Barケイティーへようこそ!

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Barケイティーへようこそ!

 「明日の経営会議の準備、もう終わったのか?」 上司が問いかける。 「はい、もうすぐです。司会進行のシナリオの直しが終われば、全ての準備が整います。」 上司にそう答える。 僕の名前は圭太。26歳のしがないサラリーマンだ。 標準よりも少しだけ大きな会社の、総務課で働いている。 総務課というところは、いわゆる”何でも屋”だ。 他の部署に割り振ることが出来ない仕事はなんでも総務課に回ってくる。 明日は一年に一度の経営会議の日だ。 お偉いさんがたくさん出席する会議だ。 その準備の大部分は総務課の仕事である。 座席表を作ったり、先ほどの司会のシナリオを考えたりと、雑用とも呼べそうな仕事が満載なのだ。 今日の分の給料が発生する雑用を終えて、僕はまたいつものように平凡で何も変わり映えのしない一日を終えようとしていた。 そんな時、だった。 「ねえ、本間くん。今日この後暇だったりしない?」 話かけてきたのは、同期のさおりだ。 彼女は営業部に所属している。 「ねえ、良いバー見つけたから、もし良かったら今から一緒に行かないかな?」 「いいよ。特になにも予定は無いし。」 このほんの小さな決断が、後の僕をこれほどまでに変えるとは、この時はまだ誰も知る由もなかった・・・。  「いらっしゃ~い!何人??」 マスターの声が響く。 バーというものはどこでも、扉を開けると別世界が広がる。 何の変哲もなビルの中の、何の変哲もない三階にある一つのドアを開けると、ここまで空気感が変わるなんて。 金髪でメガネの男性一人と、背の高い女性一人がカウンターの中にいた。 二人で営んでいるバーらしい。 カウンター席が六つ、三人ほど座ることのできるボックス席が一つのこじんまりとした店内。 特別凝っていたり、高そうな装飾が施されている訳ではない。 多少の安っぽさが居心地を良くしていた。 薄暗い店内には、木曜日ということもあってか、他に客は居なかった。 僕とさおりはカウンター席に横に並んで座った。 「さおりちゃん、今日はどなたと?もしかして、彼氏?」 金髪でメガネのマスターがさおりに話しかける。 「彼氏じゃないよ!会社の同期!」 さおりは笑いながら答える。 「初めまして、本間と言います。」 僕は挨拶をした。 「いらっしゃい。」 そう言いながら、カウンターの中にいた背の高い女性がおしぼりを差し出してきた。 その時、僕は初めてその女性をきちんと見た。 そして、気づいた。 透き通るような肌、艶やかな長い髪、吸い込まれるような瞳…。 その瞬間、ありきたりな表現かもしれないが、僕はこう思った。 なんて美しいのだろう。この世のものとは思えない…! あの日のこの後のことは僕はあまり覚えていない。 何を話したのかも覚えていない。 あまりの美しさにショックを受けた後の頭は、記憶を保つ能力すら残していなかった。 その女性は僕の中の何かを大きく、もう後戻りできないところまで突き動かしてしまった。 まさに、僕の運命を変えた。 翌日の経営会議では、圭太は一日中上の空だった。 会議の進行自体には大きな問題は出なかったものの、小さなミスが多数あった。 派手さはないが実直な仕事ぶりで知られる圭太にしては珍しい一日だ、とのもっぱらの周りの評価だった。 そして、この経営会議以降、社内で圭太の姿を見た者は誰一人としていない…。 いや、この日を境に、世界から”圭太”の存在が消えた…。 「あら~!いらっしゃ~い!」 今日も野太い声が叫ぶ。 「ちょっと、いらっしゃ~い!やだ!あなた、ちょっと太ったんじゃないの?変な女連れて!!その女、卓球中国代表の、あずき色のジャージが良く似合いそうね!もう、やだ~!」 「もうやめてくれよ!相変わらずケイティーは面白いな~!」 客は皆笑顔である。 ある日を境にこの世から一人の男が消えた。 しかし、その男は生まれ変わっていた。 「この店の名前、”Barケイティー”になる前、”ひげおんな”だったじゃない?その時代にね、私ここの店に来たのよ!客として。その時にね、あそこに立っている優子ママを一目見てね、もう、衝撃よ!これが本当は男なのか!?ってね。そして、私も出会っちゃったの!私の中のケイティーに!おめざめ~って感じだったわ!」 「もう、ケイティーはいつも面白いね!」 小太りの中年男性客はほろ酔いで相変わらず楽しそうである。 「それにしても、女っておかまバー好きよね~。意味不明よね~。私を最初にここに連れてきたのも女だったわ~!」 そのとき、横からもう一つの野太い声が言った。 声の主は金髪でメガネ姿である。 「ちょっと、ケイティー、ここのバー、あんたのおかげで流行ってるから店の名前まで変えたんだから、もっとそこの客に高い酒飲ませなさいよ!」 「俺の前で言うなよ~!」 小太りの客は嬉しそうだ。 「そうね!ドンペリ開けるわよ!」 「Barケイティーにようこそ!いっぱい飲んでいってちょうだい!」
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