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3、玩具で壊す
エイプリルの一日は、ベッド横のアラームを床に殴り落とすところから始まる。
眠る時もしっかり握りしめた「玩具」で思いきりがつんとやるので、アラームは馬鹿みたいによく壊れる。
皺だらけのシャツにアイロンをかけ、一番上までボタンを閉める。着崩している同僚の方が多いが、これは彼女なりのスイッチなのだ。仕事とオフはきっちり分ける。私服は派手でぶかぶかのクラッシュジーンズに男物のパーカーを合わせることが多い。
支部の長であるオスローを見習って、毛先だけピンクに染めた金髪をオールバックに固めてゴムで縛る。
出勤する際には必ず壊れたアラームを持っていく。
工房に持ち込むのだ。
「毎日毎日、よくまあこんだけぶっ壊せるなぁエイプリル。妙な得物の使い方はいっちょ前のくせによ」
「アラームは苦手なんです、ミスター。止めるより壊した方が早いし、精神的にすっきりします」
「これっぽっちも反省してねーなおめえは」
「そうですか? これでも随分改善していると思いますが」
「改善と反省は別もんだろうが」
でも、本心だ。
最初は本当に酷かった。
アラームが鳴りやんでも苛立ちがおさまらず毎朝全力で破壊に勤しみ、原形を失った破片を適当にかき集めて工房に持ってきていた。そのためだけに新しくほうきとちりとりを買ったくらいだ。
「うちにそんな日用品のスクラップを持ち込むんじゃねえ! そこら辺で買い直せ! 嫌なら別で修理屋でも探してろ!」
怒鳴られたことも数知れないが、エイプリルはいつも律儀に答えていた。
「外の修理屋なんて、正気ですか? ミスター。直したと差し出されても、中に何を仕込まれるかわかったものじゃありません。私達はマフィアなんですよ? それに、あなたの仕事には日用品の整備点検だって含まれていると私は思います」
「あ?! 馬鹿にしてんのか!」
「まさか。私はただ職務は全うすべきだと述べているだけです。だって、ここはアコールソーンなんですから」
日常的に使うものを日用品と呼ぶのなら、武器はむしろその筆頭だと思う。
エイプリルの主張は、残念ながら工房にも同僚にも賛同してもらえなかった。
まあ、この騒動のおかげでオスローに名前を覚えてもらえたので結果としては満足しているのだが。
「おめえがクールビューティーなんて、世も末だな」
疲れきった敗北宣言によって、今ではエイプリルのアラーム修理は工房の新人連中の練習台として認知されている。
「毎度思うんだがよ、おめえは何だ、アラームに恨みでもあんのか?」
エイプリルは首を傾げた。
「あるに決まってるじゃないですか」
「……あんのかよ。決まってねえよ。ほんっとに変人だな」
「女性に対して失礼な言葉遣いは慎むべきでは?」
「おめえは女じゃねえ。ボスが認めても俺は認めねえ」
「そうですか。まあ、あなたにはあなたの主張がありますよね」
うんうん頷くと工房の主は深々とため息をついた。
何故だ。せっかく同意してみせたのに。
「よう、今日も楽しそうだな。エイプリル」
「フェイク。おはようございます。あなたこそ今日も……いえ、昨日も随分楽しまれたようで」
黒地に赤い花柄のシャツをへその上のボタン一つだけ止めて色気を過剰にアピールする男は、夜ならともかくこの時間帯にはひどく浮いて見える。
程よく日に焼けた肌は滑らかで、ところどころに艶かしい鬱血の跡が残っていた。
「固い、固いって。もっと気楽に生きようぜ? 上司相手じゃねえんだからさ」
栗色の髪をかきあげる気障な仕草は、失礼ながらあまり似合っていない。
顔立ちはどちらかと言えば幼く、モテる男に憧れて背伸びしている、平均より少々小柄な男だ。その革靴が実はシークレットブーツであることにエイプリルはもちろん気づいている。が、そこを指摘しても何の生産性もないので口にはしない。
「気楽に、というよりは享楽的に生きていますよね」
「朝っぱらから出てくるたあ、珍しいな。おめえまでアラームぶっ壊したか?」
口々に指摘され、フェイクは大げさに肩をすくめる。
「まさか。ま、今日のアラームは姫君のキスだったんでね。少々激しく求め合ったのは認めるけど」
「姫君のキスねえ」
それは普通逆ではないのかとエイプリルは思った。
姫君の眠りから救い上げる、王子様の真実の愛のキス。
でもこの表現を使うにはフェイクの愛は安すぎる。
男たちの明け透けな、下世話な会話が終わるのを、エイプリルは黙って待った。こうして表情を動かさなければ、クールビューティーそのものだという評価を実行してみたのだ。
実際には、エイプリルはユーモアを愛している。特別冷酷でもなければ無感動でもない。女の笑顔は武器だという助言に従って、使いどころを選んでいるだけだ。
それに彼女の基準によれば、フェイクの言動は概ね笑うに値しない。
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