きびきびと動き、声も良く出ていた。
何となく、相手が強そうに見えた。
相手エースの投球練習を見ていたはるちゃんが僕らのところに戻ってきて報告した。
「大丈夫。勝てるよ。あのエース、またちょっと球が速くなったけど、相変わらずコントロール悪いし、落ち着いて打てる球だけを選んでいけばいい。ランナーが塁に出たら足で揺さぶってファーボールも期待できそう。それとカーブも投げるようになったみたいだけど先ずストライクにならないし、わずかに腕の振りが遅くなるから、すぐわかる」
僕らは、はるちゃんの言うことを疑ったことはない。いつも信頼していた。そこで話し合った結果、先ず序盤は足で揺さぶって自滅を誘おうということになった。そのためにはしつこく粘ること。簡単に凡退しないことを決めた。その様子を鬼監督は見ていたが、不思議と口出ししなかった。
昼食を挟んで、1時半に試合開始となった。僕らはホームチームなので後攻だ。
ここで僕のチームを紹介しよう。
ピッチャーは4番でエースの藤井。『ふうちゃん』と呼んでいた。長髪長身の優男。けっこうもてる。右投げアンダースローで切れのあるストレートが小気味良くコーナーに決まる。落ちるカーブも持っている。
キャッチャーは9番の『はるちゃん』。野球を良く知っている。文句なしの司令塔だ。
ファーストは5番の僕。谷山勇太。初めてのポジションだ。
セカンドは2番の松崎。『まっちゃん』だ。背が低く、動きが俊敏な曲者だ。隠し球とか三盗とか、それにプッシュバントも平気でやる。
サードは3番の山村。『やまちゃん』だ。チームきっての二枚目で、めちゃくちゃ気が強い。
ショートは6番の田中。あだ名はない。存在感もない。でも、きわどい打球もきっちり処理する職人だ。
レフトは7番の新田。童顔で、ぼっちゃん育ちのせいかちょっと気が弱い。僕らレギュラー組では、たぶん一番下手だ。
センターは1番の岩本。『ガンちゃん』だ。長身で、いつも無表情だが、とにかく足が速い。
ライトは僕と代わった8番橋本。とにかく声がでかく、ベンチではやじ将軍だった。根は悪くないと思うのだが、少々口が悪いから、チーム内ではちょっと嫌われている。
その他控えに内野が2名、外野が2名。控えのバッテリーはいないから、4年チームのバッテリーがスタンバイしている。
試合が始まった。
1回表、相手チームの攻撃は、ふうちゃんの打たせてとるピッチングにまんまとはまり三者凡退に終わった。おかげで、僕らはリズムよく攻撃に移れる。さすが黄金バッテリーだ。
さて、攻撃だ。
右投げ左打ち、1番のガンちゃんは、ポーカーフェイスのまま、初球をセーフティバントした。打球はほどよい強さで3塁線に転がった。いきなりだったので相手エースは驚き、どたばたとマウンドを降り、ボールを追った。3塁手と交錯しそうになりながらも自分でボールを捕り1塁に送球しようと振り返ったが、ガンちゃんは足がめっぽう速いため、あわてて投げて悪送球になった。ファールグランドを転々とするボールを見て、ガンちゃんは2塁まで達した。
僕らに、いきなりチャンスがやってきた。
2番、曲者のまっちゃんは、いつものバットをくるくるさせるクセをしながら打席に向かった。打席に入る時、監督の方を見た。監督からは特にサインはなかったが、まっちゃんはうなずく素振りを見せ、打席に入るなりバントの構えをした。ふつうなら、ここは間違いなく送りバントだ。そして3番が最悪でも外野フライで1点先制。だから相手は簡単に送らせまいとする。前進守備を敷いて、バッテリーは1球外した。まっちゃんは冷静にバットを引いてボール。
2球目も同じくボール。
そして3球目、見事なバントを1塁線に決めた時、3球外すことはないと見切っていたガンちゃんは、既にスタートを切っていた。この場合、タッチプレイが必要なので、もう間に合わないタイミングなのだが、猛ダッシュしてきた1塁手はその勢いのまま、3塁に送球したため、オールセーフになった。完全にボーンヘッドだ。
一気にノーアウト1塁3塁となり、僕らのベンチはがぜん盛り上がった。4年生も興奮して大声を出している。
相手チームは内野手がマウンドに集まって話し合っている。ピッチャーが何度かうなずいてやがてみんな守備にちり、ゲーム再開。
しかし、相手投手の動揺は収まらなかった。
3番のやまちゃんはツースリーまでいった後、ファーボールとなった。
これでノーアウト満塁。
次は4番のふうちゃんだ。しかし、さすがに相手も強豪チームのエースだ。ここで意地を見せ、3球三振にうちとった。もともと直球には力があるピッチャーだ。過去の対戦でも楽に勝てたわけではない。苦しめられた嫌な記憶が僕らのベンチに蘇った。
4年生の声出しもぴたりと止まった。
そんな状態で僕は打席に入った。
鬼監督からは何もサインがない。「まかせた」ということか。
ここで気をつけることは、ホームゲッツーだ。低めをひっかけないようにしないといけない。こういう場面でやるべきことは鬼監督になってから一ヶ月のあいだに厳しく指導された。落ち着いてボールを選び、外野フライで1点だ。そのためには、ボールを見極めることだ。などと考えている間にいきなりツーストライクノーボールと追い込まれてしまった。
ベンチにいる4年生の、ためいきが聞こえた。
いかん。チャンスで舞い上がっているようだ。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせている間に3球目が来てボールになった。
そして4球目をファールにした。
5球目もファール。
6球目はボール。やや内角よりの高めを狙っているのになかなかこない。
7球目もファールと、なんとかねばっているうちに段々とタイミングが合ってきた。
そして8球目。やっと内角高めがきた!と思ってフルスイングにいこうとしたところ、カーブだった。態勢は崩されたものの、ボールは最後までしっかり見えていたので、何とかバットの先っぽに当てるくらいはできた。要はひっかけさせられたのだ。しかし、それが、ベースカバーのため、たまたま空いていた1・2塁間を抜ける先制2点タイムリーヒットとなった。
思った通りではなかったし、何がなんだかわからないまま、僕はヒーローとなった。
僕は調子にのって1塁上でガッツポーズをしていた。
試合は、終わってみると、8ー0で僕らの圧勝だった。
相手につけいるスキを与えず、一方的な展開だった。父母会の親たちもよほどうれしかったのだろう。試合後の夕方、急きょ、5年生の夕食会が監督を囲むかたちで行われることになった。
4
夕食会の会場は新田の実家の料亭だった。
新田の家は地元では有名な老舗の料亭で、きれいな日本庭園があった。新田の親父さんが、父母会の会長だ。娘が3人続いたあとの初めての男の子である新田は、親父さんにいつも可愛がられていた。
その親父さんの発声で乾杯した。大人はビール。子供はジュース。膳には、刺身やらステーキやら、めったにお目にかかれないご馳走が並んでいた。僕らはそれが、ただ嬉しくて、ひたすら食べた。
監督やコーチには父母会の親たちが立ち代りお酌をして、口々に今日の圧勝をほめ、「ひとえに監督コーチのお陰です。これからもよろしく」とか言って頭をさげていた。
新田の親父さんは息子に似ず豪快な性格で、「まるで横綱相撲だ!これで三連覇まちがいなし!」と叫んでいた。
僕らは、隣近所のチームメイトの膳から、お互いに好きなおかずを奪ったり奪われたりしながらにぎわっていたのだが、端の方に座っている外野補欠の白石だけが自分の料理にも手をつけず、大人しく座っていた。
橋本が「もらった!」と言って白石の料理を奪おうとした時、白石は「だめだ!」と言って渡さなかった。橋本は「ケチぃな。いいだろそれくらい」と悪たれていたが、白石は譲らなかった。
僕は見かねて橋本に言った。
「おい橋本、エビフライなら俺のがあるぞ。これをやるからいいだろ」
「さすが今日のヒーローは話がわかる。ケチで補欠の白石とは大違いだ」
白石は真っ赤な顔をしていたが、橋本の挑発には乗らなかった。僕と白石は幼なじみだ。だから、白石の家庭の事情を知っている。
白石の家は母子家庭だ。親父さんは病気で亡くなった。だから母親が働いていて、今日も工場に出ているためこの夕食会には来ていない。家には妹が待っている。おそらく今日のご馳走を持って帰って妹にあげるつもりなのだ。白石はいつもそうする。僕の誕生パーティーの時のケーキも持って帰った。
当時の70年代は、まだまだかつ丼もケーキもエビフライも高級品だった。
さて、お酒がまわり一通り盛り上がったところで、コーチが今日の講評を始めた。コーチと言っても、はるちゃんの父親だ。もう一人のコーチも4年生レギュラーの父親だ。監督以外は父母会からスタッフを出すことに決まっている。
「今日は、1回の攻撃が全てだった。初球から決めたセーフティで相手のリズムを狂わせた。そして、悪送球の時、相手のライトがベースカバーに入っていなかったから、相手はピンチが広がった」
監督は黙って聞いている。こんな時の監督は穏やかだ。
「そして2番」
どこからか「いよっ!曲者!」と掛け声がかかった。
「よく決めた。しかも徹底してバントの構えをしていたからずいぶんファーストが前に来ていたので、岩本のスタートが目に入らなかったのだろう。間に合いもしない3塁に送球した。そんな時は気持ちを切り替えて1塁でアウトにすべきだが、実はあの時ピッチャーが1塁カバーにダッシュしていないし、2塁手はランナーけん制のため2塁近くにいたから、どうせ1塁には投げられなかった。おまえらは、この辺がきっちりできていたから完封できた。この一ヶ月やってきた連携練習のおかげだ」
そう言えば、そうだ。
僕はあの時自分まで打席が回るだろうと考えて舞い上がっていたから周りを見ていなかったが、あの時相手のエースは自分もボールを追いかけていて、ベースカバーに入っていなかった。そして僕らの場合、再三あったエラーやピンチも、誰かが必ずカバーしていた。言われてみると、いつもあれほど嫌なベースカバーやバントが意識することなく自然にできていた。鬼監督が復帰初日に言っていた「やりたいことを自由にやるため」と言ったのは、このことなのだろうかと思った。
「ただし、谷山」
いきなり監督は僕を名指しした。僕は反射的に背筋を伸ばした。
「おまえ、1回のあの攻撃はなんだ。あれはふつうならゲッツーだったぞ」
僕はドキッとした。さすがに監督は見抜いていた。
「いいか、みんな。あの時相手チームのバッテリーは初めてカーブを投げた。内から外に落ちる見事なカーブだった。それはなぜか? 谷山にひっかけさせるためだ。しかし、バッテリーのサインを2塁手が見ていなかった。だから、2塁にいて1・2塁間を抜かれた。内野手はサインを良く見ておくように。外野手は状況を考え、捕手のミットをよく見ておくように。ボールが来てから追いかけても間に合わないと思え。展開を正しく予測して、先に先に手をうつように」
僕らは「またか」という気持ちで聞いていた。4年の頃からいやというほど聞かされた言葉だし、毎日のシートノックでもそのための練習をしている。
新田の父が言葉を挟んだ。
「おじさんにはよく分からんが、何か小学生にしては難しいことをしているようだなあ」
まっちゃんの母親も口を挟んだ。
「うちのお父さんがよく言っているけど、プロ並みの練習らしいですよ」
監督が笑って答える。
「いやいやお母さん。プロ並みとはいくら何でも・・・こいつらにはまだ基本をほんのちょとかじらせているだけで・・・」
コーチである、はるちゃんの父親が言った。
「プロ選手はみんな個性的でかっこいいけど、基本はしっかりやってきていますから。まだまだ野球の入り口にいる子供たちに徹底的に基本を教えるという監督の方針には大賛成です」
突然、切り返すように橋本の母親が言った。
「でも練習が楽しくないってうちの子はいつも言っていますよ。もっと楽しくやりたいって」
やじ将軍で批判家の橋本らしい。僕もそう思っていたが、愚痴る程度で、そこまではっきり口に出したことはない。
和気あいあいだった場の空気が一変して静まりかえった。表面化はしていないが、どの家庭でもひそかにそんな話が出ているのかもしれない。
監督は目を細めながら、穏やかな口調で橋本に聞いた。
「そうか橋本。おまえは練習が楽しくないか」
橋本は少しもじもじしていたが、思ったことはずけずけ言う性格だから大声で答えた。
「はい。楽しくありません」
「では今日はどうだ。試合に勝った時は?」
橋本は急に笑顔になって答えた。
「うれしかったです!」
監督は続けて聞いた。
「では今は?こうして試合に勝って仲間と騒いでいる時は?」
「楽しいです!」
監督は優しい笑顔を見せて言った。
「そうか。ではよろしい。私の目的はみんなに勝つよろこびを教えることだ。試合に勝つこと。そして人生これからのみんなが、人生に克つための自信をつけることだ」
4年生レギュラーの父親であるコーチが口を挟んだ。
「そうそう。勝つ楽しさを知るためには、練習が苦しいなんて当たり前だ。苦しい練習を乗り越えた先に勝利があるから楽しいんだ」
僕には何か難しすぎてよく分からなかった。楽して勝てるならそっちの方がいいじゃないか。しかし、僕の母親が僕の思いとは逆のことを言った。
「そうですね。何事も地道な努力は必要ですね」
場をおさめるように新田の父親が言った。
「そうそう。何事も辛抱が大切。辛抱して辛抱して、とにかく監督について行きさえすれば三連覇は確実だ。今日の試合が証明しとる!そして来年の秋、またここでお祝いしよう。三連覇達成記念のな。子供たちのいい記念になるよう盛大にやろう。そん時は全てわしがおごる!」
親たちから拍手が起こった。
景気のいい雰囲気に僕らものせられたが、よくよく考えると、三連覇を達成しなければならないということが既成事実のようになっていて、そしてそれは、僕にとって恐ろしいプレッシャーとなっていくのだった。
やがて楽しい夕食会もお開きとなった。
最後に一言求められた監督がこう言った。
「今日は子供たちのために豪華な席を設けていただきありがとうございます。子供たちもこれを機にますます精進してくれるでしょう。さて、私の指導は、みなさんもご存知のようにとても厳しいものです。しかし、その厳しさを乗り越えていくことで子供たちには人間として成長してくれると思います。また、私たちのチームは伝統的に強いチームです。それはつまり子供たちの努力はもちろん、保護者のみなさんの理解と協力の歴史でもあります。みなさんの支えがあってはじめて子供たちもがんばれるのです。今後もよろしくお願いいたします」
言い終わると監督は深々と頭をさげた。
拍手がわずかに起こり、それはやがて大きな拍手になった。
翌日から、また過酷な練習の日々が続いた。
おまけに、最近は勉強についてもうるさく言われるようになった。「もうすぐ6年生なんだからね。野球も勉強もしっかりしなさい」との母親のお言葉だ。おかげで練習後2時間きっちり勉強させられ、就寝時間は12時ごろだった。母親の方が鬼監督よりこわいかもしれない。
5
そんな調子でやがて年末となり、ひとやすみの正月がきて、春になった。
辺りの空気もゆるみ、通学路の梅のつぼみが膨らんでいる。
今日は朝から天気が良く、気分がいい。
午後の授業中、あまりに天気が良くてあたたかだったので、つい居眠りしてしまった。
それで、放課後、先生に呼び出された。
まぶしいくらいの夕日が職員室を黄金色に染めていた。
たくさん並んでいる机の、隅の方に担任の先生の机がある。
僕は入り口でおじぎをし、声をかけると「おう、谷山こっちだ」と呼ばれた。
「おまえ、最近よく居眠りしているぞ。どうだ、野球の練習はきついか?」
僕は何て言おうかちょっと迷った。きついなんていうと何かかっこ悪い。
「いえ、別に」
「そうか。まあ、成績もあがっているし、いいだろう。しかし、今後、居眠りはいかん。野球も勉強も一生懸命やれ」
母親と同じことを言っている。まったく。大変なんだぞ、こっちは。
それから先生は、ニヤリとしながらこうつけ加えた。
「いいか、今度居眠りしたら監督に報告するぞ。まあ、軽くてグランド10周だろうなあ」
僕は「げぇっ」と思った。僕の担任と監督は仲がいい。というか、僕の担任は野球部の顧問だ。やりかねない。母親ですら『まだ』そんな裏技はまだ使っていない。最近は練習もさぼっていないし、勉強もしているのに、僕の周りは鬼だらけだ。そんなことを考ながら僕は真っ青な顔して突っ立っていた。そこへ、女の先生があわてて飛び込んできた。
「吉井先生!ちょっときてください。大変です!」
「どうしましたか、三原先生」
「先生のところの白石君が、1組の橋本君を殴ったんです」
「はあ、そうですか!どこですか!」
先生は、血相をかえて飛び出していった。
僕もびっくりして、ついて行った。
夕日が差し込む僕の教室で、白石はうつむいて突っ立っていた。
橋本は正座のようにへたりこみ、顔をかかえて大声で泣いていた。
そしてなぜか1年生の妹も白石のそばにいて、しゃがみこんで泣いている。クラスメイト数人が遠巻きに見ている。
吉井先生が、白石に穏やかに聞いた。
「白石、どうしたんだ」
白石はそのままの姿勢で何も言わなかった。
先生は、白石の腕を優しくつかみ、しがんで、うつむいた白石の顔をのぞきこんだ。白石は先生の顔が見られないようで横を向こうとした時、僕と目が合った。僕は白石のことを良く知っている。だから、絶対こいつは悪くない。
僕は白石の目をみつめた。
白石の目が、みるみる真っ赤になってきた。
先生が重ねて優しく促した。
「白石・・・」
白石はそれまで必死で抑えていた感情の堰が切れたように泣き出した。そして、先生に言った。
「先生、僕が殴りました。僕が橋本君を殴りました・・・」
あとは涙で声にならなかった。
先生は、優しく言った。
「そうか」
僕はわけがわからず、でも何だかとても悔しかった。
それから、白石は職員室へ、橋本は保健室へ連れて行かれた。白石の妹は、担任の先生がやってきて教室へ連れていった。当事者がいなくなってから、目撃した数人がいきさつを話してくれた。それによると、妹が白石を訪ねてきたところに、たまたま橋本が通りかかった。今日は妹の誕生日だから、家で二人でお祝いをするらしく、「だから練習は休む。監督には届けている」と橋本に言ったらしい。すると橋本は「きたねえ、ずるい、練習をさぼるのか」と言ってからんだそうだ。白石は相手にせず聞き流していたが、やがて妹を指さして、「だいたいなんだ。おまえらきょうだいは!いつもいつも二人べたべたで気持ちわりィ。でもおまえら父ちゃんおらんし母ちゃんが働きにいっているから、いつもふたりぼっちか!」と言ったそうだ。
そこで、白石がいきなり橋本を殴った。二回、三回と殴ったそうだ。
絶対橋本が悪い!
僕は頭にきた。そして教室を飛び出し職員室へ走った。
僕と白石は幼なじみだ。
僕は妹の笑顔も知っている。
親父さんが亡くなった時、ひとりでこっそり泣いていた白石も知っている。そして、いつも優しいおばさんも知っている!
僕は橋本が許せなかった。
職員室に飛び込むなり、先生と白石を探しながら大声で怒鳴った。
「先生!先生!白石は悪くない!あんなこと言われたら誰だって怒る!先生!どこですか!白石は悪くない!悪くないんです!」
職員室の奥から、先生が出てきた。
「どうした。谷山。そんなに大声出さんでも聞こえているぞ」
「でも先生、白石は悪くないです!」
「そうか。今事情を聞いていたところだ」
「先生、橋本はどこですか?」
「保健室だが、それがどうした?」
「僕がもう一発なぐる!」
ダッシュしようとした僕は先生に抱きとめられた。
「ばかを言うな。まあ落ち着け。もうすぐ監督もくるから」
それを聞いて、僕はダッシュをやめた。
先生も力を抜いて言った。
「しかしまあ、おまえすごいダッシュ力だな。先生の力でも止めるのが精一杯だったぞ。さすがに鍛えられているな。まあ、監督が来てから話をしてみるよ。悪いようにはせん。おまえは安心して練習に行け」
「先生、白石は絶対悪くないですよ」
「ああ。わかってるよ。おまえはいいから早く練習に行け!そしてみんなに心配ないからと伝えろ」
「はい」と、ふてくされて僕は答え、職員室を出て行こうとした。
「あ、谷山ぁ」
職員室を出たところで先生に呼び止められた。
「はい?」
「居眠りはだめだぞ。いいな」
先生はニヤリと笑った。
僕は「げぇっ」と思った。こんな時でも、先生は忘れていない!
その日。
みんなうすうす知っていたが、誰も事件について口にせず、淡々といつもの練習をこなしていった。ちょっと違うのは、白石と橋本がおらず、監督の怒声も飛ばなかったことだ。
僕は、校舎にともる職員室の明かりが気になってしかたなかった。
その日から、橋本と白石はしばらく練習に来なかった。
数日後、ことの顛末を母親から聞いた。
先ず学校の処分。これは、二人が野球部の練習についてのけんかであるとして、クラブ内の問題であり、また、被害者のけがも軽かったことから学校としては正式な処分を見送り、顧問の先生と監督に処分が委ねられた。先生と監督が両者から事情を聞いた。橋本の母親は「うちの子は被害者なんですよ」「もっと厳罰を!」「損害賠償を!」とか、しまいには「なんで外野に回されたんですか」とか言って騒いで大変だったらしい。しかし橋本本人は「僕が白石にひどいことを言ったから」と反省していて、それを聞いた橋本の父親が、「うちの子は肉体的には被害者だが、しかし、白石君はうちの子の言葉の暴力を受けたようだ。どっちが本当の被害者かわからない。私たちが悪いところはお詫びします。しかしまあ、子供のけんかでもあるし、ここはひとつ穏便に」と言ったそうだ。そこでひとまず両者の練習停止が決まり、父母会が開かれ、事件の説明と、市の少年野球連盟への届出について議論された。その結果、子供たちへの教育という視点から、なかったことにはできないので、正直に連盟へ届け出ることに決まり、連盟の処分が出るまで、両者の練習停止が正式に決まった。
僕の家では、家族でこの問題について話しあった。
僕は「橋本が悪い」と主張したが、それでも暴力は良くないと父親にさとされた。そして、これだけ多くの人に迷惑をかけることの重大さと、連盟の判断によっては、来年の大会には出られないこと。そして、なにより当事者である二人のこころの痛みを知れと言われた。みんなに迷惑をかけていることの痛み。今まで2年間、必死で積み上げてきたことをいきなり断ち切られるかもしれないということの痛み。当事者の二人は重く受け止めているはずだ。だから、何があっても軽率な自分を抑えろ。それが監督のいう自分に克つことだ。と教えられた。
さらに数日後、連盟の処分が決まった。
『今年度いっぱい、対外試合禁止』ということだ。つまり、5年生の間は対外試合をするな。しかし、6年生になったらよろしい。ということで、事実上の無罪放免。連盟の温情判決だと父が言った。もちろん、連盟の重鎮である監督がいろいろと骨をおってくれたらしい。とにかく5月の春季大会、8月の夏季大会、10月の秋季大会に出場できることが分かって、僕らチームメイト一同おおいに安心し、喜んだ。
そして、明日二人が復帰してくるという日。練習前に監督からの話があった。やはり事件の話だ。
監督はこう言った。
「白石と橋本。みんなはどっちが悪いと思うか」
やまちゃんが真っ先に言った。
「それは殴った白石が悪い」
まっちゃんも同意した。
田中は反対だった。
「そうかなあ。橋本は口が悪いからなあ。僕もたまにむかつくし」
それには、ガンちゃんと新田が賛成した。いつも大人しい奴が白石に同情しているようだ。
「でも、口は悪いけど、根は正直だよ橋本は。今回も悪口言ったって認めていたし」と、はるちゃんが言った。
僕は父親に言われたこともあり黙っていた。ふうちゃんも黙っている。ふうちゃんはいつもクールで口数が少ない。冷静に状況を見ているようだ。みんなそれぞれ好き勝手に話し合い、大部分が白石派。そして数人が橋本派となり、両派にわかれた。
頃合を見て監督が言った。
「白石も橋本も、どっちも悪い。それはなぜか。辛抱がないからだ。思いやりがないからだ。なぜ、悪口を言う。なぜ殴る。エースの藤井が満塁ホームランを打たれたからと、悪口を言うか。殴るか?それで試合に勝てるか?俺はそんな指導はしていない。エースが打たれたら、バッターが取り返せ!みんなの力でカバーしろ!それが思いやりであり、辛抱であり、チームだ。4点とられたら、正々堂々1点づつ取り返せ!どんなにつらくても、ひどいめにあっても、最後に勝つために、ひとつひとつできることを積み重ねる辛抱が大切だ。いいか!」
監督の勢いに押されて「はい!」と僕らは返事した。
僕は、二人の事件と満塁ホームランがなぜ関係あるのか分からなかったが、なんとなく監督の言うことは正しいと思い、また、監督のいつわりのない真心を感じた。
監督は続けて言った。
「今日は、いつもの練習はしない。時間までずっとランニングだ。走って走って、痛みを知れ!二人がやったことの意味を考えろ。以上!」
そう言うと、監督がおもむろに走り始めた。コーチが慌てて声をかけた。
「監督に続いて走れ!」
僕らは驚き、とまどいまがらも監督に続いて走り始めた。
僕らはその日、ひたすら走った。
みんな黙々と走った。
さて翌日。
ふたりが復帰する日。
白石は、もじもじしながらも最初から練習に加わった。
比較的多数が白石に同情していたから、みんなもとやかく言わず笑顔で迎えた。
問題は橋本だ。
準備運動が終わった頃、どこからともなくコーチから連れてこられた。なんともバツの悪そうな顔をしていた。しかし、実はみんなしめしあわせていたので、監督コーチの前では笑顔で迎えた。そんな表面の笑顔ではあっても、その様子を見て、橋本は安心したのか、序々にいつものようにふてぶてしくなった。
練習後。
監督やコーチが帰ったことを見届けると、やまちゃんに足止めされていた橋本が、ホームベースの辺りにひきだされた。帰ったふりをしていたみんなも、三々五々集まってきた。もちろん、白石も連れてこられた。
「橋本ぉ、わかっとるのぉ」と、まるで芝居のように、まっちゃんがすごんで見せた。橋本はみんなに囲まれ、ひたすら恐れ、真っ青になっていた。
「判決!」と、はるちゃんが言った。
橋本は泣きそうな顔をしていた。
「先ず、白石が橋本に謝ること」
白石は素直に、そして丁寧に謝った。殴ったことを後悔していたこと、今後は二度としないことを誓った。
「次に橋本」
橋本はおどおどしていた。
「橋本も、白石に謝ること」
橋本は、ほっとしたように、白石に謝った。
「しかし橋本」と、間髪入れず、はるちゃんが言った。
橋本は「きた!」という顔をした。
「ことのはじまりは橋本の悪口であり、ふだんからその悪口にチームメイトのほとんどがムカついている。よって、フルチン先輩の刑に処す!」
それは、試合中、特に重大なエラーをした者に課せられる、僕ら野球部の伝統の罰ゲームだ。もちろん保護者たちは知らない。夕闇にそまったグランドでこっそり行われる。罰を受けるものは、掛け声とともにダイヤモンドを1周する。5つ数えたら、それをみんなで追う。みんなに捕まることなく1周できたらそれで無罪放免。しかしつかまったら最後、衣服をはぎとられ、よってたかってみんなが疲れるか、誰か大人が通りかかるまでくすぐられる。僕らも過去に1回行って、その時はやまちゃんが半べそかくまで続けられた。伝説では、フルチンにさせられ、泣きながら家に帰った先輩もいたそうで、だから、この罰ゲームのことを『フルチン先輩の刑』と呼ぶのだ。また、この罰ゲームを親にばらしたものは、例え野球部をやめても、毎日毎日、受けさせられる決まりになっていたから、今まで誰もばらした者はいない。
みんなは指をパキパキと鳴らしながら準備した。
ニヤニヤしている者もいた。
倉庫にかたづけられていたベースが引き出され、準備が進んでいく。4年生チームからもキャプテンとエースが、今後のために呼ばれていた。
「ようい、ドン!」と、はるちゃんが掛け声をかけた。
橋本は1塁めがけてすっ飛んでいった。
5つ数える時間というものは、僕ら運動選手にとって、かなり有効なアドバンテージであり、実は逃げ切れる確率は高いのだが、残念ながら僕らにはガンちゃんがいる。3塁直前で橋本は捕まった。地団駄ふんだが既に遅く、追いついたみんなに衣服をはぎ取られ、いいようにくすぐられた。
橋本は「やめろ!やめろ!」と半べそをかいていた。
こうして、僕の5年生最大の事件は終わった。
第二章 青空の彼方へ
1
梅の季節がおわり、桜の花も終わろうとする頃、僕は6年生になった。
いつもの様に練習し、勉強し、その頃には、なぜか僕のさぼりぐせが治り、ちゃんとしないと落ち着かなくなっていた。もちろん、例の投げ込みも続けていた。
実は6年になる一ヶ月ほど前、ちょっとした事件があった。
それは、練習後、僕はいつものように投げ込みをしようと、プールの壁に行った時のことだ。壁の横に置いてある金網タイプのごみ箱に、薄汚れた硬式のボールが捨ててあった。なんでこんなところにと思って拾い上げると、それは異常に重かった。硬式球は、いつも僕らが使っている少年軟式球より大きいことは知っていたが、こんなに重いはずはない。1キロくらいはありそうだ。軟式球は中身が空洞だが、硬式球は芯にコルクが使ってある。硬くはあっても、こんなに重ければ、いくら大人でも野球にならないだろう。
「不思議な球だな。鉄でも入っているのかな」
硬式球への憧れもあり、ちょっと投げてみた。やはり重い。しかも大きい。思ったように投げられない。しかし、何となく気に入った。ゴミ箱に捨ててあったのだから、かまわないだろう。これからずっとこのボールを使おうと思った。
それからの僕は、そのボールでちゃんと投げられるように、いろいろと工夫した。ボールの握り方、手投げになるときついから下半身の上手な使い方、そしてリリース時のスナップの利かせ方。野球の解説書を立ち読みして知識を仕入れたり、はるちゃんに聞いたり。それに、握力が必要だとわかるとゴムボールを買ってもらってヒマな時は握りしめたり。風呂の中で手首を返す動作を何度もやったし、登下校時にはつま先立てて歩いたりもした。とまあ、いろんなことをやった。それだけ、この不思議なボールに夢中になっていた。
そのうち、このボールを普通に投げられるようになると、なぜか部の練習でもいい送球ができた。今まであまりコントロールが良い方ではなかったが、今は相手の胸元にズバリと投げられるのだ。意識することなく、どんな時でもいい送球ができるのだ。僕はうれしくなって硬球での投げ込みに、さらに精進した。
力もついて気分も乗ってきた春季大会直前。6年生になって初めての練習試合が発表された。それは、チームの仕上がり具合を見るためのものだった。本当なら5年のうちにやっておくところだが、例の事件のため、この時期になった。相手は昨年の優勝校、白峰台小学校。僕らと同じ東部リーグに属するライバル校だ。
試合が決まってから、僕らには真新しい試合用ユニフォームが支給された。一人一人、監督から手渡しでもらった。もちろん、それぞれのポジションが背番号だから僕は3番。驚いたのは、デザインが去年までと大きく変わったことだ。去年までは、みんなが憧れている東京のプロ球団に似たものだったが、今年は全く違う。全て真っ白になったのだ。上も下もアンダーシャツも。それに、帽子まで。
誰かが、「高校球児みたいだ」と言った。「練習着と変わらない」と言うものもいた。
みんな、どよめいていた。
監督が言った。
「あの嫌な事件を教訓として、みんな真っ白な心で新たに出発して欲しいという父母会の願いが込められている」
僕には良く分からなかった。「真っ白な心って何?」。
でも、やはり新しいユニフォームはうれしい。それに、素材が今までの綿ではなく、最近出始めたばかりのメッシュ生地だった。通気性が良いそうで、いつも真っ白な塩をふくほど汗をかく僕らには、何よりのプレゼントだ。補欠も含めて、5・6年生には全員支給された。
僕は、とても新鮮な気持ちになった。ひとケタの背番号になったこともあり、本当に一軍になったのだと思った。
そして試合の日。
僕らは新しいユニフォームに身を包み、相手チームの学校に乗り込んだ。相手は昨年の優勝校なので、僕らが「胸を借りる」という立場だ。
そう。白峰台は昨年の一軍だけでなく、僕らの代でも強いチームだ。過去の対戦でも僕らは負けている。でも、今の僕らには自信があった。優しくて一通りの指導しかなかった前監督ではなく、鬼監督のもと、いやというほど練習してきたのだ。そのせいか、みんな落ち着いていた。逆に父母会の人たちが、おどおどしていた。
プレイボールがかかった。
僕らは先攻だ。
1番ガンちゃんが打席に入ると、相手の3塁手が前進守備を敷いた。
僕らは驚いた。これではあの神業的なセーフティバントができない。相手は吉川小学校から聞いたのか、良く調べているようだ。
ガンちゃんは、仕方なくヒッティングに切り替えた。3塁線に強い当たりを打とう。そんな意図が見て取れた。
1ー1のあとの3球目。
相手のエースは吉川小のエースほど球に力がないので、うまいぐあいに打って、3塁線いっぱいの強い打球が行ったが、相手の3塁手は逆シングルで見事に捌いた。
2番まっちゃんは、あえなくセカンドフライ。
3番のやまちゃんは、いい当たりだったが、レフト正面のフライに終わった。
僕らは意外にあっけなく三者凡退に終わった。
こうなると、投手戦の覚悟が必要だ。僕らの期待のふうちゃんが期待通りのピッチングで、相手も三者凡退に終わった。
2回の表。
ふうちゃんはショートゴロに倒れた。
僕は内角高めのボール球を打ち上げてキャッチャーへのファールフライ。
田中はセカンドゴロ。
相手ピッチャーは球に力がない分、コースをきっちりついてくる、コントロールの良さがあった。相手捕手のリードもうまい。しかし、僕らの黄金バッテリーも負けてない。相手バッターをきっちり料理していく。これはもう本当に投手戦だ。打てない分、守備のエラーは絶対許されない。こんな時はミスした方が負ける。逆に守備からリズムを作り出していけばいいのだ。
試合が動いたのは5回の表。
4番ふうちゃんが、なんと振り逃げ。低めのワンバウンドになる球を相手捕手がはじき、見失っている間に1塁を駆け抜けた。両チームを通じて初めての出塁だ。
僕は、気落ちした相手エースの初球、真ん中高めの失投を逃さずレフト線へ2ベースヒットを打った。
これでノーアウト2・3塁。
続く職人田中は、1ー2から、前進守備を敷いたショートの頭の上を越えるレフト前ヒット。
1点先制はもちろん、この試合初めての連打が出て、ノーアウト1塁3塁。
僕らのベンチは俄然盛り上がった。
しかし、相手エースはここで開き直ったのか、今までにない力のある球で7番新田を三振にとると、8番橋本はこのチャンスに緊張したのか、セカンドゴロゲッツーに倒れた。スリーアウトになったが、ともかく、僕らが1点リードだ。
自らホームを踏んだこともあり、気を良くしたふうちゃんが、さらにナイスピッチングで5回の裏も三者凡退にきってとった。
6回は何事もなく終わり、1点差でいよいよ最終回7回裏、白峰台最後の攻撃だ。
なんでもないライトフライを橋本が落とした。
橋本は真っ青になってゴメンのジェスチャーをした。でも、間違いなく同点のランナーが1塁にいる。それでもふうちゃんは、動揺を見せずに2ー1と相手バッターを追い込んだ。
4球目、アンダースローのため、やや動作が大きいふうちゃんのわずかな隙をついて相手ランナーが走った。おそらくエンドランだったのだろうと思うが、相手走塁コーチの「走れ!」という声に反応したふうちゃんがウェストし、はるちゃんがキャッチした時にはもう完全に盗まれていた。
ここで相手バッターは、3バントの構えを見せたので、僕は前進守備を敷いた。
相手は見事3バントを決め、ワンアウトとなったが、ランナーは3塁まで進んだ。
さすがのふうちゃんにも疲れが見えてきた。投手戦を一人で投げぬいたのだから仕方ない。ここまで楽に来られるほど甘い相手ではなかったはずだ。外野フライでも同点だ。相手ベンチは盛り上がっている。
2ー2からの5球目、相手バッターはファールした。
6球目もファール。何とか外野フライを打とうと粘っている。
ふうちゃんは相当疲れてきたようだ。帽子をとり、額の汗を左腕でぬぐい、肩で息をしている。最終回だから、どんなに疲れていても連打を浴びるわけにはいかない。
不思議なもので外野の時は、そんなピッチャーの苦労などあまり分からず、ただ、「早くなんとかしろよ」程度にしか思わなかった。でも、内野は違う。目の前のゲームに一体化していた。だから、何が何でも守り抜いてやると思った。「俺のところにこい!」とも思った。
7球目。またファールした。相手バッターも勝つために必死だ。かなりしつこいが、タイミングがあっている訳ではない。
8球目、ボールになった。これでカウント2ー3。
9球目、またファールした。それは1塁の、かなり後方にあがった大きなフライで、ほとんどライトの守備範囲だ。
しかし僕はダッシュしていた。
これで決めてやると思った。
これを捕れば、相手がタッチアップする。それを「ホームで刺して終わりだ!」と思った。
ベンチのみんなは「ファールだ!捕るな!」と叫んだが、おかまいなしにボールを追いに追った。
僕は元外野だ。これくらい絶対捕れる!走りながら半身の体勢で捕った。
案の定、相手3塁ランナーはタッチアップした。
僕は振りむきざま、夢中でバックホームした。
その球は、一直線に飛び、ホーム上のはるちゃんの胸元に突き刺さった。
相手ランナーはびっくりして立ち止まり、ホームの手前でタッチアウトになった。
一瞬の出来事に、グランドは静まり返った。
そして、僕らのベンチから歓声が沸き起こった。
勝った。とにかく勝った。相手は昨年の優勝校だ。
両校整列してのあいさつが終わり、ベンチに戻ると、僕はみんなからもみくちゃにされた。
「火事場のバカ力」とか「一世一代の大まぐれ」とかひやかされた。
その夜。
僕の家では父さんがビール、僕がジュースで祝杯をあげた。いろいろあったから、父さんもそれなりに心配していたようだ。ほどよく酔っ払い、「目指せ!三連覇!」などとわめいていた。
久しぶりに楽しかった夕食も終わり、部屋に戻って寝ようとした時、僕はベッドのそばに置いている、あの不思議な硬球を握りしめ、しみじみ思った。
「これがあったから、今日の送球ができた。これで毎日毎日練習したおかげだ」
僕はそのボールに、『奇跡の硬球』という名前をつけた。
2
あくる月曜日。
授業が終わり、いつものように練習に出た。
例の一斉キャッチボールを始めようとした時、僕はコーチに呼ばれた。
「谷山、ちょっと投げてみろ」
いきなりなんのことだろうと思った。
僕がもじもじしていると、監督が言った。
「俺がキャッチャーをやるから。思い切り投げてみろ」
「え?じゃあ僕がピッチャーですか?」
「そうだ」
そう言って、監督は、ちょっと離れて構えた。
昨日の送球のせいか?でもあれは、自分でも半分まぐれだと思っていたので、ちょっと困った。
「いいから、遠慮なくいけ」と、コーチに促された。
僕は適当に場所を取り、大きく振りかぶった。体が普通に反応している。そんな自分にちょっと驚いたが、そのまま遠慮なく投げた。
パーンという響きとともに、勢いのあるまっすぐが、監督のミットに突き刺さった。
みんなは、なんだろうと、こっちを見ている。
監督は冷静に言った。
「もう1球投げてみろ」
僕はボールを受け取ると、もう1球投げた。
また同じように、ミットに突き刺さった。
監督は立ち上がり、僕のところに歩いてきた。そして信じられないことを言った。
「おまえ、今日からピッチャーの練習もしろ。1塁とピッチャーの両方できるようになれ」
僕の顔面が紅潮した。そして、事態を整理しようと考えた。つまりは、6年生チームには控えのピッチャーがいないから、僕がその役割をもらったということだ。そして、ふだんは1塁、いざというときに交替する。不動のエースであるふうちゃんに、控えはいらないだろうとも思ったが、昨日のような場合もある。大会が進めば、日程の関係でダブルヘッダーだってある。まあ、そんなところだろう。でも、すごくうれしい!だって、野球はピッチャーだ。やはり、かっこいい!
それから、僕の練習メニューが、ちょっと変わった。
ピッチャーグループに混じっての投球練習が加わった。
僕は普段から自分なりの投球フォームを研究し、しかもあの硬球のおかげで球が軽くて仕方ない。速くて、伸びのある球が思うように決まった。さすがのふうちゃんも、僕の隣で、「すげぇ」と感心するばかりだった。
練習後の投げ込みにも、力が入った。それまではただ漫然と投げていたが、コースを突くことを意識したものになり、しかも球数が増えた。
きついけど、楽しかった。
3
1週間後の日曜日。
いよいよ春季大会が始まった。
それはゴールデンウィークを利用して行われる。
その日は、朝早くから都心部の市民球場で開会式があり、各会場に分かれて一斉に1回戦が行われる。僕らは運が良く、そのまま市民球場で行われる予定だ。
東部リーグは、市の東半分にある小学校が属していて、全部で二十八校。5回勝てば優勝だ。1回戦は今日。2回戦はあさっての祝日。3回戦は来週の土曜日午後。そして準決勝と決勝がダブルヘッダーで来週の日曜日だ。準決勝と決勝は、プロ野球も開催される県営球場で行わる。僕らの聖地。憧れだ。
ここ、市民球場は多目的なグランドでとても広く、少年野球なら、同時に4試合できる。
僕らはBブロックの第1試合だ。
1回戦の相手は、はっきり言って僕らの敵ではない。いきなり消えるであろう、相手チームに同情できるだけの余裕がある。
試合が始まった。僕らは先攻だった。
相手ピッチャーが、緊張のあまり4球を連発し、それが止まらない。
ノーアウト満塁となった。打席には、頼りになる4番ふうちゃんだ。
なんとかストライクを取ろうとして真ん中にきた球を見逃さず強烈にひっぱたき、その打球は仮設フェンスが組んである規定ラインを越え、ホームランとなった。
そうなるともうこっちのもので、僕が右中間ツーベースヒット。
田中も3塁線を抜くツーベースと連打して1点。
新田はセカンドゴロ進塁打。
橋本はファールフライアウト。
はるちゃんが1・2塁間を抜くライト前ヒットで1点。
ガンちゃんは例のセーフティを決め、ツーアウト1・2塁。
まっちゃんはファーボールを選んで満塁。
相手ピッチャーは真っ赤な顔して一生懸命投げていたが、内野も外野もしらけていて、なんと、こともあろうに、自分たちのエースをやじっていた。そんなチームに僕らが負ける訳はない。
3番やまちゃんがとどめの走者一掃3ベースヒットを打ち、これで合計9点。5回コールドの点差を越えた。
もう完全にセーフティリードなので、続くふうちゃんは1回もバットを振らずに三振した。
相手エースはベンチに戻るなりグラブを叩きつけた。
その裏。
ふうちゃんは見事なピッチングだった。わずか7球で終わった。
相手バッターは、打たされたことに気づかずに、「おしい」とか「運がわりぃ」とか言っていた。
2回表。
先頭バッターは僕だったが、僕らのエースふうちゃんがやったのだから、僕もふうちゃんに続いて1球も振らなかった。それでも2ー3までいって三振した。
相手ピッチャーがそれで気を良くしたのか、みんながふうちゃんに続いたのかは分からないがその後、4回まで両チーム無得点だった。
ふうちゃんの打たせてとるピッチングは、異常に冴えていた。
そして5回裏。
監督はピッチャーの交代を告げた。
僕のピッチャーデビューがいきなりやってきた。
まだピッチャー練習を始めて1週間なのに、だ。
ふうちゃんが、僕に笑顔を見せて言った。
「大丈夫だよ。谷山。落ち着いていけ。おまえにはがんばってもらわないと困るから。頼むぞ」
そう言って僕のおしりを軽く叩き、ライトの守備に向かった。かわりに橋本が1塁に入った。
相手のベンチがざわついた。
これまで手も足もでなかったエースが退くということは、チャンスであると思われたようだ。
僕はちょっと緊張し、投球練習を始めた。
軽く投げてみた。
「大丈夫だ」。そんな直感が走った。
これまでおよそ5年間、欠かさず投げ込んできたものが、しっかり体に染み付いている。僕は自信を深めた。
この回は、相手の4番バッターからだ。
相手ベンチからさかんに声が出ている「へいへい!相手は控えだぞ!打て打て!」「ホームラン!ホームラン!」確か、そんな感じだったと思う。
僕の意識は、はるちゃんのサインに集中していた。
はるちゃんは、「思い切ってこい!」と言っていた。
ちょっとベンチの方を見た。
お母さんが、すごい顔して悲鳴のような応援をしているのが見えた。
監督が大きくひとつうなずいたのが見えた。
そして、はるちゃんのミットが大きく見えた。
僕は大きく振りかぶり、全身の力を込めて1球目を投げた。
パーン!という捕球音が響き渡った。
バッターも、審判も、そして両ベンチも一瞬静まり、そしてどよめいた。味方ベンチからは歓声が沸き起こった。はるちゃんはミットをとり、補球した手を2・3回振った。「イテテ」といった感じだった。その様子がおかしくて、「はるちゃん、おおげさだよ」と思った。
結局僕は、あれほど制球の練習をしたのに、真ん中へ9球投げて試合終了となった。相手バッターは3人とも手が出ないといった感じで、ただ見送るだけだった。
僕の投手デビューは、上々だった。
4
試合後、僕らは学校に引き上げ、体育館で祝勝会があった。
今日は僕らが負けるはずがなかったので、父母会の半分が学校に残って準備をしていた。5年の時、いやな事件があったから、父母会なりに気を使ってくれていた。
先ずは僕の担任であり、野球部の顧問でもある吉井先生からあいさつがあった。続いて監督から、今日の試合の講評があった。そして、父母会会長、新田の父親が乾杯の音頭を取った。この時はお昼だったので、もちろんジュースだ。新田の父は、「三連覇への第1歩を祝して乾杯!」と言った。
去年の秋、初めて「三連覇」という言葉を聞いたとき、「おおげさだ」と思ったが、今ではそれが、決して手の届かないものではないという気がしていた。
今日の相手は格下だったが、僕らが本気で攻撃していたら30点くらいとれたかもしれない。それだけタフなチームメイトに加え、ピッチャーには、ふうちゃんと僕がいる。今の僕らはすごいチームだ。その一員であることに誇りを感じた。
父母会が準備してくれたかつ丼をみんなで食べた。飲み物はジュースもサイダーもカルピスもなんでもある。みんな和気あいあいと、話が弾んだ。大人たちは監督に「本当に三連覇できそうですね」と、上機嫌で言っていた。僕もそう思ったが、監督は「これからです」と冷静に言うばかりだった。
祝勝会が終わると、父母会は解散し、僕らは軽めの練習をして帰った。
僕は白石と一緒に帰った。
白石は言った。
「谷山、今日は凄かったな。たぶん一番速いので120キロくらい出ていたぞ」
僕を励ますために大げさに言っているのだろうと思った。
「うそじゃない。近くのバッティングセンターでいつも見ている120キロくらいのボールだった」
「ほんとか!」
「ああ。本当だ。すごいぞ。おまえ。中学生よりも速いボールだ。実は俺、知っているぞ。おまえが昔から一人居残ってピッチング練習していたの」
「なんだ。ばれていたのか。でもみんなには内緒だよ。かっこわりィから」
「分かってる。でも、はるちゃんとふうちゃんは知っているぞ。たぶん監督も」
「なんだ。バレバレじゃないか」
僕はカラカラと笑った。もうしょうがない。
「頼む、必ず勝って県営に行こうな」
「当然だよ。おまえの親父さんの夢だったから」
「ああ」
その時、ちょっと先の電柱に寄り添って、白石の妹がいた。白石の帰りを待っていたのだろう。
妹は僕らに気づくと、笑顔を見せて僕らに駆け寄ってきた。
「おにいちゃん!勇太にいちゃん!」
白石の妹は、僕を勇太にいちゃんと言って慕ってくれている。この春2年生になった。
「今日も勝ったの?」と、あどけない笑顔で妹は聞いた。
「ああ。もちろんだ。こいつのおかげだ」
「勇太にいちゃんの?」
「ああ。そうだ。今日こいつはピッチャーやったんだぞ。すごかったんだぞ」
「ほんとう?」
「ほんとうだ」
「じゃあ、お父さんと一緒だね」
「ああ。そうだ。一緒だ」
白石は笑った。
白石の父親は小学校、中学校、高校と、地元では名の知れたエースだったそうだ。
高校最後の夏の地区予選決勝で延長15回の末、力尽きサヨナラホームランを打たれ、甲子園への夢を断たれた。その舞台が県営球場だった。
3年前、若くして癌で亡くなった。
その願いは、見果てぬ夢に終わった甲子園へ、父を越えてゆけというものらしい。
実は、僕の父さんは、同じ高校の2年後輩で、甲子園への夢を見たもの同士だった。だから、父さんもたまに、「先輩のために」と言うことがある。
それに、もの心つくかつかないかだった頃、まだ野球の野の字も知らなかった僕に、その楽しさを教えてくれたのも白石の父親だ。近くの公園で、僕と白石は親父さんの投げる球を夢中で打って競い合った。
青空の中の親父さんの笑顔は、とても透き通って見えた。
それが、僕の野球の原風景だ。
僕も自然と「親父さんのために」と思った。
5
さて、2回戦だ。
今度の相手は1回戦を不戦勝でパスした昨年の準優勝、私立中島学園小等部だ。
さすがにシード校だし、文武両道の名門中島は常に強いチームだ。
現代は、選手の身体的な成長という問題があって、小学生の変化球は禁止のようだが、当時も投手に変化球の指導はあまりせず、カーブをわずかに使う程度だった。しかし、この学校は違う。伝統的に変化球主体だ。その代わり、多人数のピッチャーを擁し、一人に負担をかけすぎないようにしていたから、余計始末が悪い。次々と新手のピッチャーを繰り出され、リズムがつかみづらいという。また、打撃もクリーンナップを中心に、つなぐ野球が伝統だというからまるで隙がない。過去に対戦したこともないし、さすがのはるちゃんも首をかしげ、「この相手ばかりはよく様子を見よう」と、慎重だった。まっちゃんがどこからか仕入れてきた情報では、このカードが事実上の決勝戦ではないかという大会関係者もあり、注目を集めているそうだ。
彼らは試合前の練習を淡々とこなしていた。
1回戦の相手のように浮き上がっておらず、誰一人無駄な動きをしない。必要最低限の動作を確実にこなしている。こいつらは強い!という感想を僕は持った。みんなもそう感じたようで、やまちゃんは「こわかねえぞ!来るならこいや!絶対勝つ!」と咆えていた。そして、どこからともなく、うわさを裏付けるかのように多くの観客が集まった。他校の選手や誰だかわからない大人たち。そんな異様な雰囲気に僕らは少しのまれていた。
僕らは今回、後攻だった。
まっさらなマウンドにふうちゃんが上がった。
初球、相手はいきなりガンちゃんばりのセーフティを3塁線のうまいところに決めた。僕らは慎重策だったのでやや深めに守っていた。その裏をかかれた格好だ。あわててダッシュしたやまちゃんが捕球し、1塁の僕に投げたが、ギリギリ間に合わなかった。
今日は、何だか嫌な予感がした。
続く2番。初球から1塁ランナーが走った。ふうちゃんはウェストしたが、間に合わず、まんまと盗塁されてしまった。投球動作がやや大きいふうちゃんの弱点を突かれた。相手は、僕らをよく研究しているようだ。
ここで2番バッターは送りバントを決め、ワンアウト3塁になった。僕らはタイムをとり、マウンドに集まった。監督からの指示は特になかった。相手ベンチから大きな声が出ていて、それも僕らにプレッシャーを与えた。いつもクールなふうちゃんが、珍しく落ち着かない様子だった。
「気にするな。落ち着いていこう」と、はるちゃんが言った。
「1点はしかたない。バッター勝負で行こう」と、まっちゃんが言った。
「俺たちが必ず取り返すから」と、やまちゃんが言った。
「いや、相手の3番は強気な奴らしいから、なんとかできると思う。なんとか三振を狙ってみるよ。4番は4球覚悟で、5番勝負だ」と、はるちゃんが言った。
「そうだな。1塁にランナーがいたほうがアウトにしやすい」と、田中が言った。
「それに、4番はあいつだろ、あまり足はなさそうだ。5番をひっかけさせて内野ゴロで終わりだ」
「よし、きまりだ」と、はるちゃんが言った。
「春木、頼むぞ」と、ふうちゃんが言った。
はるちゃんは胸を叩いて「まかせろ!」と言った。
僕らは守備についた。
「一丁こい!一丁こい!」と、やまちゃんが声を張り上げた。
はるちゃんが、内角からボールになるカーブを要求した。
ふうちゃんは、うなずいた。そして、セットポジションではなく、大きくふりかぶった。
「勝負にくる!」と相手バッターは感じたようで、そのフォームに力が入った。
ふうちゃんの、鋭くしなる右腕から、力を抜いたカーブが投げられた。力んでいたバッターは、タイミングをうまく外され空振りした。
「さすがだ」と僕は思った。
2球目は、外角低めへボール球になる速球。
相手は手が出ず見送ったが、ボールになった。
3球目は、内角高め。ややボール気味の球だったが、その球の勢いにつられて相手は空振りした。
僕らは三振ねらいを知っているから、妙に息がつまる。ハラハラする。しかし、はるちゃんは落ち着いたもので、見事にリードしている。
次は、外角低めいっぱいの速球ストライクというサインだった。それにふうちゃんが見事に応え、狙いどおりの見逃し三振に斬ってとった。
ふうちゃんは思わずガッツポーズ。
バッターは天を仰いで悔しがった。
僕らのベンチから歓声が起こった。
続く4番。
ごつい男だった。いかにも力がありそうだ。
こいつとは無理に勝負せず、1球は力のある球でストライクをとったが、あとは全てきわどいボール球で1塁に歩かせた。
事情を知らない僕らチームの5年生は、「あ~」と残念がったが、これも作戦だ。最初から敬遠すれば、次の5番の闘志に火をつけかねない。
その5番は、僕らの狙い通り、ショート右へのゴロとなり、セカンドフォースアウトに倒れた。
無言でベンチにひきあげる、はるちゃんの背中が大きく見えた。
さて、攻撃だ。
ここで、簡単に三者凡退するわけにはいかない。そんなことをしたら、相手が勢いづく。
「なんとしても粘れ、最低10球くらい相手ピッチャーに投げさせろ」という監督の指示だった。僕らもやる気になっていた。相手には得点できなかった焦りがあるはずだ。
「ここで叩いて、こっちが一気にのってやる!」
1番ガンちゃんは、相手の守備がやや浅いことを見て、バントの構えをした。それは、つまりバスターをやるのだと僕らには分かった。
相手バッテリーは、用心のため1球目は外角高めに外してきた。ここでヒッティングの構えに移ればこっちの意図が相手にばれるから、ガンちゃんはバントの構えのまま、冷静にバットを引いた。
2球目は内角高めのストレート。ここでもガンちゃんは冷静に見極め、バットを引いてボールになった。相手は、バスターはないと思ったようだ。
3球目、外角高めのストライクを投げてきた。力があったのでさすがのガンちゃんも、バントのままバックネットへのファールを打ち上げた。
4球目はボールになった。
5球目、内角低めの難しい球をガンちゃんは足元へのファールバントで逃げた。これで2ー3。しかしガンちゃんは相変わらずバントの構えをしている。相手ピッチャーは投球のたびにダッシュしてくるので、もう既に疲れているようだ。間をとるためにキャッチヤーが立ち上がり、味方内野手に何か指示をした。
さて6球目、相手チームの1塁と3塁が猛ダッシュしてきた。例えスリーバントでも、ガンちゃんがバントすると決めてかかっていた。
ピッチャーは、目を見張るような凄いカーブをここで初めて投げてきた。外角高めボールから、内角低めストライクへ食い込むような球だ。
僕は「ボールだ」と思ったが、ガンちゃんは球筋を見切っていたようで、素早く冷静にヒッティングの構えに戻し、差し込まれない楽な姿勢で、引き込んで左方向へ流し打ちした。
打球は、ダッシュしてきた3塁手の頭上を越えた。
レフト前ヒットとなり、僕らのベンチから歓声が起こった。
「神業だ」と僕は思った。内角なのに、なんであんな芸当ができるのか、僕には不思議だった。
「動体視力が大切なんだ」とガンちゃんは常々言っていた。
「ヒマな時は、道路や線路わきで、通り過ぎる車や列車に乗っている人のひとりひとりの顔を見極める練習をしているし、夜は早くから寝るようにしている」とも言っていた。
僕の投げ込みのように、ガンちゃんはガンちゃんなりの努力をしている。そうした努力によって、ピッチャーのリリースの瞬間が見えるのだろう。球筋が良く見えるのだろう。
ともかく、今、1塁上で涼しい顔をしているガンちゃんが、味方で良かったと僕は思った。
2番まっちゃんは、初球大きな空振りをした。
曲者だから、たぶん何かを企んでいるといった感じの空振りだった。
監督からは何のサインも出ていない。不思議なことだけど、練習では細かいことに目が届き、うるさいほどの指導をする監督が、大体いつも試合になると黙っている。いつもベンチ前列で腕組みをしたまま仁王立ちしているだけだ。
2球目、ボール。
3球目、ファール。
4球目もファール。
これでバントはないだろうと思った相手内野手は前進守備を解いた。
5球目、カーブすっぽ抜けのボール。
6球目、またカーブがすっぽ抜けた。
相手ピッチャーは、得意のカーブがうまく打たれたことで、ちょっと気持ちが引いていたのかも知れない。だから7球目はストレートだった。
まっちゃんは待ってましたとばかり、1塁線へ自分も生きようとするバントをした。
相手ピッチャーのベースカバーとかけっこになったが、間一髪アウトになった。
9割方思い通りだったのに、あと一歩及ばなかったまっちゃんは悔しそうだった。
僕らは徹底的にバント練習をしていて、いつでもできる自信があるから、カウントなんて関係ない。それが、相手チームにはやはり驚異に映ったようだ。タイムをとり、マウンドに集まった。何事か話し合った彼らが、やがて守備にちり、ゲーム再開。
なんとも、1回表の僕らと同じような展開になった。ここで登場する3番やまちゃんも、めちゃくちゃ強気なバッターだ。
相手はピッチングの組み立てを変えてきた。得意の変化球が主体になった。やまちゃんは、ワンアウトをとって落ち着いたピッチャーが繰り出すカーブ、シュートに翻弄された。やはり、打ち気に逸りすぎたこともあり、三振に倒れた。
僕らのベンチはちょっとざわついた。「あんなボールはとても打てない」と5年生の誰かが言った。
1回表とちょっと違ったのは、4番のふうちゃんが粘りに粘って、レフト前ヒットを打ったことくらいで、5番の僕は、外低めに逃げるカーブを引っかけてセカンドゴロフォースプレイに倒れた。
守備に行く時、橋本が「今日は5番の違いが勝負を決めそうだな」と、性懲りもなく憎まれ口をきいた。
2回の表は下位打線に回ることもあり、なんとかふうちゃんが切り抜けた。
その裏、僕らの攻撃。
田中が4球を選んだものの、続く3人がうちとられ、無得点に終わった。
3回表もふうちゃんが抑えた。
試合は落ち着いてきた。
3回裏、僕らは1番からの攻撃だったので、ベンチ前で円陣を組んだ。
監督が言った。
「みんなも、もう気づいていると思うが、中島小は強いチームだ。しかし、おまえたちも負けてない。強いチームだ。強いチーム同士なら、勝ちたいという気持ちが強い方が勝つ。必ず勝つと思え、気合いを入れろ!以上だ!」
続いて、はるちゃんが掛け声をかけた。
「ひがしー!」
「ひがし」とは僕らの学校の略称だ。東原小学校という。
僕らも全員で復唱した。
「ひがしー!」
「ファイト!よぉし!」
しかし、1回裏ほどうまくはいかず、結局三者凡退に倒れた。
4回5回、相手は何度か塁に出たが、結局得点にはならず、試合が動いたのは6回。
ずいぶん疲れが見えるふうちゃんだったが、第1打者はセカンドゴロに打ち取った。
続く第2打者も簡単に2ー1と追い込んだのに、ストライクをとりにいった球が甘く入った。とにかく2ー1だから、相手バッターは夢中で振って、それがラッキーなライト前ヒットとなった。僕らは「気にするな!」「オーライ、オーライ!」「しまっていこう!」などと声をかけ、励ましあった。
第3打者。
2球目をひっかけ、3塁ゴロになった。「しめた、ゲッツーだ」とみんな思った。しかし、2塁送球を焦ったやまちゃんの送球は、2塁手の頭を越える暴投となってライト前にころがった。
それを見て相手ランナーは3塁に向かった。
緩慢で適当なベースカバーしかしていなかった橋本ではなく、突っ走ってきたガンちゃんがボールをおさえ、3塁に送球しようとしたが、タイミング的に間に合わなかったので、2塁上のまっちゃんが、「こっちだ!」と声をかけ、ガンちゃんは2塁に送球した。おかげで1塁ランナーは1塁にくぎづけとなった。
いきなりピンチとなった。
内野手がマウンドに集まった。やまちゃんは、ひたすら謝った。誰もやまちゃんを責めてはいなかったが、大ピンチには違いない。
「気にするな。落ち着いていこう」とはるちゃんは言った。
ただ、この場面を切り抜けるには、やはりふうちゃんにがんばってもらうしかなかったが、今日のふうちゃんはどこかおかしい。かなり疲れているようだ。
やはり、中島小の攻撃はすさまじいものだった。全体的に見ると、攻撃では中島小の方が一枚上手だ。僕らの守備に阻まれていたが、押し気味に試合を進めてきたのは中島小だ。だからと言って僕に投げろとは誰も言わなかった。昨日今日ピッチャーになった僕なんかに誰も期待していなかったし、その現実は僕が一番知っていた。やはり、ここ一番は、ふうちゃんしかいない。
何も具体策はなかったが、できるだけゲッツー狙いで行ってみよう。ということになった。
しかし、相手バッターに簡単に外野フライを打ち上げられ、先制点を許してしまった。
ふうちゃんは悔しそうだったが、僕はそれ以上に悔しかった。僕が、この場面を任せられるほどのピッチャーであれば、なんとかなっていたかも知れないからだ。現に相手チームは4回からピッチャーが代わっていて、この暑いなかでも疲れを見せない。
続くバッターもなかなかしぶとかった。
フルカウントからも3球ファールで粘られた。
9球目、ランナーが走ってきたため、2塁カバーに入ろうとしたまっちゃんのわずか左に打球がきた。まっちゃんは逆シングルで抑え、ベースカバーの田中にトスして、なんとか3アウトになった。
相手のエンドラン失敗に助けられた。
その裏。
とにかく全員粘れ!という監督の指示に従うつもりだった。なんとか点をとりたかったし、ふうちゃんが少しでも休めるよう、時間稼ぎをしたかった。打順も良く、1番から。でも結局、三者凡退無得点に終わった。
途方もない大きく重い壁に押しつぶされそうな気がした。
しばらく忘れていた、「負けるかもしれない」という気持ちが胸をよぎった。僕は首を振って「絶対勝つ!」と自分に言い聞かせた。
最終回の7回表。
相手は早打ちせず、じっくり攻める作戦のようだ。くさい球は全てカットしてくる。しかし、この回のふうちゃんは逃げてない。
第1打者の最後は内角低めにズバッと決まった。
続くバッターも結局三振。
最後の力を振り絞るかのような気迫のピッチングで、次のバッターも三振に斬ってとった。
ふうちゃんは、マウンドで咆えた。
僕らは、円陣を組んだ。
監督が言った。
「勝ちたいか」
僕らははっきりと大声で答えた。
「はい!」
監督は言った。
「よし!勝ってこい!」
監督からは、何も具体的な指示はなかったが、もう僕らにそんなものは必要なかった。7回表をぴしゃりと抑えたこともあり、僕らは気持ちが乗ってきていて、とにかく「勝つこと」しか考えなかった。
中島小はピッチャーを交代した。3人目のピッチャーだ。前の二人より、直球に力がありそうだ。しかし、「それがどうした」と僕は思った。
第1打者のふうちゃんは、かわりばなの初球を狙えという鉄則どおり、1球目をライト前にヒットした。
東原ベンチは、沸いた。
僕は、「絶対つなぐ」と決めて打席に入った。
相手ピッチャーは動揺したのか、変化球が2球外れた。
3球目。
ストライクをとりにきた直球を僕は逃さず振りきって、3遊間を抜いた。
僕がサヨナラのランナーになった。
「よし!」と思った矢先、いきなり、けん制球を僕に投げてきた。
あわてて戻って、ギリギリセーフ。危なかった。そんなのでアウトにでもなれば、一生橋本に嫌味を言われそうだ。
相手ピッチャーは、またけん制した。どうもやりにくそうなピッチャーが、とりあえずけん制で気持ちを落ち着かせようとしているようだ。つまり、気持ちが逃げている。ここで一気にたたみかけるべきだ。
さて、1球目。
職人田中が、簡単に送りバントを決めた。
ワンアウト2・3塁になった。
僕らは盛り上がったが、次のバッターは、気の弱い新田だった。
「新田!ガンバレー」という声もむなしく、低めのボール球を引っかけてショートゴロ。
相手ショートは落ち着いてランナーをけん制し、1塁に送球した。
「あ~!」という悲鳴が、僕らのベンチから。
「よ~し!」という歓声が相手ベンチから。
ツーアウトだ。
相手ベンチから「あと一人」コールが起こった。
そして、8番橋本。
橋本の打率は1割6分。チーム内では最低だ。5年の時にはもっと良かったのに。橋本は「外野に代わったせいだ」と言い訳していたが、今はそんなこと、どうでもいい。とにかく「つないでくれ」と僕は思った。
真っ青な顔で、橋本は打席に向かおうとしたが、監督に呼び止められ、代打が告げられた。ちょっと安心したような顔でベンチに引き上げる橋本に代わって出てきたのは、白石だった。
白石の全身から、気迫のようなものを感じた。眼光鋭く、いつもの大人しい白石とは明らかに違う。2~3回鋭いスイングをして、打席に入った。
白石は、5年時も含めて初めて他校試合に出る。だから、相手チームにもデータがないらしく、相手キャッチャーが、何かベンチからの指示を受けていた。
僕と白石は、ずっと一緒にやってきた。「がんばれ!」と僕の心の底から悲痛な願いが沸き起こった。
1球目。外角低めへのカーブが外れた。
白石は反応しなかった。
2球目、内角高めボールになるストレートのつり球。
これにも白石は反応しなかった。
白石は良く見えている!僕は直感した。そんな時の白石は内野の頭を越えるヒットを打つ。だから、白石がはじき返したその瞬間に、迷わずホームまで走ってやる!ここでもし同点どまりなら、もう、ふうちゃんはもたない。
相手バッテリーはやりにくいようだった。何かさかんにサインを交換している。もし歩かせるとすれば、次は、はるちゃんだ。はるちゃんは、打順9番だし、今日はいいとこなしだが、ふだんなら、チャンスにはめっぽう強い。だから隠れ4番とも呼んでいた。そんなデータを相手もおそらく持っている。だから、ここで勝負するに決まっている。必ずチャンスはあると、僕はその瞬間をひそかに狙っていた。
3球目。
高めのストレートをバックネットへ打ち上げた。
よし、あの速球にもタイミングが合っている。
白石は何かを確認するかのように、素振りをし、打席に入りなおした。
4球目、シュートが外れた。
これで1ー3。絶好のバッティングカウントだ。
白石が集中している。「くる!」と僕は直感した。
ひっそりと、いつもより大きめのリードをとった。
ピッチャーが投げた。
よし、ストレートだ!
僕は、ダッシュした。白石は必ず打つ!という確信があった。
確信どおり、白石はきれいにはじき返し、その打球は2塁手の頭上を越えた。
ベンチのみんなから「よっしゃ!」という歓声があがった。
3塁のふうちゃんが先ず生還。同点。
そして僕は、ライトが右中間に走り、ツーバウンドで捕球した時、既に3塁を回っていた。
橋本が「暴走だ!」と悲鳴をあげた。
はるちゃんは「こい!こい!こい!」と絶叫している。
白石は1塁上で、成り行きを注視している。
ライトがバックホームした。中継はなかった。
キャッチャーがブロックしている。
後ろ側がわずかに空いている。
僕は回り込んだ。
送球はキャッチャー手前でバウンドし、それが、ややイレギュラー気味に高くあがった。
僕はヘッドスライディングし、左手でベースタッチにいった。
クロスプレイになった。
土埃が舞い上がった。
審判の判定は。
一瞬の静寂のあと。
「セーフ!」。
審判の両手が大きく左右に開いた。
逆転サヨナラ勝ちの瞬間だ。
「わあっ」と歓声がおこり、僕らのベンチから4年生も5年生も6年生もみんな飛び出してきた。
僕と白石はみんなにつかまりボコボコにされた。
僕にケリを入れた5年生もいた。
白石は、腹の底から笑っていた。それは、僕らが無心で競い合っていた頃の、あの笑顔だった。
白石はみんなから「秘密兵器」とか「代打の切り札」とか言われていた。
6
その日、試合から学校に帰ると、全学年で整理運動のような軽めの練習をした。
その後、特別メニューが言い渡された。
それは、4年生が守備につき、5・6年生が打つから、そのバッティングピッチャーをやれというのだ。
形式は試合形式。ただし、いくつアウトをとっても交代にはならない。延々と投げ続けるのだ。
僕は「面白い」と思った。
これまでひたすら投げ込みしていたが、バッターがいるのといないの、しかも、実戦形式ではまるで勝手が違う。いまひとつ自分でもよく分からなかった自分の力を、試してみたかった。
先ずは、6年生。
みんな面白がっていた。
「ボコボコにされても泣くなよ」とまっちゃんが言った。
はるちゃんだけは、打撃から外れキャッチャーをすることになった。
1番ガンちゃんは、いつものセーフティを決めようとしてきたが、簡単にキャッチャーフライにうちとった。
2番まっちゃんは3球三振。
3番やまちゃんも3球三振。
ここでチーム内からどよめきが起こった。
僕にも驚きだった。
どんなに投げても、恐ろしくキレのある球がズバンズバンと決まっていく。
監督から、コーナーを狙って投げろという指示があった。どのコーナーかは、その都度コーチが指示するというものだった。
先ず、内角低め。
さすがにコーナーを狙うと球速がわずかに落ちたが、はるちゃんのミットの位置にピシャリと決まった。
他のコーナーも一緒だった。
僕ら一軍のレギュラーが、コースが分かっていながらも、誰も打つことができない程だった。僕は自分に自信がついた。
さて、6年生は一巡してお役御免となり、今日は解散した。あとは、4・5年生が居残って、僕の練習相手となった。フリーでは誰も打てないから、場面場面を想定し、ランナーを塁上に置いたり、バントしたり、わざと打たせたりしながら、実戦での確認事項をチェックしていった。
結局その練習は、2時間も続いた。明日からも時間をみてやるそうだ。今日みたいなこともあるから、控えの僕を鍛えようとしているのだろう。しかし、それでも僕らにとってふうちゃんは絶対だ。そんな慌てて練習しなくても。と僕は思った。正直、さすがにきつかった。このあと、例の硬球での投げ込みもしたいし、帰ったら勉強もさせられる。
時間は、いくらあっても足りないなあ。
7
そして1週間がすぎ、僕もマウンドさばきに自信がついてきた頃、3回戦が行われた。
相手もここまで勝ちあがってきた訳だから、そんなに弱いチームではなかったが、中島小と比べるとかなり見劣りがする。
序盤、いつものように足をからめた攻撃で得点し主導権を握ると、エースふうちゃんを中心にした鉄壁の守備で有利に試合を進めた。最終回、僕の登板があるかなと思っていたが、この日は、点差もあまりないため、僕がマウンドにあがることはなかったが、ふうちゃんがピシャリと抑え、なんなく勝った。
これでベスト4。
もう、僕らの実力は飛び抜けていた。
このチームなら、絶対優勝できると信じた。
さあ、いよいよ明日は県営球場だ。
その日は、明日のダブルヘッダーに備え、早々と解散した。
僕は一旦自宅に帰り、着替えをして、例の硬球を持って、再び学校に行った。今日も投げ込みするつもりだった。
いつものプール壁の前に、妹と一緒に白石がいた。
僕が来るのを待っていたようだ。
白石より、妹のほうが先に僕に気づき、かけ寄ってきた。
「勇太にいちゃん!」
「ああ、どうしたんだ。ふたりとも」
白石は照れくさそうに僕に近寄ってきて言った。
「いや、明日はいよいよ県営だなと思って」
「そうだね」
「明日は頼むぞ」と、白石が言うと、妹も「たのむぞ」と復唱した。
「おまえこそ、頼むぞ。なにしろ代打の切り札なんだからな」
「ああ。チャンスがあったら、がんばるよ」
「がんばるよ」と妹がまた復唱した。その様子が可笑しくて、僕は、「なおちゃんは何をがんばるんだい?」
と聞いた。妹は白石直子。だから僕は「なおちゃん」と呼んでいた。妹は、ちょっとはにかんで「おうえん」と言った。
「そうか、応援か。なら、がんばらないとなあ、白石」
「わたしだけじゃないよ。お母さんもくるよ」
「おばさんも?」
僕が白石の方を見ると、白石がうなずいた。
「明日は、きっときつい戦いになる。ダブルヘッダーだし、このままいけば、決勝は白峰台だし。だから、きっとチャンスはある。気持ちを切るなよ」
「わかっている」
白石はそう言うと、まじめそうな顔してうなずいた。
「親父さんも、きっと見ているぞ。応援しているぞ」
白石は、天を仰いで、「わかってる」と答えた。
それからしばらくして、白石兄妹は帰っていった。
僕は投げ込みを始めた。
結局、白石は何故ここに来たのだろう。本当は他に何か言いたいことがあったんじゃないかと思い、ちょっと気になったが、その時の僕には、そんなに深く考える余裕はなかった。
8
さて、準決勝は朝早い。
僕らは第1試合だったので8時半開始だ。
僕ら一軍と5年生のベンチ入り組は6時半に学校を出発し、7時過ぎには県営球場に着いた。係の人に案内され、初めて見るロッカールームに通された。すごい!ここは、プロも使っているのだ!でも、感慨にふけっているひまはない。手早く準備を済ませ、3塁側ベンチを通り、グランドに出た。
広い!とても広い!
もちろん、ダイヤモンドや、ホームランゾーンは、少年野球サイズに処置してあった。
ついに来たのだ。憧れの県営球場。
この先に、父さんと親父さんの夢、甲子園が続いている。
僕らは今、その第一歩を印した。
両チームとも規定時間内で手短にウォーミングアップ練習を済ませ、試合開始の時間を待った。その間に、父母会、4・5年生部員、そして一般の保護者、それに学校の先生や、友達たちがスタンドに集まってきた。約2万人入るという球場からすると、ごく控えめな応援団だったが、それでも、いつもより見知った顔がたくさん来ていて、ちょっとした有名人の気分になった。
試合前、ベンチの前で円陣を組んだ。
コーチから、相手チームの情報や、注意点などの指示があり、そのあと、作戦の指示があった。要は、「走れ」ということだ。走塁も、捕球も、ベースカバーも、とにかく全力で走れとのことだった。
最後に監督から話があった。
「いつもどおりの野球をすれば必ず勝てる。これが準決勝だということは考えるな。落ち着いて、ひとつひとつのプレイをいつものように丁寧にやれ」
という内容だった。
最後に、はるちゃんが掛け声をかけた。
「ひがしー!」
「ファイト!ようし!」
審判が、「整列!」の号令をかけた。
両チームの選手がダッシュして打席付近に整列した。
僕は相手チームの顔を眺めてみた。
どいつもこいつも青い顔している。勝負前だが、「勝った」と思った。僕らとあたるというだけで、相手にはプレッシャーになるのだろう。振り返って僕のチームメイトは、新田と橋本を除くレギュラーは、みんな涼しい顔をしていた。いや、まっちゃんだけは、相手を三白眼で睨みつけていたが。
「これより東原小学校と東稜小学校の試合をはじめる!一同、礼!」
「お願いします!」。
相手の東稜小は、市の郊外にある新設校だ。準決勝初出場でもあり、応援団が凄かった。学校挙げての大応援団のようで、殆どの児童や保護者が応援にきているようだ。生意気なようだが、僕は内心「お気の毒」と思った。僕らが勝つに決まってる!
事前のコーチの説明では、エースは、制球はいいが球が遅い。まとまっている分、僕らには打ち頃の球がびゅんびゅんくるだろう。また、打撃は月並み。守備も月並み。足もない。まあ、普通にやれば5ー1くらいで楽に勝てるとのことだった。
僕らは先攻だ。
相手エースの第1球は、ガンちゃんの懐をえぐるような鋭い内角直球だった。
僕らはあぜんとした。コーチの説明とは違う、威力のある球だった。相手もやはり準決勝まで上がってくるほどのチームだ。僕は気をちょっと引きしめた。
ガンちゃんは、くさい球はなるべくカットで逃げて、数多くの球を投げさせようとしていた。相手エースの力を僕らに見せるためだ。さすが、ガンちゃん。1番バッターの役割を心得ている。いたずらに打ち気に逸ることはない。
これは練習試合でも、格下との試合でもない。公式戦の準決勝であり、僕らの三連覇の道程なのだ。ここで途切れるわけにはいかない。そんなガンちゃんの気持ちが伝わってきた。
ガンちゃんは、粘りに粘って8球目を左中間にヒットした。
そして、2番まっちゃんが例のバットをくるくるさせるクセをしながら打席に入ると、ガンちゃんが、「初球、走るぞ」のサインをした。
いくらなんでも初球はまずいなあと僕は思ったが、ガンちゃんには勝算があるのだろう。
そして、見事に盗塁を決めた。
ここで、まっちゃんが送りバントの構え。
内野は前進守備。
2球目。
1塁と3塁がダッシュしてきたところを見極めて、曲者まっちゃんは、3塁頭上を越えるプッシュバントを見事に決めた。これでノーアウト1・3塁。
次のやまちゃんは、「よし!まかせろ!」といって打席に入った。
相手は前進守備のまま。1点もやらない構えだ。
初球、やまちゃんは大きな空振りした。やまちゃんの場合、演技ではない。本当の空振りだ。
2球目、相手エースがランナーへの警戒を怠ったため、まっちゃんは楽々盗塁を決めた。投球はボール。
ここで、相手外野手もやや浅い守りになった。とにかく点はやらないが、慎重でもあるという守備だ。しかし、その思いもむなしく、3球目、やまちゃんは右中間を大きくやぶる2点タイムリー2ベースヒットを打った。
あっけなく、2点先制だ。
ここで相手エースの気持ちが切れた。
僕らは次々と連打して結局初回だけでコーチが予言した5点を取った。
準決勝とはいえ、僕らは相手チームを圧倒した。
僕らは、僕らのチームの力を信じた。その源泉は、目線を切らない食らいつく打撃にもあるが、やはり鉄壁の守備と、その中心にいる黄金バッテリーの存在だ。こんな大舞台でも、僕らのバッテリーは頼もしかった。はるちゃんが的確に計算し、ふうちゃんは、その要求に見事応えて凡打の山を築いていった。僕らのリズムは良循環となって回転し、まったく負ける気がしなかった。もともと黄金バッテリーには自信があったが、鬼監督の下、いちから鍛えなおされた成果だったのだと僕はその後しばらくして気づいた。
その時はみんな、とにかく夢中で声を出し、走り、捕って投げた。何度かあった抜けそうな打球もみんなで抑えた。最終回、最後のバッターをセカンドゴロにうちとると、僕らは、全員マウンドにかけ寄ってよろこびを分かち合った。
ふうちゃんが、ノーヒットノーランを達成した瞬間だった。
僕らがみんなで成し遂げたのだと監督が言った。コーチは、普通ならヒットだった当たりが、3本はあったと言った。ベンチ入りしていた父母会の代表者たちは泣いていた。思えば、僕らだけではない。監督、コーチ、そしていつも支えてくれる、父さんや、お母さんのおかげでもあるんだ。
さて、次は決勝だ。
また必ず勝つぞと気持ちを切り替え、軽いどよめきと歓声が残るグランドを後にした。
準決勝第2試合が行われている間、僕らはスタンドで観戦していた。
第2試合は、強敵白峰台と、昨年のベスト4である藤田小で行われていた。僕らの下馬評では、圧倒的に白峰台だった。彼らは強い。そのことは僕らが一番知っていた。ふだんはのらりくらりとかわしてくるが、ここ一番は恐ろしく威力のある球を投げるエース。僕らと変わらぬ固い守り。そして、ノーヒットノーランを準決勝でやらかす程のふうちゃんを、あそこまで苦しめるしつこい攻撃。僕らは静かに戦況を見つめた。
ゲームは、やはり白峰台主導で進んだ。
やがて、昼食の時間となった。
父母会が準備してくれた弁当を、みんなで食べた。
食事中、監督が僕に言った。
「谷山、このあとの全体練習の時、藤井と一緒にブルペンで投げろ。そして試合中も攻撃の時はブルペンで投球練習をしておけ」
僕はあっけにとられた。
まさかこの大事な場面で僕が投げるのか?
コーチが補足した。
「あのな谷山。この前の練習試合の時の返球を白峰台は見てるだろ。だから揺さぶりをかけるのさ。あの時の奴はピッチャーだったのか、いつ投げるのかと考えると敵はたぶん冷静さを失うからな。早めに攻略しようと早打ちして終わりだ」
監督が言った。
「うちのエースはあくまで藤井だ。決勝のような大舞台をまかせられるのは藤井しかおらん。しかし、おまえの球を見せることで藤井を、チームを救えるかも知れん。頼んだぞ」
「それほど白峰台は強いんだよ。おまえも知ってるだろ?」と、まっちゃんが言った。
僕はふうちゃんを見た。
ふうちゃんは、いつもの優しげな笑顔を見せ、ゆっくりとうなずいた。
僕は、「よし、やってやる!」と思った。
結局、僕らの決勝の相手は白峰台だった。
両チームベンチ入りの時間になった。
練習が始まった。
僕はブルペンに向かった。
ふうちゃんが、「落ち着いていけば大丈夫だよ」と声をかけてきた。僕は、ハッとした。やはりあがっていたようだ。まだ練習なのに。
「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせた。
大きく振りかぶってみた。違和感はない。いつものようにテイクバックした。そして腰を入れて投げた。
パーン!といつものように捕球音が響いた。
「よし、いける」
僕の気持ちとは裏腹に、体のほうは、いつものように動いた。隣で見ていたふうちゃんが、笑いながら「先は長いから、とばし過ぎるなよ」と言った。
僕らのブルペンの様子に白峰台が気づいたようだ。
作戦どおり、多少ざわついている。
やがて練習時間が終わり、僕らはベンチに引き上げ、ダッグアウトに入ろうとした時。
「勇太にいちゃん!」と、僕を呼ぶ声が聞こえた。なおちゃんだ。スタンドを見ると笑顔で「がんばれー」と言いながら手を振るなおちゃんがいて、その隣に白石の母親がいた。おばさんは笑顔を見せて深々深々と頭をさげた。ちょうど外野から引き上げてきた白石は母と妹を見上げ、にこっと笑った。
さて、いよいよ決勝開始だ。
審判の号令とともに、僕らは「よし!GO!」と叫んでダッシュし、整列した。
「これより春季大会決勝、白峰台小学校対東原小学校の試合を始めます。全員、礼!」
「お願いします!」
両チームから大きな声が出た。やはり決勝だ。みんな気合いが入っている。
守備につこうと振り返った時に気づいたが、スタンドの観客が増えていた。学校の同級生や親たちがたくさん来ていた。僕の友達もたくさんいて、金網にへばりつき、身を乗り出して笑いながら騒がしく手を振っている。
僕らは後攻だったので、守備についた。
ふうちゃんの方を見ると、マウンド上で右手に持ったボールをみつめ、なにかつぶやいていた。そして天を仰いで大きく深呼吸した。初めて見せるリアクションだったので、僕は意外な気がした。あの冷静なふうちゃんでさえ、やはり緊張していたのだ。
プレイボールがかかった。
僕らの三連覇の先ず一つ目がかかった大切な試合だ。押し付けられたようなものだったが、今や僕らみんなの目標だ。
ふうちゃんが振りかぶった。
1球目は。
外角低めストレートに相手バッターが空振りし、僕らのスタンドから拍手が起こった。
2球目。
真ん中から外角低めに逃げるカーブを引っかけさせた。
変な回転のゴロが1・2塁間に転がった。
「オーライオーライ!」
まっちゃんが大声をあげて追いつき、腰をおとして体の中心でがっちりと捕球した。送球を僕がしっかりキャッチして「よっしゃあー」と声をあげた。
内野がボールを廻しながら、先発もベンチも「ワンダンワンダーン!」と声を掛け合った。
2番も初球から打ってきてショートゴロ。
3番は2ー1からの内角速球を打ち上げ、サードファールフライに倒れた。
よし!次は僕らの攻撃だ。
1番ガンちゃんは2ー3まで粘ったが、サードゴロに倒れた。
2番まっちゃんは1ー2からショートゴロ。
3番やまちゃんは初球を打ち上げてセカンドフライに倒れた。
やはり、白峰台だ。
ちゃんとしたバッテリーを持ち、守備がいい。僕らと同じようなタイプのチームであり、強い。今日もまた投手戦を覚悟しなければならない。繰り返すが、守りのミスは厳禁だ。
2回表。
相手チームは何か打ち急いでいるようだ。早いカウントから打ってきて簡単に三者凡退に倒れた。
その裏。僕らの攻撃。
先頭バッターはふうちゃんだ。
今日のふうちゃんは、いつもの涼しい顔ではなく、かなり厳しい表情だ。
初球。
ふうちゃんは思い切りバットを振りぬいた。
打球が天高く舞い上がった。
その球は大きな放物線を描いて、仮設フェンスが組んである規定ラインを越えた。
ホームランだ。
僕らのベンチから、スタンドから、大きな歓声がわきあがった。ベース1周してきたふうちゃんを、ネクストバッターの僕がハイタッチで迎えた。ふうちゃんは厳しい表情のままだった。
続く僕と田中と新田は、申し訳ないが凡打に終わった。
3回表。
白峰台は、先頭バッターがセーフティバントで出塁した。
次の8番が送りバントを決めた。
相手も必死だ。しかし、ふうちゃんは落ち着いて9番をきっちり抑えたので、もう大丈夫だと思った矢先、何故か1番バッターに4球を与え、2番にも4球を与えてしまった。
ツーアウトだけど満塁だ。
それに白峰台のクリーンアップがここから登場する。今大会の彼らのアベレージは、3割台だ。いきなり何故崩れたのか分からなかった。こんなこと、今までのふうちゃんにはなかった。やはり、ふうちゃんと言えど、ダブルヘッダーはきついのか。
僕らは、マウンドに集まった。
「とにかく打たせろ。俺たちがなんとかする」と、やまちゃん。
「気楽にいけよ」と、まっちゃん。
「ふうちゃんは凄いピッチャーなんだから」と僕。
田中はうなずきながら
「まだ、3回なんだからな。これから、これから」と言った。
「まあ、タイムを取ったのは気分転換の時間かせぎだよ。ちょっと休んで気分を変えて、いつものようにやればいい」と、はるちゃんが言うと、まっちゃんがおどけて言った。
「よし、じゃあぎりぎりまで何か話しているふりしようぜ」
ふうちゃんは、にこっと笑って「ありがとう」と言った。
試合再開。
守備についた僕らは、いつも以上に声を出し合ったが、結局、3番にも4球を与えて押し出し同点となった。
「もう止まらない。これは覚悟を決めないと」と思った。
次は4番。相手ベンチは大声援だ。
ふうちゃんは、また0ー3とした。
4球目は仕方なく真ん中速球見逃しストライク。おそらく「待て」のサインが出ていたのだろう。
5球目。
真ん中高めの、見逃せばボールかもしれない球を相手4番は思いっきり叩いた。打球は天高く左中間にぐんぐん伸びて行った。
僕らのベンチから悲鳴があがった。
僕はもうあきらめた。「やられた」と思った。たぶん、ふうちゃんも、はるちゃんも、みんなそう思っただろう。しかし、ガンちゃんはあきらめていなかった。その方向に一直線に走った。走りに走った。こっちを見ている。まだ向こう向きにはなってない。
「捕れるのか?」と、僕は思った。
「捕ってくれー!」と、まっちゃんが叫んだ。
左中間一番深いところ。仮設フェンス前。
ガンちゃんの足が止まった。
そして、ジャンプした。
ドンピシャのタイミングでしっかりキャッチした。
ホームランボールをもぎ取った!
ふうちゃんが、マウンドで踊りあがった。
僕も両手を突き上げ、「よっしゃー!」と叫んだ。
今度は相手のベンチから悲鳴があがった。
東原サイドは大騒ぎ。
風の向きを読み、コースを読んで、あきらめなかったガンちゃんの勝利だ。
ガンちゃんは、ベンチからハイタッチで迎えられた。
こうして、まるで魔がさしたかのような、長い長い3回表が終わった。
それからの試合は、落ち着いた展開となって進行した。
同点どまりでも、今日は気落ちしなかった相手エースと、立ち直ったふうちゃんの投げあいとなった。
そして最終回7回裏。僕らの攻撃だ。
僕らはベンチ前で円陣を組んだ。
監督が言った。
「勝ちたいか?」
僕らはありったけの声を張り上げた。
「はい!」
監督はいつものように言った。
「よし!勝ってこい!」
打順は2番まっちゃんからだ。
まっちゃんは、バットをいつものようにくるんくるん回しながら打席に入り、両手につばを吐き、力を入れてバットを握った。そして、2~3回大きく素振りをした。
「よし!こいやあ!」
と勇ましく掛け声をかけ、ちゃっかりと1球目をセーフティバントした。うまい作戦だったが、右バッターはどうしてもダッシュが遅れる。落ち着いて3塁手にさばかれ、あと一歩及ばなかった。それでも、ヘッドスライディングまでやって見せたまっちゃんのガッツに、スタンドから拍手が起きた。
続くやまちゃんも、「よし!こい!」と勇ましく叫んで空振りした。繰り返すが、やまちゃんの場合、演技ではない。そのまま、相手バッテリーにいいように翻弄されて三振に倒れた。
ツーアウトだ。
味方スタンドから、ため息が漏れた。
延長も見えてきた。
僕がマウンドに上がるかもしれないという考えが、ちらっと頭をよぎった。
打順は、次がふうちゃんで、その次が僕だ。
ネクストバッターサークルを出て行くふうちゃんの横顔は、また厳しいものだった。ふうちゃんの気迫を感じ取った相手バッテリーは、用心のためボールから入った。しかし、ふうちゃんは打ち気に逸りすぎ、その球を空振りした。
2球目はファール。
3球目はあきらかなボール。
4球目ファール。
5球目ボール。
粘るふうちゃんに、味方から大きな声援がとんだ。
そして6球目。
その快音を、僕は一生忘れないだろう。
青空の彼方へ消えていった、サヨナラホームランだ。
東原サイドから、大歓声が上がった。
1塁をまわる頃、ふうちゃんは高々と右手を突き上げた。
ダイヤモンドを1周してきたふうちゃんは、ベンチから飛び出してきたチームメイトに、もみくちゃにされた。
まったく、ふうちゃんにはかなわない。
せっかく僕はマウンドにあがる覚悟を決めていたのに。
今日は、ふうちゃん一人で勝ったようなものだ。
ふうちゃんは、しわくちゃの笑顔で、みんなの歓喜の輪の中心にいた。そしてそれが、僕らとふうちゃんが一緒に戦った最後の試合になった。
ふうちゃんが、転校していなくなるなんて、その時、僕らは思いもしなかった。
-野球少年 小学校編2へと続く-
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